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認知症が進む祖母を介護する叔母に起きたブレイクスルー

こんにちは。前にnoteに書いた祖母のこと。


認知症は進むよ、どこまでも

前のnoteを書いて一年が経とうとしています。

認知症は改善することは少なく、治療の目的は「進行を緩やかにすること」が多いのだそうです。

前情報のとおり、この1年間で祖母の認知症は進みました。

そして、進行とともに家族に対する負担は大きくなりました。特に大きくなったのは精神的な負担です。

大きくなりすぎたストレスは祖母に向かう

親族で誕生日会や食事会などの時間を一緒に過ごす際、主に祖母を介護している叔母が祖母に対して声を荒げることが増えました。

そして、何をしてもすぐに忘れてしまう祖母に対して、親族一同があきれるてしまうことも増えていきました。

一昨年くらいからそういった集まりの際、僕はなるべく祖母の近くに座り、話を聞いたり、話しかけたりするようにしています。

ここ数ヶ月、僕と祖母はこんな話を繰り返しているのです。

祖母「役場は忙しいかい?いつかは総務課長にならなね」

僕「今は学校に勉強を教えに行っているんよ」

祖母「そうなの?本当に?それは良かったね。学校の先生の方が良いんでしょ?」

僕「そうやね。役場より学校の先生の方が良いよ」

祖母「私も役場で働いたことがあるから・・・」

毎回、この流れです。

ちなみに「役場を退職したこと」「非常勤講師であること」は曖昧にしています。

祖母は、僕が役場の職員になった時、とても喜んで、お仏壇に手を合わせて、亡くなった祖父に報告していました。

もし、僕がすべてを正確に伝えてしまうと、祖母がショックを受けてしまうでしょう。

しかし、何度もこの流れをやるのが苦しくなってきて、声を荒らげてしまったり、面倒くさいと思って「役場は忙しいよ」と嘘を言ったりしたこともありました。

叔母に訪れたブレイクスルー

毎年の年末、僕の親族は一同で集まり、ご馳走を食べながら紅白を見たりして過ごしています。

2023年年末、祖母はずっとこう言っていました。

「今年の31日は集まるんかね?」

毎年、年末に集まってご飯を食べている記憶はある。けれども、今がそのときであるということをうまく認識できない。

そんな状況で、時折、叔母も他の親族も祖母に対して少し声を荒らげてしまうことがありました。

来年はどうなるだろうか。

もしかしたら、祖母は施設に入るかもしれない。そうなれば、年末に一緒に過ごすことは出来ないかもしれないな。

紅白を観ながら、ぼんやりと、そんなことを考えたりもしました。

そして、年が開けて数日経ったころ、実家に立ち寄った時、母が「叔母さん、変わったみたいなんよ」と話を始めました。

母曰く、叔母はふと「自分が祖母を人間扱いしてないのではないか」と思ったのだそう。

  • 祖母が認知症という病気であること

  • その病気が原因で物事を忘れてしまうこと

  • 祖母は叔母の母であること

  • 叔母は祖母の娘であること

  • 祖母と過ごせる時間は長くないこと

感情的になってしまって、これらのことが見えていなかったことに、自分自身で気がついたのだそうです。

そして「祖母に残された人生をできるだけ穏やかに過ごさせてあげたい」と思うに至ったとのことでした。

俯瞰できたこと、腹落ちしたこと

これは叔母の中でブレイクスルーが起きたのだと思いました。

  1. 自分を俯瞰できたこと

  2. もの忘れは病気であり「仕方ないこと」を理解(腹落ち)したこと

この2つのが叔母のブレイクスルーポイントとなったのだと思います。そして、叔母は祖母に対する接し方を変えました。

ブレイクスルーが起こってこの2つが出来たのか、この2つが出来てブレイクスルーが起きたのかはわかりません。

卵が先か、にわとりが先か。

ここで言うブレイクスルーは「ひらめき」や「降りてきた」的な「ハッとするような体験」あるいは「覚醒」のような意味で使っています。

いずれにせよ、様々なことが積み重なって、感情が揺さぶられ続けた結果、こうなったのでしょう。

ただ、それには、叔母が本気で祖母に向き合うことが必要だったのだと思います。

今年の年末、どうなるかはわかりませんが、親族みんなが穏やかに過ごせたらいいなと思っています。

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