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続編:黄金に輝く日の昇る国日本②~10個の太陽?~ 

 ネット界隈では二ビルが太陽に見えて、太陽が二つあるように見える等噂の領域として流れていましたが、古くからの伝説や宇宙空間の話に詳しい人からすると【太陽が複数存在】事はあり得る話なのです。当然現代の皆様の頭上で太陽が二ついきなり出たら驚くのは最もな事では有りますが・・・。
しかし、我が国この日本でも誰でも知っているあの天皇の祖先が【複数の太陽を見た】という話が残っているのです。
 本日は、そういった内容をご紹介しながら、太陽が複数存在する可能性について述べてまいりたいと思います。

【世界各地に残る複数の太陽の伝説】

①アステカ神話より 
※注意:この件は同時ではないですが5回太陽が出没と死滅を繰り返しています。つまり【5つの太陽が存在した】事にはなります

アステカの創造神話では世界は今までに5回創造されたと伝えられている。「第5の太陽」と呼ばれる現在の世界に先だつ4つの太陽(=時代)はいずれも滅亡した。
【1】第1の太陽「4のジャガー」(Nahui Ocelotl)
テスカトリポカが主宰し、巨人が支配していたが、ジャガーが巨人を喰い、滅亡した。
【2】第2の太陽「4の風」(Nahui Ehecatl)
ケツァルコアトル(あるいはその風神としての側面であるエエカトル)が主宰し、大風で滅ぼされ、人間はサルになった。
【3】第3の太陽は「4の雨」(Nahui Quiahuitl)
トラロックが主宰し、火の雨で滅ぼされ、人間はイヌ、シチメンチョウ、チョウになった。
【4】第4の太陽は「4の水」(Nahui Atl)
チャルチウトリクエが主宰し、洪水で滅ぼされ、人間は魚になった。
【5】第5の太陽は「4の動き」(Nahui Ollin)
トナティウが主宰する。他の4つの太陽と同様に地震によって将来滅亡し、人間は空の怪物(ツィツィミメ)に喰われると考えられている。 このように世界が何度も創造されたとするのはメソアメリカ全般に見られ、非常に古い伝統にもとづく。
~以上~

 上記は同時ではないから、太陽が複数出る事なんか有るの?って思った人もいらっしゃるかと思います。なので次に太陽が同時に出た話を紹介していきます。
●扶桑国:山海経
前回のお話にも有りましたように10個の太陽、そして矢で撃ち落とし9個になった。これは後の中国の神話にもなっているので山海経の話が元になっているか、民衆に伝搬していたと考えられると思います。
●満州族:『溝族民間故事題』より参照

黒竜江省孫呉 県の老シーャマンが語ったのは次のような内容です。初めて天地が出現したとき、 混沌暗黒の状態であった。至高の天神阿布下恩都里を助けて、その2人の娘が 3万3丁・3百3十3の小さな托里(満州語で銅鏡)を作って空中に放ると、満 天の星となった。大神はさらに十個の火炎銅鏡を作り、これが十個の太陽になっ た。娘はこれらの鏡を手にもって天から地を照らすと、 天に十佃の太陽が現れて地上の草木は枯れた。木を切って弓を作り、椴樹の樹皮と藤蔓を使って弦にして太陽を射落とし、 ただ銅鏡2個を残すだけになった。天神は娘2人に分担保管させた。これらが 今の太陽と月である。
●ナナイ族の伝説
※注:ナナイ族とは?ツングース系の民族。
分布は主にアムール川(黒竜江)流域で、ロシア国内に約1万2,000人弱(1989年)。中国(中華人民共和国)国内にも居住。2004年人口調査時の中国における国内人口は4,640人であった。中国内のナナイはホジェン族(Hezhen;赫哲族、拼音: Hèzhézú ホーチョーズー)という呼称が公称となっており55の少数民族の一つとして認定されている。ロシアではかつて、ゴルディ(Goldi)、ゴルドないしゴリド(Gol'dy)とも呼ばれた。ロシア連邦に住んでいるナナイの一部ではロシア人との混血が進んでいる。

