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【小説】光の三分間と声と言葉の青春④「人は事実よりもイメージを優先する生き物だから」

前回

 十日ほど経った。いつものように、中休みに食堂に行くとヤスダがいた。何故か、申し訳なさそうな彼女からヤンキーに貸した十円を返してもらった。
 どうやらヤスダと同じコースの生徒数名が深夜に駅の駐車場で他校の生徒と喧嘩して補導され、その中に僕が十円を貸したヤンキーもいたようだった。僕が教師から目を付けられることを心配して、ヤスダからは、もう私たちと関わらないほうがいいと言われた。僕は「分かった」とだけ答えた。
 名残惜しかったが、僕たちの関係を繋ぎとめる言葉は見つからなかった。

 補導された生徒のおかげで、次の日の一限目はホーム・ルームが潰れて、代わりに全校集会があった。
 喧嘩の現場にいた数名のうち、一人は意識不明の重体で病院送りになった。その場で喧嘩していた何人かは捕まったが、どうやら他校の生徒を病院送りにした喧嘩の首謀者は逃げたらしく、校長と教育指導の教諭から一時間みっちりと生徒全体に注意があった。

 全校集会の後、僕は平井に空き教室に呼ばれた。喧嘩の件に関しての事情聴取だという。部屋には音の鳴らなくなったピアノが置いてあった。
 平井は教室の椅子に僕を座らせた。そして、彼女は机を挟んで対面に座った。席に着くなり、平井は僕を詰問し始めた。全く身に覚えがないと言っても、階段下でヤスダたちと仲良くしていただとか、挙句の果てには僕の授業態度の悪さと結び付けて僕が喧嘩の首謀者だとでっち上げてきた。計画を立てるためには、頭が悪くては駄目だとか、平井の言葉の端々には他コースの生徒への侮蔑や軽蔑も混じっていた。僕は話の途中で気分が悪くなり、最初はまじめに理論立てて否定していたが、次第に生返事になっていった。
「どこまでもシラを切るつもりながやね」
 平井はそう言うと、机の下から汚れた紙を出した。僕が捨てたジャバラバだった。二組の生徒が見つけてきたという。彼らは僕が課題をやってこないから毎授業ごとに課題を追加されていた。その鬱憤もあったのか、平井が指示すると喜んで引き受けたらしい。クラス全体が結託し、僕を陥れようとしているのがありありと伝わり、吐きそうになる。
「なんでこんな無駄なことをするがけ。教師だけじゃなくクラスメイトも舐とるがやろ。いつもいっとるけど、受験は団体戦ながやぜ。ながに何で協調性がないがけ。あんたのせいでクラスのみんなは迷惑しとるがやぜ。申し訳ないと思わんがけ。まじめにやっとるみんなに謝られ、土下座しられ」
 平井が勝手にやっていることなのになぜ僕は怒られているのだろうか。何も言わずにいると、平井は机を何度も何度も叩いた。叩くたび、教室に大きな音が鳴った。

「分かったちゃ、いいちゃ、勉強せんがやったらそれでいいちゃ。でも、難関校に大学進学したいと思ってる他の特進コースのみんなに迷惑がかかるから、他のコースに移るか辞めてもらえんけ?」
 事実と虚偽が混ぜこぜになった指摘に、反論のモチベーションは削がれてしまった。人は、事実よりもイメージを優先する生き物だから。そう思って諦めた。だから、僕は平井の目を見つめて沈黙していた。一分ほど経っただろうか。平井は痺れを切らして口を開いた。
「何か言ったらどうけ?」
 平井は訴えるように何度も僕にお願いしていた。結局、僕は平井に小一時間詰められている間、ずっと黙っていた。二時間目終了のチャイムが鳴って、ようやく僕は平井から解放された。

 その日は小一時間平井の軟禁があった後、残りの授業を受けて一日が終わった。
 帰り道、水を張った田んぼが夕日で輝いている。今の季節、片道六キロの通学路は、ずっとこの景色が続く。
 懐に入れたiPodから流れる“HANABI”をミスチルの桜井と合唱しながら、鼻にまとわりつく堆肥の臭いと顔面に突撃する羽虫の群れを振り切るように全力で自転車を漕ぐのが、ここ一週間の日課になっていた。
 病院横の坂を下り、自宅についたころにはブレザーの下のワイシャツが汗で湿っている。五月も中旬になりもう春も終わる。

