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【ダイバーシティ】ダイバーシティ・マネジメントの経営的視点と、障がい者雇用の社会的視点におけるパラドックス!?(有村、2014)

ダイバーシティ・マネジメントにおける経営的視点と、CSR的な意味合いとしての障がい者雇用といった社会的視点、この2つによるパラドックスが、企業のDE&I担当者の頭を悩ませる要因になることがあります。

今回は、そのパラドックスを丁寧に紐解き、問題点とその原因を整理した論文を紹介します。

有村貞則. (2014). ダイバーシティ・マネジメントと障害者雇用は整合的か否か. 日本労働研究雑誌, 56(5), 51-63.



どんな論文?

この論文は、ダイバーシティ・マネジメント(DM)と障がい者雇用推進に関する言説を整理し、DMとしての障碍者雇用を進めるための問題点と提案をまとめたものです。

著者は、「多様な人材」や「すべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」といったフレーズに着目すれば、DMと障がい者雇用は非常に整合的である一方、DMはこれに「競争優位や組織パフォーマンス向上のため」という条件を付加するためにどうも障がい者雇用とはあわない,そんなイメージも喚起してしまう、と指摘します。

このポイントに対し、ダイバーシティ・マネジメントの草分け的存在であるルーズベルト・トーマス氏の文献を手掛かりとして、何が問題で、どのように整理し、どのように対応すべきかを示しています。

著者は、DMを、アファーマティブ・アクションや、違いの尊重と言った考えとの違いを示すことで、障がい者雇用におけるDMの位置づけを整理しようと試みています。


著者の問題意識

DMとは「すべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」であり、この「すべての従業員」は男性のみ,障害のない人のみといった同質的従業員のことではない、と説明されます。

その意味では、障がい者雇用こそがDMというほど双方の関係は整合的です。なぜなら、実施度は各企業次第であるとしても,障がい者雇用は,本質的に彼ら・彼女らの潜在能力を最大限に活かす職場環境作りにほかならないため、とのこと。

また一方で、DMは経営的視点、つまり、「競争優位や組織パフォーマンス向上のため」(谷口 2005;有村 2007)に行われるとされます。

他方、障がい者雇用の場合,ほとんどの日本企業は人権尊重,企業の社会的責任,特に法令順守のために障害者雇用に取り組んでいる、と指摘します。つまり、経営的視点によるDMとして、障がい者雇用に取り組んでいないようです。(だからこそ、障がい者雇用と成果の数値などは追わない)

この「経営的視点」こそ、DMと障がい者雇用が一見整合的なのに、整合的にとらえられない要因と看破しました。「経営的視点」に着目することは間違いでないけれど,あまりにもこの特質にとらわれすぎると以下のような問題が生じてしまう、と警鐘を鳴らします。

①DMは従来型のマネジメントより「優れている」/「有益である」と判断されてしまう

DMは、従来型の多様な人材管理方法(アファーマティブ・アクション、違いの尊重)とは異なるアプローチとして区別され、以下図のように整理できるようです。

しかし、あくまでも、アプローチの違いであり、どれがどれより「優れている」/「有益である」というわけではありません。しかし、「経営的視点」と「競争優位の獲得」といった言葉が近しいニュアンスを持つために、優劣の価値判断を安易に下してしまう点が問題、と著者は説明します。

②DMと従来型の多様な人材の管理方法を「排他的」或いは「独立的」
に扱ってしまう可能性がある

DMと、上の図のような従来型の多様な人材管理方法は,決して「排他的」/「独立的」な関係にあるわけではないようです。著者の解説箇所を引用します。

例えば,ダイバーシティ・マネジメントのように多様な人材の潜在能力を活かしたいと思っても,そもそも社員が多様化していない場合はアファーマティブ・アクションのような法令に従って,まずは社員を多様化していく必要がある。しかし,社員の多様化が実現できたとしても職場内の人間関係が良くない場合は,多様な人材の潜在能力を活かす職場環境作りなど到底実現できるわけでない。したがって,この場合は「違いの尊重」のような従来型多様な人材管理方法を同時並行して行う必要がある。つまりダイバーシティ・マネジメントと従来型多様な人材管理方法は,本来は「非排他的」/「依存的」な関係にあるにもかかわらず,あまりにも「経営的視点」にとらわれすぎると「排他的」/「独立的」な関係のように扱ってしまう可能性がある。

P57

③動機としての「経営的視点」を結果としての「経営的視点」に履き違えてしまう可能性がある

もともと「経営的視点」は,なぜ多様な人材を活かすのか,なぜ多様な人材を活かすための取り組みを行うのか,その際の主な理由やきっかけに該当する「動機」だったようです。

