MOA美術館

「感動の閾値」は人それぞれである。

人にはそれぞれ「感動の閾値」がある。自分が作った(広義の意味で記事とか写真とかSNS投稿とかも含めての)作品に対する感動の閾値は、人によって異なるのである。

自分が渾身の思いを込めて作ったものが評価されるかどうかは作り上げた作品の閾値次第で、最高傑作だと思っても案外評価されなかったり、6割くらいのパワーで作ったものが褒められたりもする。全力の作品が評価されると、この上なく嬉しいわけだが、このバランスはとても難しい。

閾値の設定ははたして自ずからできるものなのだろうか。ウェブで受ける記事というのは、受けることを予測して、大衆が受ける閾値を理解した上で、記事を作っているので、ある意味ではこの閾値を設定をしていると言える。

美術館を見ていると、閾値の設定が絶妙だなあと感じることが多々ある。企画展などは、誰もがわかりやすく、感動できるポイントをきちんと設計しているからこそ、たくさんの人を呼ぶことができるわけだが、あんまり馬鹿になりすぎると、それはそれで美術館の評判に影響を及ぼしてしまう。巧妙なさじ加減で、本質を曲げずに閾値を下げることができていて、素晴らしいなと思う。

一方で、ハナからそんな閾値を鑑みないで、全力で作品や展示を作る場合もある。美術館だと、最初から最後までハテナのままで終わってしまうことがある。分かる人にだけ分かれば良いというやつだろうか。

そんな長い前置きを通じて言いたかったのは、冒頭の写真にあるMOA美術館がまさに理解の範疇を超えた美術館だったということだ。ここを管理しているのはとある宗教法人。だから、かなり色濃い作品というか展示方法がとられている。もちろん、宗教を全面に押し出しているわけではない。だけど、わかりそうでわからない、すごくもどかしい気分にさせてくれる美術館だった。

閾値の設定方法は人それぞれだ。このことはとても大事なことなんだと思う。感じ方も千差万別。だから、みんながいいと言っているものを無理矢理にでもいいと思う必要なんて何処にもないよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?