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からやぎ【短編小説】

 インスタグラムを開けば、都会に出ていった同級生たちのすてきな日常が、私をボコボコに殴ってくる。打ちのめされて、モヤモヤとした暗雲のような気持ちが心の底に溜まっていくのを感じる。ハァ〜〜〜。煙草の煙と一緒に、思わず特大の溜息をつく。流行りの店、都会にしかない服、化粧品、話題のスポット…。そんなものこの田舎町にはない。何処を探したってひとつも無い。
「幸せが逃げたな」
いつの間に隣に立っていた上司がせせら笑う。彼は胸ポケットからiQOSを取り出して吸い始めた。ひとつひとつの動作に、カランカランと鈴の音の効果音がつく。熊避けの鈴だ。ズボンに吊り下げているせいで、動く度に小気味よい音がする。作業服の肩には、スギの葉が乗っている。
「枝払いでした?」
「いや、間伐の様子見てきた」
瑞々しいスギの匂いが、iQOSのなんとも言えない匂いにかき消されて薄らいでいく。
ここは山しかない。鬱蒼と生い茂る山しかない。私の二十代はこの山と共に死んでいくのだ。

高校を卒業して、なんとなく地元に残る道を選んでしまった。森林組合に事務として就職し、そこからずるずると気づけば二十六歳だ。私は貴重な二十代の前半を、書類と木屑に塗れて殺してしまった。
別に特段都会に出たかった訳ではない。
しかし、都会のキラキラした世界は妬ましい。心の中で誰かの声がする。『そう思うならあんたも都会に行けばいいのに』。二年前にここを出ていった、友だちのサッコの声だ。
サッコは、私と同じく高校を卒業して地元の小さな印刷会社に入った、居残り組だった。買ったばかりの軽自動車でドライブに行ったり、数件しかない居酒屋で一緒にクダを巻いたり、色んなことをした。
「金も貯まったし、来月から仙台に行く」
突然言い出したサッコと、その時もドライブをして国道沿いの道の駅に車を停め、煙草を吸っていた。
「え〜いいな〜〜、私も都会に行きたいよ〜。なんだよ、わたしを置いてくのかよぉ」
私の心臓が何故がバクバクと大きく跳ねる。それを悟られまいと冗談めいた声色で返事をするが、サッコの顔を見ることができない。
「そう思うならあんたも都会に行けばいいのに」
サッコは少し怒っているようでもあった。
何故かは分かる。ぐずぐずと田舎は嫌だ嫌だと文句を言っている、からやぎ(面倒臭がり)の私に腹が立っているのだ。私も私に腹が立っているくらいだから、分かる。場の空気が一瞬冷たくなったが、そこからまた他愛も無い話が続いたので、私は少し安心した。
今じゃあまり連絡もしない。まあ、そうなるだろうなとは思っていた。そう思ってしまう自分が、とても淋しい人に思える。

あと少しで定時、という時間に「平庭さん、今日、夜空いてら?」と唐突に上司が聞いてきたので、何事かと思ったら飲み会のお誘いだった。なんでも、隣の町の森林組合に新しい人が入ったらしい。そこの森林組合とは所有している山が隣接していて、付き合いも深い。交流を深めるためにお酒でも、という話だった。
町の寂れた居酒屋に時間より少し前に着くと、まだ型崩れしていない作業服の若い男性が、所在なさげに店の前に立っている。この人だな、と直感的に思い声をかけた。
「あの、もしかして隣の森林組合に新しく入った方ですか?」
少し緊張した顔で、綺麗な標準語で男性は答える。
「あ、はい、そうです。早坂です」

早坂さん。二十五歳。東京生まれ、東京育ち。国立大の環境ナンチャラ科で、マツの生育の研究をしていた。ブランド化しているこの辺りのアカマツに惹かれて、縁もゆかりも無いこのド田舎に越してきた。林道を走りたいから、四駆のSUVを越してくるときに新調した。
ただ座っているだけなのに、これだけの情報が矢継ぎ早に耳に入る。田舎のおじさん特有のグイグイくる感じに、早坂さんも少し驚いていた。こんなにプライベートのことをズカズカと、都会だと大問題だろう。
少し離席して居酒屋を出て、外で煙草を吸う。ひんやりした外気は、煙草の美味しさを助長させた。
……しかし、何が良くって都会からこんな田舎に。
私は人生でいちばん楽しい時間を、この田舎で無為に過ごしてきた。いくら好きだからといって、都会を捨ててまで、田舎の森林組合に入るのか。私には全く考えられなかった。
毎日朝起きて、母親の作ったご飯を食べ、化粧を軽くして出社して、仕事をして、ちょっと残業して帰って、お風呂に入って、スマホを弄りながら寝て…。それが私の毎日だ。腐った、インスタ映えしない毎日だ。だめだ、お酒が入っているのもあって泣きそうだ。自分がとても惨めに思える。サッコや早坂さんには到底及ばない、ダメな人間に。
「だ、大丈夫ですか?」
声がして驚いて顔を上げると、早坂さんが電話を片手にそこに立っていた。
「具合悪いんですか?誰か呼びましょうか?」
「いや、いいんです、なんでもないです」
鼻を啜って手で早坂さんを制す。
「早坂さんは、都会を捨ててここに来て、後悔は無いんですか」
飲み会中、一度も会話したことが無かった女が、急にそんなこと言い出したら戸惑うだろう。早坂さんは案の定、困った顔をしていた。
「都会か田舎かなんて関係ないですよ。僕のやりたい事がここにあっただけなんで」
「…そうですか」
「ちょっと失礼します」
早坂さんは少し離れて、誰かと電話している。
私のやりたい事、って、何ですかね。
やりたくてしょうがない衝動なんて、そんなの感じたことがない。今の今まで。サッコも、早坂さんも、そんな衝動を感じてしまったんだろうか。環境や人生を変えるような。
やはり私は惨めな人間だ。愚図だ。からやぎだ。また涙が浮かんでくる。そして私は確信する。きっと一生このままなんだろうな。
時間を間違えた間抜けな山鳩の声が、寂れた町に響く。早坂さんは少し離れたところで、笑いながら電話をしている。熊が出てきて私を襲えばいいのに、と本気で思った。

#2000字のドラマ

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