見出し画像

【小説】光の三分間と声と言葉の青春⑥「女の子に着せたい服装はメイド服よりスク水である。是か非か」

前回

 僕は最初、帰宅部に入ろうと思った。クラスで浮いてしまって友達がいないうえ、学校での居心地の悪さは他の追随を許していないから。おそらく全国大会でも優勝できるのではないかとそう踏んでいたのだが、それは叶わなかった。
 二上高校は生徒皆入部という校則上、一人何かしら一つは部活に入らないといけない。
 僕はクラスメイトがいないのと、聞いたこともない競技であればみんな横並びで初心者だろうから最初から肩身の狭い思いはしなくても済むだろうという思いでディベート部に入った。

 しかし、それも入部一週間程度で潰えた。一組に在籍する医学部志望の俊英、中島が入部してきたのだった。中島は一年生にしてエリートだった。六月末に行われるディベート甲子園地区大会において、定員四人のうち三人しかいない上級生部員の不足で空いた一枠を、入部後わずか数回の模擬討論で勝ち取ったのだ。部活の空気感を感じてもらうために行われた歓迎の討論だったが、物怖じしない貫禄のある姿と、丁々発止と議論する姿勢に惚れた顧問の檜山先生が抜擢した。四人しかいない一年生同士の対決を苦も無く制して、赤渕の眼鏡から覗くその眼は何を見つめているのか僕には計り知れなかった。

 それでも、ディベート甲子園本部から今年の論題が出され、活動が本格化するまではまだ時間があったので、部員のディベート力向上のため、僕たちは模擬討論を続けていた。

「これから肯定側の立論を発表します。今回の論題『女の子に着せたい服装は、メイド服ではなくスク水である。是か非か』において、僕はスク水が素晴らしいと自信を持って主張します――」
 今回、僕の模擬ディベートでの立場は肯定側。つまり、僕は女の子にスク水を着せることにとてつもない魅力を感じ、それを人前で主張している。
 対して、否定側のメイド服を担当するのは中島だった。
 厳しい戦いになりそうだ。緊張で声がかすれている。

 そもそもディベートというのは、出された一つの論題を肯定側と否定側に分かれて討論しあうことであり、最終的には審査員の客観的な評価によって、肯定側と否定側どちらの理論に筋が通っていたかを決める競技である。
 そこには論客の主観は存在せず、あくまで理論立った議論が求められる。
「スク水の良さの根幹は、真夏のプールサイドにてあどけない顔をした健康的に日焼けした女児が濡れたスク水を着ることにあります――」
 だから断じて、僕はスク水が好きなわけではないし、どちらかと言えばメイド服を着たお姉さんが好きです。

 ディベートにおいて、それぞれの立場の持論のことを、立論と呼んでいる。僕は肯定側だから、今は肯定側立論を審査員にいかに納得してもらうか考えて発言しなければならない。
「皆さん、想像してみてください。スク水を着た小学生くらいの小さい女の子が、プールサイドで楽しそうに友達と遊んでいる。今の若者は、家の中でゲームばかりしており、外に出て元気に遊ぶことがなくなった、子どもたちの健康によくない。と、よく指摘されますが、スク水を着て屋外プールで泳いでいる彼女たちはどうでしょうか。大変健全で、健康的です。しかもこれは、夏にしか見ることができない景色です。希少です。スク水を着て元気よく運動する。これぞ、今の子どもにあるべき姿ではないでしょうか」

 ディベート部室の情報処理室には、型落ちのWindows Vistaが三十台置いてあり、教壇には大きなホワイトボードが立て掛けてある。発表者は教壇に立ち、観客はパソコンの前でスツールキャスター付きの昇降椅子に座っていた。顧問の檜山先生は中履きのサンダルを脱いで、足を組んでにやにやしている。
  薄黄色いシミの付いた空調からはホコリ臭い風が吐き出された。
「――これで肯定側の立論を終わります」
 流石にスク水に対する熱弁を、規定の六分間ずっと続けるのはキツイ。
 間髪おかずに肯定側の立論を発表し終えた僕の隣に中島が立った。ディベートは立論の直後に反対主張側の人間が、立論の定義や疑問点を確認するために質疑を行うのだが、中島は質疑でのツッコミがえげつない。ボロを出させようと穴あきチーズになるくらい突っついてくる。
 幸い、今回聞かれたことはセパレート型は認めるかどうかだったので、ここでは業界の規則に則り、旧スク水を推しておいた。