ナナイ人の伝説では、昔太陽は3つあって熱さで石も柔らかくなってしまっていた。余りにも暑いので、男女がそれぞれ太陽を弓矢で射った。
以後太陽は1つになった。

 つまり、この様に多数の太陽というモチーフは、アジア大陸やロシア大陸台湾、スマトラなどの島国地域にも広く伝播がある。この話も元から大陸が一つであった事を考えればある意味当たり前なのかもしれませんが(人の行き来が簡単であっただろうし)
この様に世界規模で見れば当たり前のように複数の太陽の伝説がある事が分かって頂ければなと思い例を挙げてきました。さて、ここから視点を身近な日本に向けいて行きたいと思います。

【我が国日本にも神社にその痕跡が残っています】

神道に関する場所には太陽を撃ち落とす行事や、複数の太陽については天皇の言論として残っている事を御存じでしょうか?また天皇家の話ではなくとも、

ゲーター祭:コトバンク等よりまとめ参照
三重県鳥羽市、志摩諸島に属する神島で、大晦日の夜から元旦の早朝にかけて行われる民俗行事。大晦日の晩に、,宮持ちと呼ばれる年番の神社役の家で日輪を模してグミの枝を束ね白い紙で巻いた“アワ”と呼ばれる大きな輪をつくり、それを元旦の早朝、東の浜に担ぎ出して紙矛をつけた長い竹の棒で高く突き上げる。アワが高くあがればあがるほど豊漁になると言われている。

やがてアワは地面にたたき落とされて神社に奉納される。にせの太陽をたたき落とすための祭りといわれ,新年を迎えて,古い年を代表する太陽をたたき落とし,新しい太陽と交代させる行事とも解される。この行事に引き続き,「サバ」と呼ばれる円筒形の木製物が投げ入れられ,人々は一年の幸福を求めて奪い合う。夜が明けると,日向の祭と呼ぶ宴が朝日の差す浜で行なわれる。

県の無形民俗文化財に指定。人手不足により、2018年元旦から中止が続いている。

実際の祭りの取材記事についてご紹介します

【三重・神島のゲーター祭】

観光案内より引用詳細は→こちら
以下の太字の言葉は、三重県鳥羽市八代神社(神島)で行われている御神事の由緒です。

「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く、若し日輪二つあるときは、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」

鳥羽市観光情報HPよりの引用写真です

と、あるはっきりしているのはこの言葉のみ。実はこの祭は、謎めいているそうだ。南北朝時代の思想を現したものと言われ、新しい年を迎える「迎旦」が訛って「ゲーター」になったと言われているが、いまだに語源・由来も不確かで謎が多い。邪悪を払い、無事平穏な新しい年の日の出を迎える願いを込めた戦いの祭り・・・。他にも、この祭りの起源は太陽の復活を祈るもの、女神である竜神に対する性的な祭祀等諸説があり不明だが、この祭りは大切に受け継がれています。
~以上~

【タカチホ考察1】
これって深読みするんじゃなくて単純に太陽二つじゃなないの?ってたかちほは思いました・・・。ゲーターとはgatorと考えると和邇(ワニ)って考えられませんか。そう和邇とか・・・
日本で和邇氏というと太陽信仰と鍛冶で知られています。つまり太陽信仰。太陽を表現していると私自身は考えております。和邇は金毘羅の神様でもありますね。
【タカチホ考察2】
日本の天皇は日本原住民とは対立勢力です和爾氏は海人系であるために宗像氏の卑弥呼を隠したいのであれば、天皇(王様)は二種類いらないから撃ち落とすと意味にも取れます。実際神武東征や稲荷山で原住民が日本の原住民たちは殺戮されてきました。
【タカチホ考察3】
太陽が複数ある可能性は宇宙全体で見ると物理的にも実在するし、自然現象としても存在します。つまり全面否定はできないという事です。

【日本の天皇が見たという二つの太陽】

「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く、若し日輪二つあるときは、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」
という言葉が上記の祭りでもありましが、その他にも、実は複数の太陽を天皇が目撃した例があり、その事で祠を建ててるんです!

