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翻訳家という職業

 さて、ようやく「フランスの女」の連載再録も終わり、このページのオーナー(?)としてはここからリスタートという新たな高揚を感じています。
 少し前の投稿でも触れましたが、この note のページは娘の後押しなしにはとてもスタートさせることができなかっただろうと思います。その理由のひとつには、現在抱えている翻訳がとてもヘビーで、その片手間に何かを書くなどという気力も体力も湧いてこなかったということがあります。
 もうひとつの理由は、旧ブログ(新十勝日誌)で「ムルソーの食卓」という長編エッセイを書き上げた時点で、自分のなかで何かがぷつりと終わってしまったと感じたことがあります。大事に育ててきたブログだったので、写真アップの更新だけは続けています。存続させているだけで十分、これからは全エネルギーを翻訳作業に傾注していけばいいと考えていたところでした。
 そこに娘が提案してきたのです。note というプラットフォームに自分のページを開設してみないか、と。今、注目されているサイトだし、有名人も参加している、フォロワーの人数を確認することもできる、有料ページにすることもできるとか、いろいろ情報をくれたのです。
 それを聞いたときの第一印象は、めんどくせぇな、でした。旧ブログでは、ときどきコメントの投稿はあるものの、どこでだれが何人くらい、このブログを購読しているのか、とくに意識もせずに思いついたことを気ままに書き継いできたのでした。でも、その一方でこれでは自己満足の域を出ることはできないということも意識していました。そこでそういう中途半端な状態に決着をつけるために「ムルソーの食卓」を書いたのでした(ほかにも理由、動機はありますが)。
 そこに書いた砂漠のシーンは、私の青春の終わりを告げるものでした。もう思い残すことは何もないと思ったか、もう怖いものなど何もない、と思ったか、あとは雪崩を打って翻訳という職業にのめり込んでいったという感じでした。
 ルイス・ヴァルニエ監督の『フランスの女』を試写会で見たあとで、ノヴェライズの打診を早川書房の担当編集者から受けたとき、真っ先に頭をよぎったのはシリア砂漠のシーンと自分がサハラ砂漠で見た実際の光景の交錯でした。あのシーンがなければ、こんな大変な仕事は引き受けなかったかもしれません。
 その担当編集者はとっくに早川書房を退職して、いまはどこで何をしているのかもわかりません。かつて飛ぶ鳥を落とすような勢いでベストセラーを連発していた編集者がいつのまにか出版業界から姿を消してしまうということは、そんなにしょっちゅうあることではありませんが、珍しいことではありません。
 出版業界とはそんなところです。芸能界と似たところがあるかもしれません。
 長いことこの業界で生きてきて、いつしか肝に銘じていることがあります。書物は書き手の作品ではない、編集者の作品だ、ということです。書き手の作品は原稿を書き上げたときまで。そこから編集者の作業が始まり、本の姿となり、商品となり書店に出回っていく。その意味では、編集者の作品であるだけでなく、書店を巡る営業スタッフの作品でもある。
 そのことを忘れると、この業界では生きていけないのです。
 話が逸れました。
 なぜ娘の提案を受け入れ、このページを立ち上げたのか、というところに戻ります。面倒臭いと思って、自分を閉ざしていくと、これからどんどん世界は閉ざされていくのではないかと考えたのです。寄る年波には勝てませんが、老け込むには早すぎる。誰かが何かの提案をしてくれるのなら、まずは可能性を考えてみること、そして考えてばかりいては何事も前に進まない。まず一歩前に踏み出そう。
 そして「ごあいさつ」というページをアップしたのでした。
 でも、そのあとが続かない。このページに注ぐためのエネルギーが湧いてこない。だから、開設してから一カ月ほど何も書くことができなかった。娘にはもうこの note のアカウントは抹消してほしいとまで伝えた。すると娘は面倒臭いことは全部自分がやるから、お父さんは文章と写真だけ送ってくればいいよというではありませんか。
 そこまで言われて、引き下がるわけにはいかない。
 それに何より、初老の父と所帯を持って母となった娘が共同でなにごとかをやるということ自体、とても魅力的なことだし、レアなことではないかと考え直したのです。
 そして私は旧ブログを読み返すことから始めた。そして目についたのが「フランスの女・抄」と題したノヴェライズだった。このノヴェライズを書いたとき、ブログで縮小版の連載に取り組んでいたとき、そのときのエネルギーが蘇ってきた。このエネルギーを動力源として、とりあえずこの note のページを続けていってみようかと考えたわけです。
 けっして読者を挑発しようとしたのではなく、自分自身を挑発し、励起しようとしたのです。
 『フランスの女』という映画作品から、私は「フランス」は死んだというメッセージを受け取りました。ジャンヌの死とともに「フランス」は死んだ。ナンシーのスタニスラフ広場を生き残った軍人のルイが静かに淡々と歩いていく。その姿に、それでも人は生きていかねばならぬという覚悟のようなものを受け取りました。
 翻訳という職業を通じて、私が実感しているのは、「時代」は死んだかもしれない。「国」も破れたかもしれない。でも、個々の作家たちは生きている。生きて魅力的な作品を書きつづけている。だから、簡単に憂いたりするな。ひとりで奮闘しつづけるしかないだろう、ということに尽きます。
 国破れて山河あり、ではなく、国破れて、人あり。それが最近、呪文のように呟きつづけている言葉となりました。
 能書のようなものは書かないことにします。次回からは、翻訳という仕事のもっと具体的な、実践的なステージへと移っていくことにしましょう。

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