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5年前のもやもや

「結局さあ、男の傷は男でしか埋めらんないんだよ。」

すごいトレンディな言い方でださいなーと思いながら、彼女を見つめている。こういう言葉遣いと考え方が私は嫌いだ。思えばこの頃、言葉尻は違えど、同じようなことを色んな人に言われていた。

「まあいずれいい人と出会えるよ。」

「普通に結婚して欲しいと思ってるんだよ、〇〇には。」

「今は終わったばっかりだから1人でいいとか言えるだけだよ。」

は?何を言ってるんだろうと、何か言われる度に思っていた。違和感も感じていた。この結婚と恋愛ありきの考え方は何なんだろうと、もやもやを抱えて何年も過ごした。私は生来天邪鬼で、こうしなさいと言われることに反発する癖がある。大人になった今、こうしなさいと言われることはないにしても、普通こうでしょ、という態度で話す人というのは案外多いものだ。その度に不快に感じるし、それはあなたの考えでしょう、私はそれを正しくないと思っていることを如何にして伝えようか。等と考えたりする。

反骨精神で、自分の好きなことをすると心に決めた。部屋を好きな色で統一したり、新しい洋服と靴を買ったり。前髪をつくったり。音楽とお笑いのライブにも足繁く通った。友達と旅行に行ったり、山に登ったり。行きたいお店を調べて、調べなくても第一印象でふらっと。何件もはしごして酒を呑んだ。お花見、花火、キャンプ、フェス。自分たちでどんどんやりたいことを挙げて、全て実行していった。その都度見える景色はとても美しく、感動した。はたまたギターを弾いたり物書きをしてみたり、仕事とは別の楽しみを見つけることの大切さも学んだ。すると心で感じるという経験を、随分と疎かにしていたことに気が付いた。高校受験、大学受験、実習、就職、結婚。そんなあれこれに囚われていて、自分の気持ちを顧みることなんてほとんどなかった。私は何に感動して、何が好きで、これから何がしたくて、どうやって生きたいのか。そのために必要な経験を、全力で取り返しているような日々だった。それはとてもかけがえのないもので、これからもそうやって生きたいと思える指針となっている。

幸いなことに、私には一緒に楽しんでくれる友達が結構いた。感謝しかない。もちろん1人でとてつもなく寂しくて、不安に駆られることも多々あった。この先どうなるんだろう。老後2000万円なんて無理だ。今遊んでくれてる人達も、徐々にいなくなってしまうのだろうか。そんな考えが頭をよぎることなんて日常茶飯事だった。

それでも。自分が考えたことや怒っていること、好きなもののことを、誰かに聞いて欲しい。そして誰かのそれも、私に聞かせて欲しい。今考えると、私が1番辛かった時によく分からないことを言ってきた人達は、それを持っていなかったように思う。その人の美しさを表すと思っているのだけど、自分の中に芯がないように、私には映った。だから反発したくなったし、そういう人にとやかくは言われたくなかった。そんな中で、私の辛さや思うことを否定せずに聞いてくれた人達がいて、くだらない話をしてくれた。また様々な経験を重ねているうちに、更に仲間ができた。とても楽しい人達で、この道を通らないと出会えなかっただろうと思う。私にとっての縁。これからもつないでいくし、大事にしていく。

5年前の自分には分からなかったもやもやが、少し晴れてきた。あの頃はいつも何かに苛々していて、私の生活は楽しい、だから正しい!そう思わないと立っていられなかった。我慢ができない時には主張もしてしまった。それほどに納得がいかなかった。

でも、今はもう必要ない。ここからゆるりとやっていく。

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