【応神天皇が見た二つの太陽】

「3世紀のその昔、誉田別尊(応神天皇)が、二つの日輪を見た、という奇端があり、祠を建てて 「日群之社八幡宮」と名付けらた」
※注:きずい【奇瑞】めでたいことの前兆として起こる不思議な現象。瑞相(ずいそう)。吉兆

日牟禮八幡宮
ウィキべディアより引用。元記事は→
こちら
伝承によれば、131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている(この大嶋大神を祀ったのが、現在の大嶋神社奥津嶋神社なのか、境内社の大嶋神社なのかは定かではない)。275年、応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所が設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられたという。991年(正暦 2年)、一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。さらに、1005年(寛弘 2年)、遥拝社を山麓に建立し下の社と名付ける(現在の社殿は下の社に相当)
~引用以上~

【祠を立てた後に起きた出来事】

『日群の社』という漢字、よ~く覚えてから下の内容を読むと、不比等の意図がよ~く解ります。何気なく漢字をすり替えて居ますよね?↓

691年、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)

名前を変えるのに関わる八咫烏とかの例でも分かるように漢民族ですから漢字のカバラを使って物を隠していると詳しい人であれば気が付く内容です。

『日群の社』→『比牟禮社』

※禮は礼の旧漢字です

これを分析すると全然違う意味にされている事がわかります。以下に分析して行きます。

【以下の漢字の説明はすべてコトバンクからの引用です】

『日群』は
①ひ 【日】

(「陽」とも書く)太陽。日輪。おひさま 太陽の光線。日ざし。日光
②ぐん 【群】
群がること。集団。「―をなす」

つまり・・・。
太陽もしくは日輪が集団、つまりは複数という意味になりますよね?
ところがです・・・

『比牟禮』はデジタル大辞泉より
くらべる ころ たぐい
1.二つのものをくらべた割合
2.同列に並べる。並ぶ。「比肩・比翼/櫛比(しっぴ 
3. 同等に扱われること。同列におかれること。たぐい

牟ニコニコ大百科より
意味:ウシの鳴き声、大きい、増やす、倍、(冒と通じて)取る、奪う、(侔と通じて)ひとしい。

礼〔禮〕goo辞書よりレイ(漢) ライ(呉) [訓]いや 〈レイ〉
社会生活上守るべき行動の形式。規範となる作法。また、儀式・制度など 敬って拝すること。おじぎ
感謝の意の表明。おれい
〈ライ〉
~以上~
『 敬って拝すること』だとつまり全体的意味は
並んで奪った者の方を拝すると言う意味になりますよね?

つまり太陽が複数あって集団をなしているという意味から変化しており、もう一つの太陽をを奪う。太陽は二ついらないという上記の発言とも重なってくるわけです。
「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く、若し日輪二つあるときは、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」
つまり天皇ってアマテラスという役職にもなぞらえるので二つの勢力を一本化したいという意味にも取れます。実際に斎宮の宮を忌宮と書いた看板を奥に隠しているのでその可能性も高い訳です。太陽の巫女の存在隠しです。

日本某所にて撮影:普段は開いていないので見る事は出来ない貴重な写真です

その後・・・1876年(明治9年)に郷社、1916年(大正5年)には県社に列せられる。1966年(昭和41年)、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。

つまり神社本庁さんは、『日群』ではなく・・『比牟禮』の方から名前を付けていると思われます。

つまりこの話って応神天皇が3世紀に二つの太陽を見たという瑞相記念に立てたはずなのに、途中から二つの太陽があったから一つを突き落としたという話になっているし、実際ゲーター祭りでもそうなっていませんか?って事です。つまり漢字のカバラから見ても、最初は単純に二つの太陽があったという話なのに、途中から天皇家に対抗するもう一つの勢力に勝った勝利記念の話にすり替えたともとれます。

では次は科学的に太陽が複数あるか見ていきましょう

複数の太陽が科学的に実在するか?

まずこれは、私が撮影した写真です。

大小の太陽が二つ重なっているように見えたので撮影
七面山頂で目撃   

そして以下は幻日という現象です

Wikipediaより引用

太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象のことである。空気中の小さな氷の粒によって屈折されてできます

つまり何らかの原因によって現代でも太陽が複数に見えるという事実自体は有るって事です!                       しかし、この広い宇宙には本当に太陽が複数ある星があります


Kepler宇宙望遠鏡による複数の太陽の発見!