 次に、否定側である中島が立論発表を行う。
「これから否定側の立論を発表します。否定側は、スク水よりもメイド服のほうが素晴らしいと主張します」
 中島は背筋を伸ばし、室内に響き渡る落ち着いたバリトンボイスで論述する。
「理由としては二点あります。一点目はメイドがご主人さまにご奉仕するという主従関係性にあります。そもそもメイド服というのはメイドというイギリスで生み出された一種の雇用形態の中で、上流階級の主人を支えるという奉仕を通した精神性が連綿とつながる歴史の中で醸成されたものであります。ですから、奉仕の精神という精神性を含めた高貴さが、メイド服の魅力であります」
 中島が人差し指を立てる。なるほど、メイド服の良さを伝えるためにアピールポイントを大きく二点に分けて説明しているのか。聞いている側としても、事前に頭の中で内容が整理できる分、確かに分かりやすい。日本のアニメで描かれるようなメイドではなく、メイドが発祥した十九世紀末のイギリスまで歴史を遡り、そもそものメイドに対するイメージを覆そうと試みている。
 中島の発表に、先程までニヤニヤしていた顧問の檜山先生が真面目な顔で何度か頷いた。
「二点目はメイド服の清潔さであります――」
 先ほどまで少し硬かった中島の表情が、檜山先生が真剣に聞いていることを確認し、柔らかくなった。
「――以上で、否定側の立論を終わります」
 中島は立論の規定時間である六分間、メイド服の社会的変遷を盛り込みつつ、魅力を存分に論じ切った。

 この後、肯定側質疑と相手の立論の非正当性を主張する反駁をお互い行ったが、スク水の健全さはあくまで僕の主観でしかないという解釈をされ、満場一致で歴史的な裏付けがあると判断された否定側のメイド服の魅力を論じた中島の勝利となった。

「二人とも、どうやった?」
 檜山先生が、教壇から降りた僕と中島に聞いた。
「いや、駄目でした。理論立てて人に伝えるのもそうですけど、話し方でも印象は変わりますもんね。ボクが伝えたかったのはメイド服の歴史じゃなくて魅力なので、そこが伝えきれなかったのは惜しかったです。次はもう少し強調すべきところは溜めや抑揚をつけようと思います」
 中島が謙遜して頭を掻く。僕を完膚なきまでにボコボコにしておいてよく言うよ。もう少し調子に乗ってくれたほうが可愛げがあるのに。
 
 檜山先生が僕に目配せした。
「伝えるのって、難しいですね」
 少し考えて、そう言った。僕の言葉に、檜山先生の眉毛が動いた。
「鷹岡、その通りやちゃ! 伝えると伝わるは違うがやぜ」
 檜山先生が満足げに大きく頷いた。
 僕は、ずっと情報処理室の床を眺めていた。先日、空き教室で平井に机を叩かれて詰問されたことを思い出した。

「平井……先生に誤解されたのも伝わらなかったからですかね」
 気づいたら、そう言っていた。僕の目から涙がこぼれた。
「そうやね。残酷やけど、人は事実よりもイメージを優先する生き物やから、どれだけ真面目に生きてても誤解されるし、すれ違いも起きる。俺も今までに数え切れんくらい失敗しとる」
 檜山先生は優しくそう言った。
「でも、伝えることだけは諦めたらあかんちゃ」
 後で聞いたが、僕が平井に喧嘩の首謀者だと誤解され、退学の憂き目にあっていることは、教員の間で話題になっていたらしい。

次回

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?