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他人との比較をやめて、コスパのいい生活をしてきたら、頑張り耐性がなくなってヤバいと気付いてしまった件

2015年には会社を辞め、そこから始めたブログやYouTubeも2019年ごろにはほとんど更新しなくなり。

ハタから見たらセミリタイヤ状態だけど、別にそれを望んでいるわけでもなく、なのに「FIREの聖地」に住みながら2022年が終わろうとしている。

アメリカ旅noteも完結して、次はどんな方向で発信を続けていこうかな~と考えていたとき。

僕と同じく、大分県杵築市に住むひこすけ氏がこんなツイートをしていて、僕の基本戦略にも通じるところがあったから、これについて書いてみることにした。


というのも、僕はこの戦略を捨てることにしたからだ。


一応、僕はサラリーマン10年やって年収1200万までは経験したし(※瞬間最大風速)、フリーランスとしても7年生き残ってる。

ということは、日本における多数派の生き方は経験していて、ちょこっと上流にも触れることができたし、かつ会社の看板に頼らずに生きる力も持てている…ってことになると思う。

フリーランス生活も大きく2期に分けることができて、前半の2015~2019年はブログやYouTubeによる発信、いわばインフルエンサーとして稼いでいた時期。

会社勤めではないけど、記事書いたり動画編集したりで労働時間は長かった。

ピーク時は月30~40万は稼いでたものの、この4年間だけで時給換算したら最低時給には程遠いレベル。

いま思い返すと、「この頃は頑張れてたな」と感じる。



転機を迎えたのは、2019年9月のジョージア移住。

この年の春ごろから「月5万円で生活できる国」としてバックパッカー界隈(いわゆる”旅人”)で話題になっていて、僕の友達がその一員だったことからジョージアの存在を知ることに。

その頃の僕は、月20万ぐらいは稼いでいて生活には困らないものの、贅沢はできない状態。おまけに、3年ほど続けていたYouTubeも自分の中でマンネリ化していて、割と苦痛だった。

そんな中、マンネリを打破したくて、趣味としての自動車文化とミリタリー、両方の聖地といえるヨーロッパに住みたいという願望を持つようになっていた。

そのためには、お金を貯めつつ、ヨーロッパの生活費を賄える程度の仕事も得なければ…と思っていた矢先に、ジョージアの情報が飛び込んできたというわけ。

ヨーロッパと呼べるかはさておき、ドイツやイギリスまで飛行機で4~5時間。LCCなら片道5000円。

月5万円で暮らして、旅行としてヨーロッパに行くスタイルなら、すぐにでも実現可能!

この考え方こそ、まさに冒頭で紹介したツイートにある「いかに少ない収入で満足度を上げるか?」という考え方そのもの。

YouTuberとして日本で受けていた案件はできなくなり、必然的に収入も下がったけど、現地の生活コストの安さ&海外移住による強制断捨離の結果、可処分所得も時間も増えていた。

