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ヴレ・ド・ヴレ〈vere de vere〉 (note de ショート #13)

「このワイナリーは、建てて10年になるかな。ここで作るものは外に出して売るつもりのない。まあ、完全に道楽だよ(笑)」

 そう言ってナミカワさんは笑った。小高い丘の上にある見晴らしの良い広々とした場所に、あたり一面の葡萄畑。収穫した葡萄を醸造・保管するワイナリーを、道楽で作ってしまうって...。ある所にはあるんだな。

「今まで外の人に見せたことないし、これからもそのつもりはないよ。ここを見せたのは、出来たばかりの頃に妻に見せただけだな。え? どんな反応したかって? 『しょうがないわね』と笑ってたよ」

 と言いながら、ナミカワさんも笑った。

「若い時はワインなんて興味なかったんだけどね。お酒を飲むと言ったらビールだった。グビグビとよく飲んだよ。今思うとあれは、喉が渇いてただけなんだよ(笑) 本当はビールじゃなくて水でも良かったのかもしれない。若い時はとにかく喉がよく渇いたな」

 何かを思い出しているようなナミカワさんの口ぶりだった。

「今若い人は、あまりお酒は飲まないんだよね?」

 僕は、「はい」と言った。

「うん。いいと思うよ。アルコールなんて毒だしね(笑)飲んだ翌朝はしんどいし、体がだるいし、目は腫れて顔がむくんでしまう。飲まないといられないなんて体になったらマズいもんね」

 穏やかに笑いながら、ナミカワさんはそう言った。

「お酒を飲む時間があったら、別のことをしたほうがいいかもしれないね」

 と言いながら、ナミカワさんは樽の方へと近づいた。

「歳をとって時間が出来たから、ワインを飲み始めたんだと思う。ワインはバタバタ飲むもんじゃないし、ゆっくり時間をかけて飲まなきゃ美味しくないしね」

 ナミカワさんは、何かを思い出したように話し始めた。

「若い頃ビール飲んでたのは、さっき言った喉の渇きと早く飲めるからだな。今より時間がなかったけど、ビールならさっさと飲めちゃう。そういうことだったんだね」

 なるほど。「そうかもしれないですね」と、僕は言った。

「だから若いのにワインに興味があるって、君は優雅な若者ということだ」

 ナミカワさんは楽しそうに笑った。

「話してばっかりも何だから、少し飲もう」

 ナミカワさんは左手に、風船玉のようなワイングラスを左手に持ち、それを大きな木の樽の栓の下へと持っていった。ゆっくりと慎重にナミカワさんが栓を開くと、真っ赤を通り越し黒味すら感じさせる色のワインが、トクトクという音を立てながら、グラスに入っていった。ナミカワさんはグラスの取っ手をつまみながら持って、目の高さにまで上げ、ゆらゆら揺らし満足そうにうなずいた。

「君も飲んでね」

 ナミカワさんはそう言いながら、別のワイングラスに僕の分を注いでくれた。僕らはグラスを持ちながら樽の部屋を出て、隣の小さな部屋に入った。小窓から柔らかな陽が射し込む部屋の中央には、ウォルナットのガッシリしたテーブルがあり、僕らはグラスをその上に置いた。


「少し置いておこう」

 テーブルの上に置いたワインを2人で眺めた。

「注いでからすぐ飲めない、と言うのがワインの良いところだよね。目の前にあってもジタバタせず、慌てずいられるかを試されてるみたいだね」

 初めてワインを飲んだ時、正直最初はあまり美味しいと思わなかった。でもそれは自分の飲み方に原因があるんだと後から知った。グラスに注いですぐに飲む、と言うのは、ワインの飲み方ではないらしい。ボトルから注いだばかりのワインをすぐに飲むと、酸味や苦味といったものが先に舌に乗ってしまい、ワイン本来の姿を見せてくれない。ボトルから出したワインを口の大きなグラスや、デキャンタと言われる水差しのようなものに入れてしばらく空気を触れさせることにより、ワインはその本当の姿をようやく見せてくれる。自宅に招いたお客が上着をとってくれるような感じ。時間が経ち、よそ行きの服を脱いでからようやく打ち解ける。ワインにはそういうゆったりとした時間が必要なんだと教わった。気心が知れたら柔らかでスムーズな会話が進むように、ワインもその味から角が取れ、まろやかな風味を見てくれる。