引用先:理の惑星様→こちら

 2012年12月26日地球には、太陽は一つ。東の空から昇り、西の空に沈む。数年前まで、太陽が複数のあるような惑星は、SF映画の世界のなかだけのお話でした。
 しかし、2009年にNASAが打ち上げた Kepler宇宙望遠鏡によって、なんと2つの太陽(= 連星(※1)と呼ぶ)の周りを回る惑星(= 周連星惑星と呼ぶ) Kepler-16(AB)b (※2) が発見されました。ケプラー16系の模式図。ケプラー16A(黄)とB(赤)が互いの重心を回っており、その周囲をケプラー16b(紫)が公転している。

理の惑星様より引用


 もし、私たちがこの Kepler-16(AB)b に住んでいれば、大小 2つの太陽が昇り、沈み行く神秘的な光景が見えるんでしょうね。
その後、Kepler-34(AB)b (※3), 35(AB)b, 38(AB)b (※4)と次々に発見が報告されています。2つの太陽の周りに2つ惑星が存在する Kepler-47(AB)b, c (※5) も見つかっています (図1の中央)。
 実は、惑星科学者たちにとっては、周連星惑星の発見は驚きではありませんでした。
私たちの住む銀河(天の川銀河)に存在する恒星の約30-50%は連星系 (2つの恒星)として誕生します。
そこで、研究者たちは『周連星惑星は必ず、存在するはず』と信じていました。
 今年の2012年には、さらに大きなニュースが2つ飛び込んできました。
1つ目のビッグニュースは、4つの太陽をもつ海王星級の惑星 (PH1)が発見されたことです (図1の左下)。
この惑星は米国の研究者が立ち上げた ウェブサイト「Planet Hunters (※6)」上で、一般の方々 (アマチュア)の協力によって、発見されました。
 そして、2つ目のビッグニュースは、私たちの隣りにある星 (太陽系に最も近い恒星)、ケンタウルス座α星(α Centauri 三重連星 : 3つの恒星が互いに重力で束縛し合っている)に、なんと、地球サイズの惑星の発見 (※7) が報告されたのです (図1の右上)。
 極めて高精度な観測によって発見された地球サイズの惑星は、周期3.2日と恒星に非常に近い位置にあるため、残念ながら、灼熱の世界になっているでしょう。
これまでに発見された周連星惑星も、天王星・海王星のような氷惑星や木星のようなガス惑星であることが分かっています。
そのため、表面に液体の水が存在し、生命を育む「第二の地球」のような惑星はまだ、見つかっていません。
 しかし、2つの太陽が昇る アナキン・スカイウォーカー (Starwarsの主人公)の故郷「Tatooine」(図1の右下)や太陽が3つあるような ナメック星 (ドラゴンボールのピッコロ大魔王の故郷)は、いまや、SF映画の世界の仮想の惑星ではなくなって来ています。近い将来、「夜の無い惑星」なんていうものまで発見されるかもしれません。
 今まさに、この時代、この瞬間も、不思議で神秘的な惑星は増え続けています。
皆さんにもその感動と衝撃、ぜひ一緒に楽しんで頂ければ嬉しいです。
堀 安範(国立天文台 理論研究部)
~引用以上~

科学的に見ても複数の太陽は実在するのが当たり前

つまり・・・・視野を広げて見れば『宇宙基準から見たら太陽が複数ある星なんていくらでも有る』という事実があります。そして太陽は連星で有るという事も多いのです。つまり二つセット。
星に寿命がありますから、複数あった太陽が一つになる事だってあるでしょうし新しい太陽が生まれたらそれが複数ある可能性だってゼロではないと思います。
万一神話の世界が本当で神様が宇宙人だとしたら・・・・
出来たころの地球には10個の太陽があり、それだと生物が生まれてもうまく育たないから創造主である宇宙人が太陽を撃ち落としたというSFスぺクタルものだったりしたら?

作画:たかちほ   撃ち落とされた太陽(八咫烏)の図 


と想像しても面白いかもしれませんね?
アステカの神話も現実を書いたものだと言えます。太陽の滅びとともに世界が生まれ変わるとしたら・・・・宇宙においては凄く当たり前の自然現象ですからね。

続編は以下をクリックお願いいたします


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