見出し画像

抜け殻と『東京の音』

たのみつる年の若さを数かぞへみて
指を見つめて
旅がいやになりき (石川啄木)
〜「東京の音」より


今日ようやく家に帰ってきた。


4月頭のフォーレのレクイエムの本番から始まって、ようやく一息。
パリ ー オルレアン ー ベルリン ー パリ ー ベルリン ー パリ ー ブザンソン ー パリ

オルレアンに4日間滞在して
『東京の音』初日本番から
夜中にパリの自宅に戻り
翌朝5時に家を出て飛行機でベルリンにて
『ドン・ジョバンニ』本番。
続けて翌朝6時ホテルを出てパリに渡航、
ルーブル美術館で『東京の音』2公演目。
友達もたくさん来てくれて、嬉しかった、、、のも束の間、
翌朝5時に家を出て飛行機でベルリンに、
行ったら速攻フォトセッションとリハ
さらに『ドン・ジョバンニ』2日目。
翌朝に、一瞬時間ができて、
ベルリン在住の友人とお昼できたけれど、
それも束の間。
その後、もう飛行機は嫌で、ベルリン〜パリの電車9時間の旅。
これまたグッタリ疲れ、
翌日はようやくオフ……

と思ったら、病欠の代役でさらにもう一本歌うことになり
ガビーーーーンとなりながらも
オフ返上で必死で譜読み。
翌日、ブザンソンへ向かい、丸一日ほぼ休憩なしのリハ。
翌日、昼過ぎまでオフでHP更新、、、
午後リハの後、夜本番『東京の音』。

書き出してみると大したことないけど
渡航が本当に厄介で、毎度抗原検査でドキドキするし
予約取ったり、駆け回ったり、
本当に本当に大変でした。
しかも、途中、飛行機が欠航になり、
電車チケットを急遽取らなきゃ行けなかったり。。。
今振り返っても、どうやって超えられたのか謎なレベルでした。

体調も、本当に奇跡的に切り抜けられて、
パリ〜ベルリン往復中の3日間は合計で10時間ほどしか寝られず。。。。
他の歌い手さんはどうか知らないけど、
私は寝ないと回復できないほうで、
完全にアドレナリンだけで維持してる状態でした。
ただ、免疫が落ちると、流行り病に罹るリスクは上がるし
ずーーっと変な緊張が続いてる感じ。
敢えていうなら、脇腹に帯状疱疹じゃないと願う湿疹が。
まだ治ってない。


『TOKYO NO OTO』


ジェローム・コンビエが数年あたため続け
ようやく実現した『東京の音』。
見事な作品の中で、重要な役割として
歌わせてもらえたことは本当に有り難い。
書きたいことは色々あるんだが、
相変わらずの不安定な本番事情を
幸運にも全ての公演を予定通り運べたこと
まずそれが奇跡というか、大成功と言っていい。
演奏が難しい作品に仕上がったけれど
日本人、東京生まれ育ちの私にとっては
「東京」に見える風景がとにかく
懐かしかったり、可愛かったり
時に終演10分前のナレーションで聞こえる
啄木の詩のワンフレーズ

「旅がいやになりき」


を聞くと、
別のことに集中していないと
思わず涙が心からドボッと溢れそうなほど
自分の今とシンクロしていた。

確かに、日本にいる日本人が見たら
仮想現実の東京の見えるかもだけど、
私は客観的に捉えても
本当にお見事だなと感じるほど
舞台上で「現在の東京」を作り上げた。
私にはノスタルジー以外の何者でもない
感動というよりも、
私自身に寄り添うように心を打つ作品となった。

ちなみに、パリのルーブル公演は
高評価いただきました✨


旅がいやになりき、、、なのだけど
まだ旅が待っている。
皆さんご存知の通り、
GWは東京でWSとライブ三昧なのだが、
その前に、再びコロンビアに呼ばれた。
あと3日で出発だ。

パリ ー ボゴタ ー パリ ー 東京 ー パリ ー カンペール

今は疲れと睡眠不足で
すっかり抜け殻なのだが、
滅多にない、そしてあり得ない忙しさに
言葉どおり「忙殺」されたので
貴重な体験として
メモしておくことにする。


またしても束の間のオフ。
4月21日からコロンビア4日連続本番、
パリに一晩戻って、その後東京へ。
東京に戻ったら、さらに怒涛うううう。。。。。
5月中旬までノンストップだけど、
体調管理を最優先で、頑張るしかない。

頑張れる理由は一つあって、
どれもが自分が本当にやりたいことだから。
一つ一つを大事に
一度きりのその日の尊い演奏をしたい。

4月前半でお世話になった仕事の方々に
心から感謝。
ありがとうございました!







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?