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Jリーガーの青年期。 高校生編

皆さんこんにちは。
高木利弥です。

前回は勝負の世界の厳しさについて書かせていただきました。
父親に関して子ども目線で書かせてもらったので、
また皆さんとは違った考え方だったかと思います。

今回は『僕の生い立ち』シリーズの高校生編をお届けできたらと思います。
高校生編も2つくらいに分けて書いていきたいと思います。
もしよろしければコメントなんかもしていただけると、
次回に反映させられるので嬉しいです。

高校選手権への憧れ

前回の中学生編②でも書いた通り、
僕はFC東京U-15深川から帝京高校に入学することになりました。

FC東京U-18への昇格が出来なかった僕は、
他のJクラブのユースチームではなく高校の部活でサッカーすることを選択しました。

その理由が2つあります。
1つ目はご存知の方もいらっしゃると思いますが、
冬の選手権ですね。
高校サッカーと言えば冬の選手権と僕の中では明確でした。
それに出てみたかったということです。

僕は父親が長崎県の名門である国見高校出身ということもあって、
小さい頃から国見高校を応援しに選手権を見に行ったり(家から近かった駒沢陸上競技場だけでなく遠方の市原臨海だっり西が丘サッカー場などにも行ったりしていました)それこそ国見高校サッカー部が選手権中に滞在しているホテルにも連れて行ってもらった記憶があります。

当時の幼い僕が高校生を目の当たりにすると、
こんなにも大きいのかと驚いた記憶がありましたし、
実際に試合を見に行くと、
お客さんもすごく多くて試合に出られなかった部員たちの声援やチアリーダーのパフォーマンス・ブラスバンドの応援歌がスタジアムに響き渡っている。
幼い僕にはとても刺激的で、
こんな雰囲気の中でサッカーをしてみたいな・かっこいいなと憧れの目線で見ていました。
もちろん今でも脳裏に焼き付いています。

自分に足りないもの

そして2つ目は、
中学生編でも軽く触れましたが、
僕に足りないものが高校サッカーにはあると思ったからです。

当時(中学3年時)、僕は身体がとても小さかったですし、
身体の線もかなり細かったです。
父親にもFC東京のユースチームへの昇格ができなかったことが分かった瞬間、
「お前は厳しい環境に行って自分を鍛えろ」
と言われたことを覚えています。(前回の記事では命令みたい口調でしたが、命令ではないです笑)

僕自身もその足りないことはもちろん技術面も含めてもっと練習を積んで鍛えていかないとここで終わってしまうという危機感みたいなのは感じていたので、
自分にとって厳しい環境に身を置こうと思っていました。
これが2つ目の理由ですね。

帝京高校に入学した理由

ではなんで父親の出身校である国見高校を選択しなかったのか。
ここに関しては、
僕もいまいちわからないんですよね。笑
父親の恩師でもある小嶺忠敏先生が既に国見高校サッカー部の監督から退いてたということと、
生意気な話にはなりますが、
僕が高校に上がるタイミングの国見高校は高校選手権でもあまり勝ち上がることができていなかったので、選択しなかった。
これらが考えられるのかなと。
ちょっと図々しい言い方になってしまいましたが、
お許しを。

実は当初はその時強豪とされていた石川県の星稜高校だったり熊本県の大津高校に行きたいなと僕自身は考えていました。
しかし、
高校の練習会やセレクションに参加する時期であった中学3年の夏僕は怪我をしてしまいました。
なので、希望していた高校の練習会や入団テストに行くことができませんでした。
そんな中、怪我をしていた僕を受け入れてくれたのは帝京高校でした。
当時帝京高校サッカー部の監督であった廣瀬龍さん(現カンボジア代表監督)は父親が現役時に所属していたフジタ工業(現湘南ベルマーレ)の先輩後輩の関係ということもあり、
親交がありました。
そういう経緯もあり、
「お前は廣瀬さんのとこでしごかれろ。」
と言われ、
帝京高校サッカー部への入部が決まりました。
もちろん怪我もしていましたし、
サッカーでの特待生入部ではなく、
一般のサッカー推薦という枠で入れてもらいました。
(これはFC東京の下部組織にいたということがある程度のステータスになっていたため、
優遇していただき拾ってもらったということですね。)

今回はここまでにしておきます。
次回も引き続き高校生編になります。

予告としては、
色んな経緯から名門帝京高校サッカー部に入部することになりましたが、
名門ならではの上下関係だったり、
入部して衝撃を受けたこともちろん念願であった高校選手権に出場した話など書いていきたいと思います。

またみなさんのご感想等、
コメントなどもしていただけると嬉しいです。
Twitterでのメッセージもいつもありがとうございます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の回で。

              高木利弥

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