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日本語文法起源の妄想

GWは皆さまどうお過ごしでしょうか?残念ながらベトナムの工場勤めの私にはあまり長期連休はなくまた明日から仕事が始まるわけで、日本の長期休暇で本を読む時間がいかに貴重だったかが身に染みてきます。私の人生の前半はこのまま近代と一体化しながら折り返そうとしており、後半はどうしたものかと未だ呑気に先を見据えず知らない土地を歩いてます。

最近は言語学の本にはまってきてます。それというのも元々仕事で英語を使っており、工場が中国やベトナムにあることからそれらの言葉を日ごろ学んでいるのですが、それらの言葉の類似性などを感じてからこの分野に興味を持ってきました。例えば日本語/中国語の「注意」、ベトナム語の「chú ý」は非常に発音が似ていて、中国からの言葉の流れの歴史をよく感じては愉悦に浸ってます。このような些細な発見があるから読書はやめられない。言語学ではいくつか自分の中にテーマを設けているのですが、そのうちの一つが、日本語の文法はいかにしてできたか?という事です。工場勤めの戯言ですので、専門家の方は読み飛ばしていただけたらと思います。

日本には訓読と音読があり、ご存じの通り中国から漢文が輸入され、その音に忠実な音読と、現在の日本語語順となる訓読がありますが、聖徳大使の時代から漢文でこの両者の文法が見られていたようです。そこで疑問になるのが、日本独特な訓読みをするときの書き下し文の文法はどのような順序で生まれていたか?です。私が考えるところ、下記2点が思いつきます。
・日本に下地となった言語があり、明治時代の英語のように単語や漢字を中国から輸入した
・中国語文字が先に輸入され、日本人が理解するのに理解しやすい並び順に訓読を開発した。
今のところ漢文以前に他の文字があったという話を目にしないため、後者の方が可能性が高いと思います。

ではなぜ当時の日本人はこの語順にしたのか?当時の人が純正漢文を真似ながら漢文を創作していったら訓読みの流れになったと妄想してますが、このあたりはもう少し田中克彦先生や他の言語学の書に書いてありそうなので、ゆっくり読みながら勉強していこうと思います。夜の作文は寝酒前の愉悦、今日もゆっくり寝れそうです。

P.s.表紙はベトナムの論語です。日本では漢文→書き下し文→日本語となってますが、ベトナムでは旧ベトナム語(今ではあまり使わない単語が多いらしい)→現ベトナム語という流れになってます。ベトナム語は幼稚園レベルなので、まだまだ読むには時間がかかりそうです。


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