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最後の選手権。Jリーガーの青年期。

皆さんこんにちは。
高木利弥です。
いつもありがとうございます。
お陰様で、
少しずつ読んでいただいてる方が増えていて嬉しいです。

前回は初めて高校選手権に出た時や高校サッカーならではの厳しさについて書かせていただきました。

今回も少し延長にはなりますが、
題名にもある通り高校最後の選手権についてなど書かせていただけたらと思います。

それでは本題に入ります。

厳しさが故の良い経験

高校1年で高校選手権に出場したという素晴らしい経験させてもらいましたが、
実際に戦ってみて全国の舞台のレベルは高く、
1年生にして挫折を味わいました。
(僕自身、毎年のように挫折を味わっていますが。笑)

この悔しさを晴らそうと、
2年・3年と学年が上がっても必死に練習しました。

僕がいた当時の帝京高校では、
砂浜合宿というボールを持って行かない走るだけの合宿が名物としてありました。
※今はおそらくありませんが。

2泊3日とか3泊4日とかで行くのですが、
ただ走るだけなので、
朝起きて走って
朝ごはん食べて走って
昼ごはん食べて走って
夜ご飯食べて寝る
という日々を過ごします。

文章にしたらもはやサッカー部ではないですよね。笑

しかも砂浜での走りなので、
意図的なものだど思いますが、
足元はすごく不安定で、
前に進むだけでもかなりパワーがいりました。

こんな合宿を高校3年間で何回も行っていました。
行き過ぎて何回かは忘れました。笑

こんな合宿をしたり、
日本各地バスで遠征に行ったり、
高校3年次にはイタリア遠征に行かせてもらうなど国内に留まらず素晴らしい経験をさせてもらいました。

悔しさだけが残った全国大会

そんな厳しい練習を乗り越えて、
僕は2年生の時にも再び高校選手権に出ることが出来ました。
2大会連続出場ですね。
ただ、僕の中で選手権に出ることが目標ではなく勝つことが目標でありましたし、
1年生の時に経験した悔しい思いを晴らそうと思っていました。

しかし結果は2年連続初戦敗退。
全国の壁というのはやはり高かったです。
こんなに練習して、こんなに走ったのに勝てないのかと。
あと僕の中でこの大会においては悔しさというより責任というのが強く感じた大会でもありました。
1年生の時から試合に出させてもらっていて、
チームを引っ張らなくてはならない存在なのに、
勝たせる選手になれなかったこと。
まだまだ甘いと思いしらされました。

ゲキサカより。上段右から3人目。
選手権1回戦vsルーテル学院高校

僕はインターハイ(高校総体といい、高校年代の2大大会と言われています)にも3年の時に出場しており、
このインターハイでも初戦敗退でした。
全国大会には何度か出場できていますが、
勝つことが出来ておらず、
残すチャンスは3年最後の選手権だけとなりました。

負傷。そして最後の選手権

学年も3年に上がり最後の選手権で「全国大会で何としても勝たないといけない」
そう意気込んで最後の選手権予選に向けて練習に明け暮れていた時でした。

厳しい練習をやってきた疲労が溜まってきたのか左膝に違和感を感じるようになりました。

当時は練習を休むという概念がなかったので、
まぁ大丈夫でしょうとあまり気にせず、
いつも通り練習を続けていました。

すると、
ついに左膝がパンパンに腫れ上がってしまい、
膝が曲がらないくらいになってしまいました。

最後の選手権予選が迫っている中で練習を休むことはしたくありませんでしたが、
ドクターに診てもらえと周りの人から言われ、
実際に病院で診てもらうと、
「左膝半月板損傷」という診断を受けました。

ドクターからはすぐに手術を受けたほうがいいと言われましたが、
手術を受けたら選手権予選に間に合うどころか本戦にも間に合うかわからないような怪我でした。

ドクターや父親からはその後のサッカーキャリアを考えても手術を受けたほうがいいのではないかと言われましたが、
僕は全国大会で勝たないといけないという責任を感じていましたし、
ここで諦めるなんて考えられませんでした。

僕の意志が固かったこともあって、
父親からもそれなら協力すると言ってもらい、
高い費用を出してもらってリハビリ施設に通わせてもらうことになりました。
そこでなんとか動ける状態まで持っていくことができましたが、
フルタイムで試合に出ることは困難でした。

僕がリハビリをしてる間に、
チームのみんなは順調に予選の準決勝まで勝ち上がっており、
僕も何とか準決勝に間に合うことができました。
15分間という短い時間の出場でしたが、
勝利することができました。
あとひとつ勝てば全国大会に出場でき、
目標としていた全国大会で勝ち上がっていくということに挑戦することができます。

決勝戦。
僕が1年生の頃に初めて経験した全校応援(詳しくは過去の記事を見てください!)を改めてベンチから眺めると、
この学校の応援はほんとにすごいなと思いました。
試合が始まる前ではありましたが、
帝京高校に入ってよかったなと感じました。

そんな応援を背に、
この決勝戦も僕は残り15分間の出場しか出来ませんでしが、
結果は終了間際に1点を取られ、
0-1の敗戦。

ゲキサカより。3年選手権予選決勝。

結局、高校3年間で全国大会で勝利することはできませんでした。
怪我をしたことは悔やんでも仕方のないことですが、
やはり最後は不完全燃焼だったという記憶が強いですね。
敗戦後に涙は出てきましたが、
引退ってこんなにも呆気ないのかと思いました。
それくらい実感が湧かなかったです。
あんなに走って厳しい練習ばっかりしたのに、
最後はこんなにあっという間なのかと。
そういう意味ではとても悔しかったです。

僕の高校サッカーキャリアはこのようにして幕を閉じました。
なかなか上手くいかないですよね。
まだまだ上手くいかないことはこれからなんですけど。笑

僕の場合ですが、
上手くいってる時の方が圧倒的に少ないですし、
もちろん挫折だらけです。
それはプロになっても変わらないのですが、
そういったこともまた追って書いていきます。

今回はここまで。
大学進学についてまで書きたかったですが、
次回に回します。

予告としては、
高校3年間でなかなか上手くいかなかった僕ですが、
大学進学の時も挫折を経験しました。
そんなストーリーを書かせていただきます。

まだまだ言葉足らずで、
改めて執筆というか文章を作るというのは難しいなと感じますし、
日々勉強しながら頑張ってます。
今回もありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

              高木利弥

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