 五月といえば、そろそろ伏木けんか山(伏木曳山祭)の時期だ。
 高さ約八メートル、重さ八トンの山車は、各地区ごとにそれぞれ一基ずつ、計七基存在する。夜になるとその山車に隙間なく提灯を括り付け、伏木中を練り歩き、そしてかっちゃ(ぶつけ合い)する。
 普段はシャッターが下りて人っ気のない伏木の商店街が、足の踏み場もないくらいの観光客と、軒を連ねる屋台で賑やかになる時間。山車がかっちゃするたびにあがる歓声。そして祭りが終われば目に見えて気温が上がり、夏がやってくる。
 僕は、この祭りが大好きだった。風に乗って、自室の網戸越しに夜風と一緒に笛の音が入ってくると、心が華やいだ。
 最後に行ったのはいつだっただろうか。あれはまだ、ばあちゃんが元気だったころ。母さんとばあちゃんと三人で。たしか、三年前に行ったのが最後になる。

「ただいま」
「哲仁、ちょっと来られま!」
 家の車庫に自転車を停めて裏口の扉を開けると、奥のリビングから母さんが出てきた。その後ろからマルチーズとダックスフントの雑種、クリーム色の毛並みのラテがとことことついてきた。彼女は、母さんの喧騒も何のことかわからず、のんきに尻尾を振っている。
「聞いたがやぜ? アンタ人様を殴って逃げたそうやね! さっき、平井先生から電話あって、アンタこのままやと退学か転コースになるかもしれんって泣かれはって、一体どういうことながけ!」
 今朝までラテを抱きながら穏やかに寝ていた母さんが、怒髪天を衝いている。かと思えば、目頭に涙の大粒が浮かび、零れた。
「ああ、あれは人違いで僕は何も関係してないがやちゃ」
「それだけじゃないがやぜ。成績も悪いがいね。何も言ってくれんから分らんかったが。赤点とったがやろ?」
「それも期末の成績には関係ないやつから」
「関係ないことないがいね! 言い訳は聞かん! テスト返してもらったがやろ? 見し!」
 僕が最後まで言い終わらないうちに、母さんはそう言った。どうやら母さんの頭には退学の二文字しかないらしく、弁解の余地を与えてはくれないだろう。
「どっか行った」
「どっか行ったやないちゃ! 成績悪かったから捨てたがやろ!」
 僕は図星をつかれて押し黙るしかなかった。なぜ母親はこうも息子の行動を見抜くのがうまいのだろうか。
 今頃、例のテストは市の焼却場で灰になっている。
「テストで赤点取り続けとったら退学にもなるわいね! それか留年か! あんた、下の学年の子たちと一緒に勉強せんなんがいぜ!」
「いや、そんな赤点ばかりじゃ」
「金出しとんが誰け‼」
 授業料のことを言われたらこちらも黙るしかない。三歳の時に親父が蒸発した。母さんには女手一つで育ててくれた義理もある。しかし、高校がアルバイト禁止なため、僕は生活費のすべてを高校入学前に受け取ったばあちゃんの遺産と、母さんの収入に任せている。
 しかたがないが、こうなってしまってはもう反論のしようがない。

 ふと、鼻腔にムッとする獣臭が漂う。思わず臭いの元をたどると、テーブルの上に置かれたペット用のチキンペーストの缶が、食べかけのまま放置されていた。数日空気に晒され、中身はカピカピになっている。
「それよりも、また缶詰開けっ放しにして、掃除せんと――」
 この状況を打破すべく、僕は、母さんの横着を指摘した。
「人が喋っとるときに話逸らすな!」
 が、駄目だった。僕は母さんの横をすり抜け、二階への階段を駆け上がり、自室へと転がり込んだ。
「このダラぶちー‼」
 階下からは母さんの罵声が聞こえた。

次回

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