「年収の壁」日経報道、制度と政府の方針を正しく伝えて欲しい!

皆さん、こんにちは。年金界の野次馬こと、公的年金保険のミカタです。「年収の壁」に関するメディアの報道が盛んですが、残念ながら、その多くは制度を誤認していたり、事実を切り取ってメディアの都合のいいように報じられているもので、全く世の中のためになっていません。

下の記事もその一つですが、この「年収の壁」に関する報道が、いかに事実を歪めたものであるか、一つ一つ検証していきたいと思います。

年収の壁を解消するための最優先課題は?

まずは、下の記事の抜粋をご覧ください。年収の壁のために就業調整をしているパート主婦の保険料を肩代わりしようという支援策についてです。

3月初旬から中旬、厚生労働省の担当幹部らは首相官邸に何度も足を運んだ。年収の壁を巡る現状と対応について協議するためだ。同じ頃、国会では配偶者に扶養されているパート労働者、いわゆる3号の保険料を、国が実質的に肩代わりする支援策について議論が交わされていた。
「(自分で保険料を払っている)単身世帯と公平性が保てない」。幹部らの懸念をよそに、3月末にまとまった少子化対策のたたき台には支援策が盛り込まれた。
あまり注目されていないが、そのすぐ後ろには「さらに制度の見直しに取り組む」と踏み込んだ記載がある。
肩代わりではなく、壁そのものを無くしていく見直しなどが念頭にある。

出典 日経電子版:「年収の壁」改革、何度目かの正直なるか 小川和広

少子化対策のたたき台に、3号の支援策が盛り込まれたと書かれていますが、実際、年収の壁はどのように盛り込まれていたのでしょうか。3月31日に、こども政策担当大臣の名前で公表された「こども・子育て政策の強化について(試案)」(以下、子育て支援策)の中で、以下のように書かれています。

いわゆる106 万円・130 万円の壁を意識せずに働くことが可能となるよう、短時間労働者への被用者保険の適用拡大、最低賃金の引上げに取り組む。さらに、106 万円・130 万円の壁について、被用者が新たに106 万円の壁を超えても手取りの逆転を生じさせない取組の支援などを導入し、さらに制度の見直しに取り組む。

出典:第1回こども未来戦略会議資料「こども・子育て政策の強化について(試案)」

この文章の前半部分について、記事は全く触れていませんが、普通に読めば、適用拡大と最低賃金の引上げが、まず取り組むべき課題ということではないのでしょうか。その上で、さらに「106万円の壁を超えても手取りの逆転を生じさせない取り組みの支援」とあります。

適用拡大と最低賃金の引上げについて記事が取り上げないのはなぜでしょうか。適用拡大をこれ以上進めさせたくない経済界寄りの報道に見えますね。

また、子育て支援策のなかで、「106万円の壁を超えても手取りの逆転を生じさせない取組の支援」と言っているところがミソです。最優先課題である適用拡大の対象となる事業所の規模要件を撤廃し、最低賃金が全国的に1000円を超えるようになると、就労時間と賃金の関係はどのようになるでしょう。

時給が1020円で週20時間働くと、月収は88400円(=1020×20×52÷12、1年=52週として計算)となり、適用拡大による短時間労働者の被用者保険加入の要件(月収8.8万円以上、年収に換算すると106万円以上)を満たします。

適用拡大と最低賃金の引上げによって、週20時間以上働くすべての人が被用者保険の加入対象となれば、130万円の壁は解消し、あとは、週20時間以上、月収8.8万円以上働いて、被用者保険に加入するかどうかの選択になるわけです。

まずは、適用拡大をしっかりと進めることが政府の方針なのに、それを「日本経済界新聞」は人の目に触れないようにしているのではないでしょうか。

そして、文章の最後「さらに制度の見直しに取り組む」ということが、何を意味するのか、この後のパートで考えてみたいと思います。

手取りが減ることだけを伝える

次の問題点は記事の以下の部分です。

配偶者の収入が増えると社会保険料の支払いが発生し、手取りが減るのが「年収の壁」だ。本質的な問題は、配偶者の扶養に入っていれば保険料を払わずに厚い保障を受けられる第3号被保険者制度そのものにある。

出典 日経電子版:「年収の壁」改革、何度目かの正直なるか 小川和広

まずは、メディアお得意の「社会保険料負担で手取りが減る」という偏向報道。なぜ、被用者保険に加入すれば、「社会保険料負担に応じて保障が手厚くなる」という伝え方をしないのでしょうか?