「そろそろかな」

 ナミカワさんはそう言って、グラスを口元に持っていった。少しだけワインを口に含み、それをクチュクチュと、歯磨き後のすすぎのように口の中で転がした。

「最初これを見た時はびっくりしてたよね(笑)」

 1口目は口の中でも空気と混ぜることが大切だと、ナミカワさんに教わった。

「そうそう。それに、歯茎で味わうことが大切なんだよね。味って舌で感じるとばかり思ってる人が多いけれども、実は歯茎でも結構味をキャッチしてるんだ。だから、こうやって1口目はこんな感じでクチュクチュやるんだけどら知らない人を見たら下品と思うかもしれない。でも、ワインが好きな人はこうやるよ」

 こういうことを聞くと、「めんどくさい」と思う人が多いのかもしれない。思った時にパッとできなかったり、いろいろ手順を踏まのばならないというのは、「ダルい」の一言で片付けられそうだ。だからみんなペットボトルや缶に入った飲み物を飲むんだろうな。

「どんな飲み物も、とまでは言わないけれど、グラスやコップに注いで飲む手間を嫌がらない人間でいたいよね」

 他の人はどうだかわからないけれども、僕はバタバタと忙しくなってくると、胸のあたりがきゅーとなってくる。そして頭痛が始まり、呼吸が浅くなる。昼間にそうした時間が続いた日は、夜に1杯のワインを飲むことにしている。部屋の灯りを少し落とし、好きな音楽をかけてゆっくりとワインを飲む。すると、ようやく深く息が出来る気がする。

「最近ではコンビニとかでもワインを売ってるよね。いいんだけれども、あれだけ明るいところに置きっぱなしというのは良くないよ。光に当て過ぎるのは良くない。直射日光を避けて涼しいところに置いておくのがいいんだよね。ピカピカキラキラしたところにあまり行かない方が良いのは、人も同じだよ(笑)」
 
「このワイナリーの名前?」

 僕は前から気になっていた。商売をされているわけではないし、外に向けて発信されてるわけでもないから、名前なんてどうでもいいとは思うのだけれど、ナミカワさんなら名付けていそうな気がした。

「『ヴレ・ド・ヴレ(vere de vere)』だよ」

 え?何だそれ?初めて聞く言葉だ。何語なんだろう?

「フランス語だよ」

 すごい!フランス語しゃべれるんですね!

「いや、全然(笑) それ以外のフランス語は『セ・ラ・ヴィ(C'est la vie)』ぐらいしか知らないよ」

 「セ・ラ・ヴィ」も僕は知らない(笑) 「ヴレ・ド・ヴレ」って一体どんな意味なんだろう?

「『本物中の本物』とか、『正真正銘の』という意味らしい。好きな作家のエッセイを読んでいたら、たまたまその言葉が出てきてね」

 なるほど。どうしてその名前にしようと思ったんですか?

「フランス料理店でこの名前を付けてる店は結構あるみたいなんだけれど、そういう店は、『うちの店は本物のフランス料理を出してます』とか、『うちの店は正統派フランス料理店です』と言いたいんだと思う」

 なるほど。

「僕にはそんな気合いは無いよ(笑) ただ葡萄を栽培し、それを樽に詰めて醸造してワインを作るという過程を自分でやってるわけね。つまり、ワインができるまで全部自分が見届けている。だから、『このワインは何も余計なものを入れず、ごまかさず、時間をかけてちゃんと作ってます』と言うことを、胸を張って言える。僕が思う『正真正銘』とか『本物』ってそういうことだから、この名前にしたんだ」

 なるほどー。「全て見届けているから、胸を張って言える」か。

「『真っ当にやってる』と言い換えてもいいね。でも面白いのは、いくら真っ当にやっていても、ダメな時はダメなんだ。人間がマジメに一生懸命やっても、天気やら何やらの要素の方か勝っちゃう。『あれだけやったのになあ』と思っても報われない事もしょっちゅう。真っ当にやるってことは成功を約束してくれるってことじゃないんだよ。エントリーの条件みたいなもの」

 厳しい...。

「難しい顔をしてるね(笑) でもね、逆もあるんだよ」

 逆、ですか?

「そう。『今年は何もかも上手く出来なかったなー』と思ってその年のワインを飲んでみたら、素晴らしく美味しいって時があるんだ」

 へえー!何でですかね?

「わからない。誰かの気まぐれじゃない?! 」

 ナミカワさんはそう言いながら、天を指差した。

「善人に雷が落ちることもあるし、さして何も頑張ってない人を楽園に連れて行く場合もあるし。だから、とにかくやめないことだね」
 
 そうですね、やめないことですね。お互いに笑って、ワインを一口飲んだ。

「これは、楽園の方だね」

 ナミカワさんはそう言って笑った。


〈このエピソードの他にも、「note de ショート」というシリーズで2000文字〜8000文字程度で色々なジャンルのショートストーリー(時にエッセイぽいもの)を、月10話くらいのペースで書いていますので、よろしければお読みください。〉


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