読書録:アダム・グラント『ORIGINS:誰もが「人と違うこと」ができる時代』(2016, 三笠書房)

 世間では10連休らしいが、10連休にならない職場であるため、どこにも旅行せずに過ごす予定の2019年のゴールデンウィーク。国内旅行だとどこも混んでいるだろうしということで、祝日に旅行するよりも、平日に休みをとって旅行がしたい。とはいえ、ぶつぶつ連休ではあるものの、普段よりも自由にできる時間が多いことは確かなので、この連休は勉強をしたいなと思っている。

 松浦壮『時間とはなんだろう』が途中になっていたけど、そこは気にせずに他の本を読み進めている。今回記録として残すのは、界隈では有名なアダム・グラントの著作。例によってまだ読んでいる途中なので、そこまでの記録になる。また、本書に書かれていることで、今自分が試みていることが説明できそうでもあったので、本書の記録+私が文章表現をするうえでの考え方について、残せればいい。

(追記)なぜか最後に「都市と地方」の話になってしまった。

(19ページ)
 もちろん、完全にオリジナルなものなど存在しない。ある意味、どんなアイデアも、私たちをとり巻く世界で学習したことが何らかの影響を与えているものだ。…私のいう「オリジナリティ」とは、ある特定の分野において、その分野の改善に役立つアイデアを導入し、発展させることを意味する。

 ジェームズ・W・ヤング『アイディアのつくり方』を彷彿とさせる。私の「アイディア」に対する考え方は、ヤングのそれに基づいているので、そうだよなという感じ。

 要するに、アイディアとは要素の「新しい組み合わせ」ということ。新しい「要素」を創造するのはだいたい無理だが、新しい「組み合わせ」を見つけるのは頑張ればなんとかなる。夜空を見上げて「ねえ、新しい星を作ってよ」というのは無茶ぶりであるが、「ねえ、新しい星座を考えてよ」というのは無茶ぶりではない。ただ、子ども場合はこのようなフリに喜々として応えてくれるのだが、大人になると何かノリが悪くなるというか、自由に考えられなくなる。なんでだろね。

(69ページ)
 サイモントンの研究によると、ある分野における天才的な創作者は、同じ分野にとり組む他の人たちよりも、とくに創作の質に優れているわけではない、という。
 ただ、大量に創作すると、多様な作品が生まれ、オリジナリティの高いものができる確率が高くなるのだ。

 質より量、というやつ。そりゃそうだよねという感じではある。本書の解説者も述べているが、著者は「言われてみれば当たり前」のことを言っている。とはいえ、言われるまでは分からない(意識化されない)、ということもたしかであるので、こういったことを意識化させてくれるのは本書の魅力だろう。

 私のnote執筆に対する姿勢も、これによって根拠づけることができる。中身のない記事であったり、訳のわからない記事であったりと、散々な記事を「量産」しているが、それはきっとこういうことだよ(?)。

(80ページ)
 このことから、オリジナリティを正確に評価するには、自分自身で判断しようとしたり、上司に意見を求めたりするのではなく、同じ分野の仲間の意見をもっと求めていくべきだとわかる。

 私はnoteで記事を投稿しているが、投稿すると私のfacebookにもその旨を投稿する。noteを始めた当初は、私の記事を読むとすればfacebookの友達になっている人かな、と思っていたが、意外とnoteでも「いいね」してくれる方もいて、ほー、と思っていた。「いいね」が多い記事、少ない記事というのもあって(相対的な話だよ)、一体何が違うのだろうとも思うことがある。ここ1週間くらいは、読まれる記事について考えてみたりもする。

 思うに、私はnoteのSNS性をもう少し利用すべきなのではなかろうか。自分の記事への反応というものに、もう少し真摯に向き合って、どのような文章が良いものかを考えてみたほうがいい気がする。

(374-375ページ:監訳者の言葉)
 (経営学の競争戦略について)戦略の本質をひと言でいえば、「競合他社との違いをつくる」、これに尽きる。あっさりいってしまえば、競争戦略とは「他社と違ったよいことをする」ということだ。…だから、戦略論の行き着くところはつねに「模倣障壁」の問題になる。他社が追いかけてきても真似できない障壁をいかにつくるか、という話だ。…模倣されるのが遅いか早いかの違いはあっても、「模倣障壁の構築が重要」といった瞬間、持続的競争優位というのは論理的にはずいぶん窮屈な話になる。

 なぜか末尾についている監訳者の話にとぶ。私の場合、本を読むときは、最初と最後を読んでから中身に入る。しかし、今回はうっかり監訳者のコメントを読んでしまった。ただ、意外と面白かったので引用させてもらう。

 うちの自治体も「都市から地方へ」という文脈で、様々な施策を打って、ヒト・モノ・カネを地元に引き寄せようとしている。ただ、こういった施策を見ていつも思うのは、「都市と地方の違い」は主張されていても、「自分たちの地方と別の地方の違い」は、さして主張されていないということ。良くも悪くも、地方はまた別の地方という競合他社と戦っている。そんな状況で、どのような戦略をとるか(違いをつくるか)ということについては、もう少し頭を使っても良いんじゃないかと思う。

※ 全然関係ないけど、都市から地方へ「情報」を引き寄せようとしている動きってあるのだろうか。

(89-90ページ)
 その結果、もっとも創造的なコレクションは、ディレクターの海外経験がもっとも豊富なブランドのものであったが、とくに興味深い点が三つある。1つ目は、海外に「住んだ」時間は関係なく、海外で活動的にデザインにたずさわり「仕事をした」経験が、新しいコレクションがヒットするかどうかの指標になったという点だ。…二つ目は、接した外国の文化が自国のものとかけ離れているほど、その経験がディレクターの創造性に与える影響が大きかったという点だ。…三つ目の点にしてもっとも重要だったのは、「経験の深度」であった。つまり、どのぐらい長く海外で仕事をしていたかが重要だったのだ。

 「都市と地方」の文脈で、今度は本文から。地方だと、都市圏への「人口流出」を抑えるために、地元進学・地元就職を推し進めている。本文の研究結果は、こうした地方の施策が、長期的に見たときには裏目に出ることを示唆している。もし、地元の人が全員地元の学校に進学して、そのまま地元の会社に就職するようなことにでもなったら、その地方の「創造性」あるいは「地方間競争力」は、ボロボロになるだろう。

 というところまで。

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