二千年後の君へ〜卯から辰〜
2023年は、生まれ替わるための時間だった。
2022年の10月頃、それまでの過労がたたったことでうつ状態に入ってしまった。それまでも隔月でうつ状態に入ることがあった。大体は季節の変わり目であった。その時は、未だかつて経験したことがないほど深く沈み込んでしまった。高速道路を車が走る中、馬力の小さな原付で無理をして走っていた、そんなイメージである。
要するに、生き急いでいたわけだ。
これまでの生き方を変えねばならない。そう強く感じた。
そのためには、まず「自分はどういう生き物なのか」ということを知らなければならない。そう考えたので、まずは日記を始めた。
日記の功名
心の状態が回復するまでは、本当に毎日日記をつけていた。
書く内容は自由だ。その日の気づきや、覚えておきたい内容など様々だ。別に完璧でなくていい。というか、「完璧」とはなんだ?誰がそれを決めるのだ?完璧を目指すから、無理をしてしまうのではないか?
こう思ったため、書くフォーマットなどは当初は何も決めずに、その日その日の思いの丈をつらつらと綴ることにした。今回のnoteを書くにあたって、久しぶりに読み直したが、かなり面白い。日記をつけることは回復後は自然とやめていたため、今は日記をつけることは無くなった。
しかし、昔の人々はよく日記をつけたものだ。
函館にも来て宣教をしていた、ロシア正教のニコライは、日本における聖人のポジションであったが、日記には日々の不満を書き溜めていたらしい。
つまり、日記というものは、「自分という存在の鏡」としての意義があるのかもしれない。だから、書いている時期はそれを欲しているわけで、書きたいと思わないということは、自分自身がそれを求めていないサインだと思う。
そうか、身体から自然と出されるサインに忠実に従うことは、無理をしないことに繋がるのではないか?
そう直感し、自分にとって無理をせずに心地いいと感じるものを見つける旅へと出かけた。だって、これを複数見つけられたら、自分がどういう生き物か、わかるような気がしたからだ。
いま
うつ状態に入ってすぐ、僕は逃げた。
逃げることは、決して恥ずべきことではない。
人生において、逃げるべき時と、逃げてはいけない時があるだろう。
今回は、逃げるべき時だったというだけだ。
「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉は、ハンガリーの諺だ。「勝負すべきところでないところを逃げたり、退いたりするのは恥のようだが長い目で見れば得策」という意味。
そう、長い目で見ることが重要なのだ。
逃げる=マイナス、という等式はその瞬間でしか成立しない。
時間が経過すると、その瞬間での敗北はいつか勝利に転換する時が来るであろう。
徳川家康は、三方原の戦いで武田信玄に歴史的な敗北を喫して逃げた。この時の記憶を留めておくために、自軍の絵師に以下のような「顰(しかみ)像」を描かせたという逸話(最近の研究により、これは作り話であることが判明している)は有名だ。
この話が作り話だったとしても、三方原の戦いは、家康にとっては大きな敗北だった。しかし、終わりよければ全てよし。最終的に勝利したのは、家康だ。なぜ家康は天下を取れたのか。それは、健康で長生きしたからだ。
健康になること、それがいまの自分に必要なことだ。
そして、その状態が続くことが何よりも重要かもしれない。
そう確信した。
江戸時代の医師、貝原益軒は著書「養生訓」の冒頭で、「健康こそ人生最高の幸福である」と述べた。この書物では、「幸福になるために人はどう生きるべきか」が説き明かされているとのことだ。
健康になるためにはどうすればいいか。
日課とした日記を書きながら、僕は逃げ場所である函館で悶々と考えていた。おそらく、これに正解はない。地道に自分で見つけねばならない。健康に近道はない。
養生地である函館で、僕は何か夢中になれることを見つけたいと思っていた。うつ状態という辛い現実から少しでも離れたかったからだ。もう何がなんでも離れたかった。そんな時に出会ったのが、今も僕のことを支えてくれているコーヒーだった。