3号を「手厚い保障を受けられる」という風に表しているのも、誤解を招きます。3号の保障は、年金では1階部分の基礎年金のみ、健康保険でも、傷病手当金や出産手当金といった保障がなく、決して厚いものではありません。

また、3号がお得な制度と勘違いして、妻を3号にしている夫は、今一度よく考えた方がいいでしょう。夫が払っている厚生年金保険料の半分は妻が払っているものと解釈されているので、モデル世帯の夫は、もし離婚すると、妻に厚生年金の半分を持っていかれるのです。

まあ、「うちは離婚なんて絶対にしない」と自信のある方はいいのですが..…

130万円の壁に対する誤解

次の文章では、日経が相変わらず「130万円の壁」を正しく理解しているか怪しいところが垣間見えます。

単身の非正規労働者らは、従業員100人以下の企業で年収130万円を超え、労働時間が週30時間に満たない場合は国民年金や国民健康保険の保険料を自ら納めなければならない。
厚生年金や健康保険と異なり会社側の拠出がないため負担は重い。国が検討する3号への支援策は、自ら保険料を納めるそうした第1号被保険者との公平性を著しく欠く。

出典 日経電子版:「年収の壁」改革、何度目かの正直なるか 小川和広

前段で述べた、3号だけ保険料負担を肩代わりという不公平な政策提案に対して書かれているのが上の文章ですが、記事を書いた記者が国の政策を正しく理解していないことが分かります。

そもそも、適用拡大の対象でない企業で働く単身の短時間労働者は、年収に関わらず国民年金と国民健康保険です。そのような、労働者であるにも関わらず、被用者保険に加入できずに国民年金と国民健康保険に加入している人たちに、労働者に相応しい保障を与えるのが適用拡大の意義です。

上の文章の後半は、3号だった人が130万円以上となり、30時間以上働けないために扶養から外れて、国民年金と国民健康保険に加入する際の保険料負担を支援するようなことが書かれています。

しかし、これは的外れで、3号に対する支援は「106万円の壁」に関するものに限定したものであることは、先に述べた通りです。企業規模要件の完全撤廃など適用拡大をさらに進め、「130万円の壁」を完全に解消した上で、3号が「106万円の壁」を超えて働けるための支援をしようというのが、子育て支援策に書かれている年収の壁に対する対応策です。(もちろん、こんな3号優遇策は大反対ですが.…)

それなのに、適用拡大を端折って書くので、おかしな解説になってしまうのです。

抜本的改革という妄想

記事の結びは、お決まりの抜本的改革です。

政府内にはカナダや英国を参考に抜本的に仕組みを改めるべきだという意見もある。実現すれば1986年に今の被保険者区分ができて以来の大改革だ。ある厚労官僚OBは「瓢簞(ひょうたん)から駒だね」とつぶやく。とかく冷やかされがちの「次元の異なる」少子化対策だが、意外なところから成果が生まれるかもしれない。

出典 日経電子版:「年収の壁」改革、何度目かの正直なるか 小川和広

保険料負担が壁とならないような諸外国の仕組みを取り上げていますが、今の政策の方向性についての評価というか、理解なしに語る抜本的改革は妄想に過ぎず、あまり意味はないでしょう。

それでは、子育て支援策に書いてある「さらに制度の見直しに取り組む」というのは、何を意味するのでしょう。

それを示唆するのは、次の文章で、2019年5月21日に、自民党が当時政務調査会長であった岸田現首相を中心にして取りまとめた「人生100年時代の社会保障改革ビジョン」からの抜粋です(太字による強調は筆者が加えたもの)。

勤労者皆社会保険 ~人生100年時代のセーフティネット
多様な働き方が拡大し、産業構造や就労構造の変化のスピードも速くなる中でも、全ての世代が安心して働くことができ、老後の安心を確保するためには、働き方の形態にかかわらず充実したセーフティーネットを整備する必要がある。
このため、企業で働くものは雇用形態を問わず社会保険に加入できるようにする「勤労者皆社会保険」を中小企業等への影響に配慮しつつ、実現するべきである。その際、例えば、所得の低い勤労者の保険料を軽減しつつ、事業主負担を維持する制度の導入を検討するなど働く現役世代に対するセーフティネットを強化するべきである。
就労を阻害するあらゆる「壁」を撤廃し、「働くことで損をしない仕組み」へと転換するために、いわゆる「130万円の壁」、「106万円の壁」や業種や企業規模による「壁」を打破すべく取り組む。

出典:自民党「人生100年時代の社会保障改革ビジョン」

やはり、「年収の壁」を解消するための対応策は、岸田首相の重要政策である「勤労者皆保険」の実現ということだと思います。そのために、事業主には、雇用するすべての労働者に係る保険料負担(事業主負担分)を課すことにし、保険料負担が生じない非正規労働者を雇用するインセンティブを排除することによって、働き方と雇用に対して中立な社会保障制度を目指すというのが、さらなる制度の見直しではないかと思います。

こういう話は、毎度お馴染みの権丈善一先生(慶應大学商学部教授)の「もっと気になる社会保障」(勁草書房)に詳しく書かれているので、社会保障に関する記事を書く記者の方には是非読んで欲しいと思います。

この本には、子育て支援にかかる財源の話も載っているので、今世の中で議論されていることを正しく理解するためには、必須の参考書です。

それでは、皆さん、ごきげんよう!

#日経COMEMO #NIKKEI


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