見出し画像

Jリーガーの青年期。 中学生編

みなさんこんにちは。
高木利弥です。

今回は中学生編の続編になります。
まだ幼少期から見ていない方はそちらから。
また徐々にnoteの使い方もわかってきていて、
マガジンを作成しましたので、
そちらでまとめて『僕の生い立ち』を見られるようにしておきました。
よろしくお願いします。

さて、
本題に入ります。

FC東京U-15深川当時のメンバー

予告でも軽くお伝えした通りFC東京U-15深川(FC東京の下部組織)に無事合格し入団することになった僕ですが、
早々に挫折を味わうことになります。

自分が想像していたよりも遥かに同期入団の選手たちのレベルが高かったことです。

そのメンバーの中には、
武藤嘉紀選手(現ヴィッセル神戸)
上形洋介選手(現ギラヴァンツ北九州)
といった実力者の集いでした。

武藤選手とはチームメイトというのと同時に、
家も近く同じ中学校にも通っていて、
学校終わりに最寄りの駅に集合して2人で電車で練習に通っていた思い出があります。
コンビニに行ったり電車内でゲームをしたり好きな女の子の話をしたり、
思春期ならではの懐かしい思い出ですね。笑

そんな武藤選手・上形形選手に限らず、
他のメンバーはジュニア世代の日本代表を経験している選手だったり、
僕が小学生の時に選ばれていた東京都選抜で一緒に戦った仲間・他の地域で選抜に選ばれていた選手がほとんどで小学生の頃に所属していたチームと比べると、
数段、レベルが上がって僕自身東京都選抜に選ばれた経験はありましたが、
出鼻を折られたというかこの先大丈夫かなと少し不安になった記憶があります。

試合に出られなかったこと
成長について

先程も書きましたが、
僕自身小学生のころ選抜に選ばれたり所属チームであったMIPFCでの成長も感じていたので、
中学生に上がってからもしっかり試合に出てもっと成長していくんだと意気込んでいました。
しかし、周りのレベルの高さという大きな壁が立ちはだかり、1年生の最初の方は試合に出ていたりしていましたが、
学年があがるにつれて出場機会がなくなっていき、
3年生に上がった時には、
ほとんど試合に出ることがなく1年間が終わってしまったという挫折を味わいました。
これが2回目の挫折ですかね。
まだまだありますよ。笑

サッカーキャリアにおいて
初めて試合に出られないという経験をここでしました。
勝負の世界ですからサッカーはピッチに11人しか立つことができません。
とても悔しかったのを覚えていますし、
中学3年の時に中学生最後の全国大会(当時は高円宮杯という大会)では全国3位というチームとしては素晴らしい成績を残すことができたのですが、
チームには申し訳ないですが僕自身素直に喜べなかった記憶があります。

もちろん試合に出られなかったのは自分の実力不足ということで、
そこに原因があるのだと思います。
当時はなんで出られないんだという思いはありましたが、
絶対に原因はあります。
その1つの要素として

僕の身体の線が細く小さかったことです。

もちろんこれだけではないです。
僕の技術的なところで力が及んでいなかったというのが大前提なのは間違いないです。
ただ、身体が細く小さかったというのもあったかなと思います。

今でも覚えているのですが、
当時、中学3年生の時点で身長が150cmくらいしかなく学校でも順番が前の方でした。
FC東京U-15深川のメンバーの中にも同じくらいの背丈の選手もいましたが、
その中でももちろん小さい方でした。
高校に上がってから大きく伸びたのですが、
成長期的に考えるとかなり遅かったのかなと思います。
あまり身体のことばかり言うと、
言い訳っぽい感じにもなると思うので身体のことはここまでにしておきます。笑

ここまでネガティブなことが多いですが、
FC東京U-15深川に入ったことに後悔はありません。
実際に実力者揃いの高いレベルで鎬を削れたことで成長することができたと思いますし、
チームメイトだけでなく対戦チームにもレベルの高い選手が多かったり海外遠征をした際には同世代の海外選手とも肌を合わす経験ができたことだったりなど素晴らしい経験ができました。

高いレベルに自分自身が感覚として慣れていくということは大事なんだと思いますし、
この感覚はプロになった今でも大事なことだなと思っています。

これはサッカーに限らずどの業界にも言えることなのかな。
自分を常に厳しい環境に置くこと。
これからも心掛けていきたいところです。 

進路面談での衝撃の出来事

少し中学時代から話は逸れましたが、
中学3年生というと進路をどうするかという時期でもありますよね。

僕はJリーグに所属しているFC東京の下部組織にいたので、
もちろんプロであるトップチームまで上がっていきたいという気持ちはありました。
当時のFC東京の中学生年代(いまはわかりませんが。。)は、僕の所属していたFC東京U-15深川とFC東京U-15むさしという2つのチームで構成されていて、
大体互いのチームから約5人ずつくらいが高校生年代であるU-18のユースチームに昇格することができるシステム(あとは外部から何人か取ってくるという感じ)となっていました。

しかし先程も書きましたが、
試合に出ることができていなかった僕は、
正直、自分でも昇格するのはかなり難しいかなと思っていました。

なので、
中学3年の夏くらいに行わられる進路面談の時にユースチームに昇格ができないと言われる覚悟は自分の中でもありました。

ただそこでも挫折というか悔しい経験することになりました。

面談当日にチームスタッフから言われた一言目が、
「どこの高校にしようか。」
という一言でした。

これはさすがに悔しかったですね。
覚悟していたとはいえ、
昇格できる・できないとかではなく進路先をどうしようかということは、
もはや眼中になかったということなんですよね。
もちろん畜生という気持ちもありましたが、
実力が足らなかった自分にも腹が立ちましたね。

この時にもっと練習してもっと努力して絶対見返したいという気持ちになりました。
この進路面談で、
進路先が決まったわけではないのですが、
結果的に進路先に帝京高校を選択しました。
また帝京高校に入学した経緯に関しては次の記事で書かせていただきたいと思います。

父からの指導

そんな苦しい中学時代を過ごした僕ですが、
当時父はJリーグの横浜FC・東京ヴェルディの監督をやっていた時でした。

もともとあまり指導を受けることはなかったと書いていましたが、
中学時代も父からのサッカーの指導はほとんどなかったですね。

小学生の頃に言われていた
取られたら取り返せだったりという精神的なことは引き続き言われたりはしていましたが、
技術的な部分の教えというのはあまりなかったと記憶しています。

父なりにわざと言わないようにしていたのか
それとも特に言うつもりはないのかわかりませんが、
僕の記憶だとそのような感じです。

ただ次の記事で詳しく書かせていただきますが、
帝京高校への入学を後押しというか背中を押したのは父でしたね。
僕に足りないものを帝京高校で鍛えて得られるんではないかと言ってくれたのは覚えています。
(こんな口調ではなく、行け!という感じでしたが。笑)

今回はここまでにしておきます。
今回は少し長めになってしまいましたが、
僕の中学時代をざっくりではありましたが振り返らせていただきました。

次回の予告に関しては、
FC東京U-18のユースチームに昇格できることができなかった僕は、
名門帝京高校に入学・サッカー部に入部することになりました。
そこ入学に関してのエピソードだったり、
入学してからのエピソードを書いていきたいと思います。

長々とありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。

              高木利弥

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?