函館にいるときに、どこか逃げる場所はないか、と探していた時にたまたま出てきたのが、「COCORO」というコーヒーショップだった。
両親がコーヒーをフレンチプレス(のちに名称を知った)で長い間淹れていたので、僕にとってコーヒーは身近な存在だった。しかし、家以外では進んで飲もうという感じではなかった。
同じ函館とはいっても、市電を乗って30分はかかるため決して近くはない。しかし、行ってみたいと強く感じたので、それに従うことにした。
店内に入ると、コーヒーの香りが鼻いっぱいに広がったことを今でも鮮明に覚えている。それはコーヒー独特の苦い香りではなく、お花のような華やかな香りだ。ここは本当にコーヒーショップなのかと疑いたくなるレベルだった。
ちょうどお客さんがいなくなったタイミングで入ることができ、店長さんは憔悴しきっていた(?)僕をみかねてか、色々と試飲させてくれた。この時に飲んだエチオピア・ナチュラルの美味しさに感銘をうけたことをきっかけに、僕はコーヒーにのめり込んでいった。
この日を境に、僕はコーヒーを飲むことよりも、淹れることに心地よさを感じることに気づくことができた。
その時間だけは「いま」に集中しているからだ。いいコーヒーを飲みたいから、全ての雑念は勝手に消えて、目の前にある粉、お湯、湯量、時間に意識を集中させる。この時間だけ、現実から離れていられる。それは、当時の僕にとっては楽園だった。
このコーヒーとの出会いは、僕に大事なことをたくさん教えてくれた。
特に「いまに集中すること」が、僕にとっては最も大事なことだということを、肌で知ることができた。
気づいたら、僕はコーヒーのことが大好きになり、どこか旅に出ては必ずコヒー豆を買うようになった。知らず知らずのうちにかなり詳しくなっていた。それは当然のことだった。現実から離れるには、コーヒーと触れている時間を増やさなければならないからだ。
もうコーヒーは完全に、僕の味方になった。
もっと自分のことを支えてくれる何かがあるはずだ。
いまに集中できることは他にないだろうか。
2022年11月、筋トレを始めた。
「細いから、筋トレした方がいいよ!心にもいいから」
と言われたので、筋トレを始めた。高校時代は、部活動で筋トレをかなりやっていたのだが、大学に入ってからはパッタリとやめてしまっていた。
しかし、筋トレはいまに集中するのにはうってつけだった。
始めてから1年が過ぎた。
身体もメキメキと変わり、心は安定するようになった。
2023年1月、映画・ドラマを多く観始めるようになった。
それまで、映画は観ても1年に10本観るかどうかだった。
しかし、映画を観ると現実に戻ってきて世界をみるときの感覚が、それまでとガラリと変わることに気づいたのだ。
それからは、良い出会いを求めて、本当に多くの作品を観るようになった。
最低50作品は見ているため、1週間に1本は観た計算になる。
2023年5月、生まれて初めて登山をした。
新潟の弥彦村にある弥彦山という山だった。これは、僕と相性がとても良かった。登山は死と隣り合わせだ。足を滑らせたりすると、もしかしたら死ぬかもしれない。だから、「いま」に集中しなければならない。何だか、サウナに近いものを感じた。
北海道に帰ってからは、独りだけではなく、友人とも登ってみた。
とても素晴らしい時間だった。
2023年6月、野営をした。
米と飯盒のみを持って、洞爺湖のほとりにある山に籠ってみた。
ただ薪割りを繰り返し、夜は焚き火を囲んでご飯を食べながら、友人と喋る。「いま」を生きているなと強く感じた。
2023年11月、吹き矢を始めた。
きっかけはひょんなことだったが、これはちょっと早いプレゼントを、サンタがくれたように感じた。吹き矢にとって、「呼吸」は命である。呼吸はいまに集中しなければいけない。思えば、登山でも呼吸が大事だったように感じる。
このように、ただひたすら、いまに集中できて、自分にとって無理をせずに心地よいと感じる状態にしてくれるものを手探りで求め続けた。
この状態は、「凪」と表現するのが相応しい気がする。
凪とは、「風がやんで、波がなくなり、海面が静まること」という海の状態を指す。
