音楽の話(続き)
人によって違う演奏になる理由、それの私なりの考えは、
『その演奏する曲を、より良いものにして手に入れたい、欲しいとどれだけ強く願っていたか』
の差だと思っています。
最近ジャンプで超人気な漫画の、ドクターストーンの中のキャラの口ぐせで、「欲しい=正義だ!!」とか「欲しい!は科学の原動力だ」という発言をよく目にしますが、それとよく似たニュアンスにです。
さすがにこれだけだと、少しあやふやだと思いますのでちゃんと解説します。
「好きな人と話したい、付き合いたいと思うから、その好きな人の好きなことや周りのことをもっと知りたい」という流れに不自然なところは特にないと思います。あまり興味のない人に対して、その人の周りのことを知りたいと思うことなんてあまりないでしょう。
この文章を、演奏(演奏以外でもなんでもかもしれませんが)にも置き換えることもできると思っていまして、単純に置き換えると、
「上手に曲を演奏したいから、その曲とか周りのことをもっと知りたい」となるわけですが、ここでポイントになってくるのが、「周りのこと」だと思います。
パッと思いつくものならば、その演奏している曲自体のことや、奏でている楽器のことになってきますでしょうか。自分の体の動きとかもそうかもしれません。
そして、曲自体のことでも細かく分けると、作曲者や歴史や題名を始め、幾つもあるフレーズのそれぞれの感じ方、全体としての音楽の持っていき方などがありますでしょうか。
楽器(サックス)のことならば、キーの動き方や、リードそのもののことや、リードの振動しているときの動き方のイメージ、マウスピースやリガチャーの種類などで、体の動きとなると、姿勢やマウスピースを加えている口の周りの状態、指を動かすときに極端に楽器から離れていないかどうか、などになってくるかと思います。
さらに、フレーズの感じ方であれば、例えば跳躍するところがあるとして、その跳躍の前後の雰囲気のイメージを考えているかどうか、
マウスピースにはこだわったかどうか、
指を動かすとき極端に楽器から離さないようにしたせいで、指を動かすのが遅くなっていないか、などが掘れば掘るほど細かく分けることができていきます。
ということで、言い換えるとすると、
『いい演奏が欲しいと思って、関連することを、どれだけの項目に分け、どれだけ情報を仕入れ、どこまで探究したか』
という結論にできますでしょうか。
この探究力の差は、かなり大きいと思っています。
情報だけならば、ネットで、文面の情報でも、音声での情報でも、動画での情報でも、(賛否両論やデマは絶えないとは言いましても)簡単に手に入る時代ですし、それに加えて当然、直接でなければ経験できないことを、楽器の先生を調べて教わりに行って、技術を盗む。
そしてそれらを自分の中に取り入れて、自分なりの解釈で消化して自分の技術にする作業をしているかどうか。
(いつか機会があればまた書きますが、"練習"ではなく"作業"と書いているのにも、ちょっとこだわりがあってですね)
そこにかかっていると思います。
より取り入れて積み上げられた情報や体験と思考の量と、消化して自分のモノにした動きや音色の洗練度、それらは必ず現れて、言ってしまえば優劣の明確な基準になる。
一定のレベルを超えたら(四六時中音楽のことを考えてるとか)、好みに分かれるかな、とも思いますが、最初から「人の好みで評価が分かれるからねぇ」というところから音楽に臨むのは、さすがにマズいですよね。
以上で私の考えのアウトプット終了という感じですが、大丈夫ですかね?
意味不明な文章になってるところありますかね?
あるのでしょうけれど、意味は伝わるかと信じてますので、今回のオチ。
「欲しい!は音楽の原動力だ
唆るぜこれは!」