しかし、あまりにもこの視点にとらわれすぎることで、結果としての「経営的視点」と勘違いしてしまったり,結果ばかりを追い求めて肝心要の「既存の組織文化と制度の見直し/ 変革」が疎かになってしまったり,或いは結果のために多様な人材の活かし方を追求するという因果関係の逆転現象を引き起こしてしまったり,最悪の場合はDMそのものを頓挫させてしまう可能性だってある、と、著者は述べています。

日本では、女性活躍の推進が国レベルでもアピールされていますが、あまりにもこうした風潮が強くなりすぎると,DMへの過度な期待やその裏返しでもある失望感,或いは反発や無関心の増幅といった事態を引き起こすことにもなりかねないとも指摘します。

トーマス氏の文献では、実際に、ダイバーシティの本家本元の米国においても、2008 年以降の不況の影響もあって,最近ではこのような類の「ダイバーシティ疲れ」が発生している(Thomas, 2010)とのこと。

著者の想い

DMとは「すべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」であり,その最大の特質が「既存の組織文化と制度の見直し/ 変革」にあると強調します。

これを障がい者雇用のコンテクストに適用すれば、「障害のある社員の潜在能力を最大限に活かす職場環境作り」のためには「障害のない社員や管理者・経営陣の無知・無関心と障害のない社員むけにデザインされた物的環境と制度の見直し/変革」が絶対に不可欠、となります。
他方で、これがダイバーシティ・マネジメントにおける「既存の組織文化と制度の見直し/変革」と同様に非常に難しいとも語っています。

かといって人権尊重や企業の社会的責任,法令順守といった動機だけでは「障害のない社員や管理者・経営陣の無知・無関心と障害のない社員むけにデザインされた物的環境と制度の見直し/変革」の着手さえもままならない。(中略)つまり障害者雇用においては「人権尊重・社会的責任・法令順守か,それとも経営的視点か?」といった二律背反的思考ではなく,双方がともに不可欠であるという発想が必要である。実際,障害者雇用に真面目に取り組んでいる企業をみると,最初の動機は人権尊重や社会的責任,法令順
守であったことも珍しくないが,障害をもつ人の雇用を維持したり拡大したりしていくために,なんとしてでも経営成果を出していくという経営陣
の態度や動機が少なくとも現場レベルでは徹底されている。そして,それが「障害のない社員や管理者・経営陣の無知・無関心と障害のない社員むけにデザインされた物的環境と制度の見直し/変革」への原動力となっている。

P62

こうした難しさを超えて、障がい者雇用とDMに関して、企業がどのように取り組んでいくかの具体的提案については、以下引用部にて触れ、この論文を結んでいます。

個別的対応の中にも共通性を見出していくという「普遍化」の発想が今後は必要となろう。例えば障害者雇用の現場では障害の程度や種類に応じて柔軟な勤務体制がごく普通に導入されているが,これを女性社員の子育て支援や高齢者の活用にも活かしていく。精神障害のある人材に対しては職場定着だけでなく定着後においても継続的ケアが欠かせないが、これを異なる障害を持つ社員や障害のない社員の離職防止さらには顧客の維持にも活かしていく。異文化理解や外国語の習得と同じ次元でろうあ者とのコミュニケーションを促す職場環境を作っていく。障害のある社員の人的サポートをヒントに
メンター制度の有効性を高めていく。特例子会社への出向者や障害者雇用担当者を本社人事部のダイバーシティ・マネジメント担当者に任命してい
くなどである。そうすれば「既存の組織文化と制度の見直し/変革」と「障害のない社員や管理者・経営陣の無知・無関心と障害のない社員むけにデザインされた物的環境と制度の見直し/変革」にともなう激痛がともに緩和され,障害のある社員も含めた「すべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」がよりスムーズに実現できていくかもしれない。

P62


感じたこと

この論文からは、著者のほとばしる熱い想いが感じられました。そのため、引用箇所を多めに投稿しており、多少長くなってしまいました。

また、DMとは「すべての従業員の潜在能力を活かす職場環境作り」であり,その最大の特質が「既存の組織文化と制度の見直し/ 変革」というのは整理になります。

経営的視点、いわば経済合理性の観点はとても重要ですし、むしろ、この視点なく人材開発を行うのは、言ってしまえば、手段が目的化していると捉えかねません。

しかし、障がい者雇用は、社会性の観点を含む考え方でもあります。こうした、社会性と経済合理性のパラドックスを生み、障がい者雇用に結果としての経営的視点を求めてしまう、という現象も起きるのだと理解できました。

社会性と経済合理性のパラドックスを超え、すべての授業員の潜在能力を活かす職場環境を作ることに腐心することで、結果としての経済合理性を獲得していく、という整理を違えないようにしないと、経済合理性に合わないことはやるべきでない、という一辺倒の考えに偏ってしまう(マッチョイズムっぽい思想)リスクがあるということを改めて認識しました。

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