定年ゴジラ(ネタバレします)

 重松清著「定年ゴジラ」を読みました。著者は作家で、カープファン。「赤ヘル1975」や「熱球」など、野球絡みの作品が多くあります。本書は、Amazonで購入したようですが、購入履歴によると買ったのは8年前でした。随分寝かしてしまったものです。

 主人公は東京郊外のくぬぎ台というニュータウンに住む山崎さん。大手銀行を定年退職したばかり、専業主婦の妻と2人暮らしです。娘が2人いるのですが、1人は嫁いで、もう1人は都心で一人暮らしをしています。現役時は朝6:57の電車で2時間の通勤をし帰宅は終電という生活をしていました。定年後は日々の散歩を日課にしているものの、完全に時間を持て余しています。

 散歩中に、くぬぎ台ニュータンの開発を担当した藤田さんという方と知り合います。同じくらいのタイミングで定年退職した方で、電車の中でよく顔を合わせていたとのこと。確かに、毎日同じ電車に乗っていると、同じ顔触れを見かけることになりますので、この件は面白かったです。大手広告代理店金だった町内会長の古葉さん、大手運送会社で新規の営業所立ち上げのため全国を飛び回った野村さんらと知り合い、彼らの家庭も含め、定年退職した後の人生について描かれています。

 第一章は、山崎さん、愚痴ばかりでした。家を買った当時は、何もない自然に囲まれた街を気に入っていたのですが、定年になってずっとその街にいると退屈で仕方がないといった調子で、自分で選んだというのに何を言っているやらという感じで呆れてしまいました。重松清作品も久しぶりだったのですが、私も年を重ねて共感しづらくなっているのかなと思ってしまうくらいでした。

 読むのを止めてしまおうかとも思いましたが、そこは生来の貧乏性から読み進めると、山崎さんが上京したての頃に、母親が東京に遊びに来て、邪険な態度を取った話や、その東京行きについて母親が帰ってからとても喜んでいたという話を聞いた山崎さんの心境など、ちょっと自分でも身につまされるものがありました。若い頃って、親がいるのが当たり前ですから、おせっかいをやかれると邪険にしてしまうんですよね。本書でも、近所づきあいとおせっかいの境界線について、その境界線の年代による違いについても書かれていました。二人の娘との関係や、仲間の家庭の状況など、それぞれ事情は様々ですが、共感できるところが多くある作品だと思います。一点だけ、苦言を言うと、呑み屋が1軒もないという設定はどうなのかなと思いました。一番近いのが電車で2駅行った先の呑み屋だというのですが、流石にそれには無理があるのではないかと思いました。しかし、解説には著者自身もニュータウン住まいだとありましたので、実際にそうなのかもしれません。

 夏休みにちょっと軽めな読書を楽しもうと手に取りましたが、なんとも丁度良い作品でした。

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