Jリーガーの少年期。

みなさんこんにちは。
高木利弥です。

今回は前回の『幼少期』からの続きで、
僕の少年期に関して書いていきたいと思います。
まだ読んでいない方はぜひそちらからご覧ください。

5〜6歳で東京に越してきた僕は、
自宅近くの私立小学校に入学することになりました。
なぜその学校になったのかは全然わからないのですが、(親が決めたことなので。)
そこの学校は、
まずランドセルがみんな黒で、
先生が教室に来た時にやる「起立」というルールもなく、
給食ではなくお弁当を持っていくというスタイル(他にも多々面白いルールはありました)といった私立独特のスタイルがある学校でした。
のちに僕は公立中学校に入学するのですが、
この私立のスタイルが当たり前だったので、
驚いたというより全然違うんだと戸惑った記憶があります。
当時の同級生はこの私立という環境もあってか個性的な人たちが多くて今でも交流があるのですが、
変わった人が多いですね。笑
私立と公立と僕はこのようなギャップを感じたのですが、
みなさんもこのようなイメージはお持ちでしょうか。
もし何かエピソードがあれば、
コメントお待ちしてます。

さて、話が少し脱線しましたが、
サッカーの話題に入りたいと思います。

東京の小学校に入学してからその小学校のサッカーチームに入ることになりました。
どんな経緯で入ったのか記憶にないのですが、
おそらく友達が入るからみたいな経緯だったと思います。
特段、父親がサッカー選手だからやるみたいな理由ではなかった気がします。
僕の記憶もかなり曖昧な所はあるんですが、

サッカーをやるように言われたというよりかはサッカーというものが身近にあったことで、
自分もやるようになったというような感じです。

そして高学年になった時に、
MIPFCという世田谷区のサッカークラブの1期生として移ることになりました。
週末はチームメイトと大きいファミリーカーに乗り合わせをしてあちこちに試合をしに行った記憶があります。
サッカーはもちろんですが、
こういう旅行感覚みたいなのも楽しかったなと今になると思います。
サッカーに限らずスポーツをやっていた方はこういう経験はあるのでないでしょうか。

このMIPFCというクラブに入るタイミングに有難いことにヴェルディジュニア(東京ヴェルディの下部組織)に合格していました。
ヴェルディジュニアに入る選択肢もありましたが、
当時の僕の実力だとおそらくヴェルディジュニアで試合に出ることは難しかったと思います。
もしかしたらヴェルディジュニアに入っていたら今の僕はなかったと思います。
(都大会でそのヴェルディジュニアと対戦するのですが、しっかり負けました。笑)

MIPFCでは、
サッカーを楽しむことはもちろんですが、
もしかしたら小学生という年代では早いのかもしれないですが、
勝負にこだわることだったり対戦チームより必死に走らないといけないだとか厳しさも指導してもらいました。

父からの指導も似た感じで、
それこそ技術的な指導はほとんどありませんでした。(父自身があまり足元に自信がなかったのかもしれないですが。笑)
ただ、これも厳しさに付随しますが、

『自分がボールを取られたら何があっても自分で取り返しにいけ』

ただこれだけ言われていました。
他のことには何ひとつ怒ったりしないのですが、
僕がボールを取られて取り返しに行ってなかったら怒鳴られてた記憶があります。
恐怖体験ってやつですね。
あ、ちなみに今は言われないです。笑笑

結果的にチームとしては都大会出場止まりになってしまいましたが、
個人的には東京都の選抜チームに入ることまでできました。
それはもちろん技術的な指導をしてもらったたこともありますが、
コーチそして父からの厳しさの要素の方が強かったと今となっては思います。

のちに高校(帝京高校サッカー部時代)の時のことも書きたいと思いますが、
きつかったなーとその当時は思いますが、
今となってはいい経験だったと思いますし、
サッカーだけでなく人間としても成長させてもらい貴重な経験をさせてもらったと思っています。

今回はこの辺で。
次は中学時代をお伝えしたいと思います。

予告的なことをすると、
中学時代はFC東京の下部組織に入りました。
そこでのサッカーに対する考え方だったり成長過程を書いていけたらと思います。

引き続きよろしくお願いします。

              高木利弥

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