冬の日本海のような、荒々しい海ではない。
瀬戸内海のような、まるで湖かと錯覚するような、静かな海だ。
荒波が来そうになると、自らの手で波を抑える。そして、穏やかな状態にさせる。
そのために必要なのが、1年間で見つけられた、コーヒー、登山、サウナ、薪割り・焚き火、吹き矢なのだ。
いまに集中することは、凪の状態を作ってくれる。
それが、自分にとっては重要なのだ。
「本当の自分」
当時の自分にとって、読書は逃避行動の1つだった。
幸い、とある本と出会うことができた。この本は、2023年以降の生まれ変わった自分の基礎を作ってくれた。
平野啓一郎の「私とは何か 個人から分人へ」という作品だ。
以下、当時の自分が要約した内容である。
簡潔にいうと、「本当の自分」なんてものは存在しない、ということだ。
この本を読むまでは、接する人によって「顔」が変わってしまう自分のことを嫌っている節があった。人によって見せる顔を変えることは、「本当の自分」を偽っているのではないか、そう思い悩むことが多くなっていた。
でも、それでいいんだ。
そういった色々な「顔」によって、自分という存在は成立しているんだ。
当時の自分を肯定してくれたようで、スッと軽くなった。
2024年とスピッツ
2023年は、多くのひと・こと・ものと出会えた。
その中でも、スピッツと出会えたことはとても大きいことだ。
元々、スピッツは好きだった。
多くの楽曲の中でも、「さらさら」という曲は、聴いた時からずっと一番好きな曲の1つである。
なんでこの曲がずっと気になっていて、好きなのか、ずっと分からなかったが、今ではわかる。それは、さらさらは「水」だからだ。
スピッツは、直接的な表現を決してしない。ほとんどの曲が婉曲的だ。だから、マサムネさんが実際に意図していることと、聴いた人の解釈には、乖離が大きい時もあるだろう。それがまた良いのだ。
さらさらの歌詞に、以下のようなフレーズがある。
ぶっちゃけ、何を意図しているのかは分からない。
おそらく、「ゴリゴリ力でつぶされそうで 身体を水に作り替えていく」の部分はスピッツを意味しており、「魚の君を泳がせ 湖へ湖へ」はファンを指している。そして、「優しい光が僕ら(スピッツ+ファン)に射して」、現実という「巧妙な罠」を抜け出すことができる、ということを意味しているような気がする。
つまり、何か辛いことがあっても身体を水に作り替えると、その力は散る。そして、いつしかそれを抜け出すことができる。
スピッツの力を借りない場合、こういう風に自分で処理することができるのではないだろうか。
2023年7月、スピッツの帯広LIVEに友人といった。
このLIVE以降、冗談抜きに聴く曲はほとんどスピッツである。
そして、12月にはスピッツのLIVEのために沖縄までも足を運んだ。
スピッツは1987年に結成し、1991年にメジャーデビューした。
2024年で結成37年、デビュー33年になる。
これまでにスピッツは、一度もメンバーチェンジせず、活動休止もしていない。なぜそんな長い期間、活動を続けられるのか。
「無理をしていないから」だそうだ。
そして、彼らは自身を「水」のようだと形容している。
さらに、初期のインタビューを見ると、「野望はない」とも豪語している。
初期なのに、である。
自分の中に揺るがない何かがあれば、無理して野望なんか作らなくたって良いじゃないか。
僕は、水のような「自然体」で、2024年を楽しみたい。
そして、もうすでに2024年を楽しめることを見つけた。
1/1からギターを始めた。スピッツを、それまでほとんど触れてこなかった音楽という観点から楽しむためだ。
人生でやったことのない初めてのことをするだけでも、いま目の前の瞬間を楽しむことができる。そして、これは翻って成長につながる。
だから、成長というものは「成長しよう!」と思った結果なるのではなく、「あれ、気づいたら成長しちゃってたー」というのが、個人的には良い気がしている。
いまの積み重ねが、自分という存在を形作っていいく。
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