実際、月収15万ぐらいなのに、1週間のヨーロッパ旅行に3回行ったりもしたし。



しかし、移住から半年経った2020年3月。

日本の空気を吸いに1週間の一時帰国をしたら、ちょうどアレの最初の波が来て、ジョージアが外国人の入国を禁止。

ジョージアに戻れなくなった僕は、「低コスト自己満戦略」を日本でも続けられないかと調べる中で、家賃崩壊を起こしていた杵築市を発見。

家賃だけ見たらジョージア以下!
日本食も安くて、言葉も通じる天国!w

「これならいける!」と、2020年6月に移住。

便利な日本に戻っても、ジョージア暮らしでだいぶミニマルな生活が身についていたから、美食は自炊で堪能し、気ままに西日本各地をドライブする生活。

特に何かを頑張らなくても、2年半楽しく暮らすことができた。




でも、これがマズかった。


それは「人間としての成長がない」といったマッチョな理由ではなく。

「このままだと将来が不安」という、ごく普通の、漠然とした悩み。


もちろん、その不安を打ち消す論理は持っている…というか、杵築移住のメリットとして僕自身が紹介すらしていた。

僕は杵築でなら月8万あれば生活できると思っていて、追い込まれればもっと削れるだろうから、週3で最低時給のバイトするだけでもまかなえる。

放置ブログやYouTubeからも多少の収益はあるわけで、実際はもっと少なくても大丈夫。

というか、ITスキルや英語力はどう控えめに見ても平均以上、発信で食ってきた実績だってある。


でもね、それですら不安なんですよ。


なにしろ、さほど頑張らなくても、怒られたり失敗したりすることもなく、充分なお金を稼げる環境、言い換えれば「ぬるま湯」にずっと浸かってたんだから。

もちろん、本当に追い込まれれば不安なバイトだってやるだろうし、実際やればなんとかなるとは思ってる。だけど、それすらも避けたい。

ぬるま湯にとっては、バイトですら不安材料。


もうひとつの方法は、生活保護といった弱者支援のシステムに乗っかることだけど…。

なんなら、こっちの方が不安材料なんじゃないかと。

アレ対策からも見えたように、これからはますます高齢者を生かし続けることが優先されて、働ける世代の経済弱者を支援する余裕なんてなくなる。

財源もそうだし、世論もそんなことを認めるはずがない。

憲法が定める「健康で文化的な最低限度の生活」の保障なんてものは、国が立ち行かなくなったら簡単にひっくり返るでしょう。民主国家の憲法は国民投票で変えられるんだから。


〜〜〜少し脱線〜〜〜

この憲法の条文を一応確認した中で、面白い発見がありまして。

これは生存権という考え方に基づくもので、第2次大戦中のイギリスで貧困解消に必要な社会制度を研究する中でまとめられた「ベヴァリッジ報告書」が、戦後の先進国の社会保障制度に大きな影響を与えたそうで。

その中では、社会保障が解消するべき「5つの悪」というものが挙げられていて、その内訳は…

  1. 窮乏

  2. 疾病

  3. 無知

  4. 不潔

  5. 怠惰

怠惰が入ってる!!!w
①〜④と同列の悪として、怠惰も悪!

社会保障制度は怠惰を解消するために存在するのであって、逆に怠惰を助長しかねない現状は、やっぱり根本的に間違ってるんだよ…。

なんなら、ぬるま湯に熱湯をぶち込む法整備がされるのでは!?w

〜〜〜脱線おしまい〜〜〜


ここまでをまとめると、

  • 今のところ食っていけてる

  • でも、将来には漠然とした不安

  • いまと違う仕事できるか不安

  • 国のセーフティネットもアテにならない


…あれ?


これ、街角インタビューで意識低そうな人がボヤいてることと一緒じゃね?


ヤバい。
ぶっちゃけ、自分は意識高い側にいると思ってたけど、一緒じゃんよ。


それはヤバすぎる!!


「いや、気付いたなら努力して変えろよ!www」


全くもって、その通り!
返す言葉もございません!!!


でもな、こちとらぬるま湯に浸かりすぎて、努力できない身体になっちまったんだよ!!(逆ギレ)



