#1675 キャンセルカルチャーと訂正する力
最近読んだ本2冊はこれ。
中原 一歩 (著) 『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』
東 浩紀 (著) 『訂正する力』
1994年当時、問題となった『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』を読んで、記事自体がなんとなく”盛っている”感はあった。
”盛られている”と言った方が正しいのかもしれない。書いている方もふざけていると言うか、世の中を舐めているというか。
そして、読者の側にも「そういうもんだよね」という”許す”空気もあったのかもしれない。
もちろん、いじめは許されることではないが、誇張しすぎていることを皆理解していた空気があった気はする。
30年後の現在、その空気が無くなって読者の”認識してる世界”が変わってしまった。なので、そのフィルター通して(当時の空気を)読まないと意味はわからないとは思う。
そのフィルターが『訂正する力』に書かれている「実は。。。だった」だろう。
TwitterやFacebookが浸透しすぎた2010年代以降、右か左かという極端な主張で論破したりマウントを取ることがが評価の基準になってしまった。インププレッションを稼げるし。
ただ、もうそれにも疲れてきてしまっているのではないか。Twitter改めXはインプレゾンビの溜まり場となってしまったし、Facebookは詐欺広告だらけ。
2020年代は(もう半分過ぎてしまったが)、「適度に科学的で間違っているかもしれないという謙虚さのある発見と、学びの声(©️マルクス・ガブリエル)が必要。」となるだろう。
それが「実は...だった」な訂正する力。
2冊続けて読むことでよりスッと入ってきた。
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