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『君たちはどう生きるか』〔本〕人

「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」

山本有三『路傍ろぼうの石』の中の有名な一節である。

山本有三は栃木が生んだ文豪である。私の実家は、山本有三の生家から歩いて20分ほどのところにある。私は小学3年から高校3年まで、山本有三が生まれた栃木市で過ごした。入学式や卒業式だけでなくいろんな場面で耳にした一節である。私の心に深く残っている言葉でもある。

路傍の石とは、道端みちばたに転がった石ころのことだ。その石ころはこのひろい世界のいくつもの片隅に転がっている、ほんのちっぽけな存在にすぎない。

1935年10月に新潮社から山本有三先生の『心に太陽をもて』という本が出ました。これは山本先生が編纂された『日本少国民文庫』全16巻の第12巻で第一回の配本でした。この文庫は、ときどき間をおきながらも、だいたい毎月1巻ずつ出して、1937年の7月に完結しました。『君たちはどう生きるか』は、その最後の配本でした。

吉野源三郎「作品について」(『君たちはどう生きるか』岩波文庫版より)

1937年に出版された吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、山本有三が編纂した『日本少国民文庫』全16巻のうちの一冊であった。

16巻の『日本少国民文庫』ができましたが、『君たちはどう生きるか』は、その中で倫理を扱うことになっていました。そして最初は、山本先生自身がこれを執筆される予定になっていたのですが、この計画をいよいよ実行に移す段階になって、残念にも先生は重い目の病気にかかって、執筆はとうていのぞめないということになりました。それで、他に頼む人もないままに、私が代わってこの一巻を書くことになったのです。

吉野源三郎「作品について」

少年のための倫理の本でしたけれど、300枚という長さを、道徳についてのお説教で埋めても、とても少年諸君には読めないだろうと考えましたので、山本先生にご相談して、一つの物語として自分の考えを伝えるように工夫しました。文学作品として最初から構想したのであったなら、また、別の書きようがあったかもしれません。

吉野源三郎「作品について」

こうして、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は生まれた。

吉野源三郎が書いたこの「作品について」は、ポプラ社刊『ジュニア版 吉野源三郎全集1 君たちはどう生きるか』に付されたものだ。この小文は、岩波文庫版の『君たちはどう生きるか』にも再掲された。

1967年ポプラ社刊の「君たちはどう生きるか」は、1937年に出された『君たちはどう生きるか』からいくつかの変更が加えられている。
これに対して、1982年に出された岩波文庫版は、1937年に出された初版の『君たちはどう生きるか』を底本としている。

初版が復活するにあたっては、政治学者の丸山眞男が深く関わっていた。

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