ここで、あらためて最初のツイートを見てみる。

このスレッドは5つのツイートで構成されていて、そのラストはこちら。


もちろん、僕も他人と比較してマウント合戦することに意味はないと思うし、実際に自己満足で完結する行為を人生の喜びにしてきた。

サラリーマン生活の中でも実現してきたし、ジョージア移住やこの前のアメリカ旅行だってそのための手段。

つまり、僕はひこすけ氏と同様の戦略を取り、一見うまくやってきた。

しかし、実は意識の低いぼやきと同じ不安を抱いてて、それを変えられずにいる。


この不安を解消するのに必要なものとして、一般的に言われるのは「今の仕事がなくなっても生きてけるスキル」。

掘り下げると、「学ぶことで、変化する時代に合わせて自分をアップデートし続けられるスキル」。


この表現になると、一転して僕は大丈夫なように感じられるし、「たかっかは平気だよ」と言われることもある。実際、そう思ってたこともある。


でも、やっぱダメなんですわ。


たしかに僕は、半分趣味として最新ガジェットとか話題のサービスは使ってみるし、プログラミングを学んだことで簡単なスマホアプリぐらいは作れるようになった。

ただ、自己満足で進められたのはそこまで。

世間一般と比べたら多く学んでるかもしれないし、スキルもあるし、新しいものを取り入れてる。

でも、そこで満足しておしまい。抱えてる不安に対処できるレベルまで行けてない。当然、これは満足できる状況ではない。

「不安に対処できるレベル」の定義も難しいけど、僕は「学んだスキルを用いて、生活に必要なお金を稼いだ実績」ということにしてる。

この定義でいくと、2019年までのユーチューバー時代の実績からいただいた仕事で今も食ってる僕は、「過去の栄光」にすがって生きてるだけ。

新しい学びも、学んだことに満足してるだけで、本当に満足できるラインまで到達していない。

あぁ、ここがキモだなと、ひこすけ氏のツイートを見て気付けたわけです。


自己満足で生きるにしても、真に満足するためには自己満足のハードルを上げていかないと、満足できなくなる。


言い換えると、他者とのレースを降りるにしても、自分とのレースからは降りられなかった…というオチ。



ここまでは「学び」という意識高めの自己満足の話だったけど、趣味や娯楽だって同じ。

実弾射撃を経験したらマシンガン撃ちたくなるし、マシンガン撃ったら今度はヘリから撃ちたくなるじゃん?(伝われ)

ヘリからの機銃掃射も実現したら、次のステージはロケットランチャーか戦車砲。

撃てる場があって、撃ってみたいと思ってるのに、「足るを知る」とか言って、やらないでいて満足なのか??(いや、満足なわけがない!)


撃ちたきゃ撃て!(※なんかニュアンスがおかしい)
金がないなら稼げ!
能力がないなら学べ!


そう、結局ここに行き着いちゃったんですよ。



しかし、つらつらと書いてきた通り、僕は発信で稼ぐことをやめてしまった。

今のところは必要充分な稼ぎがあるとはいえ、これが失われた時に稼ぐ術を持っていない。

ならば、どうするのか?

自己満足がダメなら他者貢献か?


それもひとつの正解だとは思うけど、あいにく僕には「世のため人のため」で動くモチベーションはない。

いや…。

正確には、得意分野を用いて誰かの困りごとを解消してあげることには、やりがいを感じるよ。でも、頑張れないから営業もしたくない。

ということは、困ってる人の方から僕のところに来てもらうしかないわけで、そのためには「たかっか頼りになりそう!」と感じてもらうための、見える実績が必要。

となると、まずは自分で稼ぐしかない。


いま稼げないのなら、稼げるように頑張る。

稼ぐために必要な、一度失ってしまった「頑張り耐性」を取り戻すために、頑張ることを頑張る。その練習をする。


ここだけ切り取ったら救いようのない精神論だけど、ここまで読んでいただけたなら、お分かりいただけるでしょう。



だから、僕はこうしてnoteを書いている。

とてもマネタイズできるようなものではないけど、頑張ることを頑張るための練習にはなるから。

夏に2~3週間ぐらいかけて作って、そこから3ヶ月以上ほったらかしてたiPhoneアプリの制作も再開。

もしかしたら、これは完成後に稼ぎを生み出すことになるかもしれないし、稼げなくても頑張る練習にはなるから。

そして、頑張ったことで得られる自己満足の味を覚え、さらにハードルを高めていくために、欲望に正直に旅行しまくっている!…????

(あぶない言い訳だから、良い子は絶対にマネしちゃダメだぞ!!)



いろいろ書いてきたけど、この瞬間の僕は、まだぬるま湯に浸かりながらキーボード叩いてる状態。

ぬるま湯は一生入っていられるような気がするけど、そこで満足しちゃうと、熱いお風呂やサウナをトライしてみようとすら思わなくなる。

でも実際に、水風呂と行ったり来たりして「ととのう」感覚を味わってしまうと、「どうしてもっと早くやらなかったの…!?」ってなるでしょう?


「きっとアレと同じだ!!」と信じて、ぬるま湯戦略を捨てるます!!


(ヒートショック起こさない程度にね ←ぬるま湯の弊害)


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