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効率化の落とし穴〜無駄に見えるものへの向き合い方

先週の怒涛の確定申告相談会という外部従事が終わり、今週はようやく通常サイクルに戻ってきた。

先週までの分を取り戻すくらい、顧問先との打合せが続いたわけだが、やはりこっちの方が私の肌には合っていると実感させられる。

私にとって、顔馴染みの顧問先との打合せは、ある意味では仕事であって、仕事ではない。

もちろん抜かりなく準備した上で、必要な税務関係の話をするのは言うまでもないのだが、趣味や家族の話も含めて、近状や今考えていることをお互い色々と話し合うのは、純粋に楽しい時間である。

今回は、今週打合せをしていた顧問先との話の中で気付いた、効率化についての私なりの考えを少し述べてみたいと思う。

■お客さんの始末書を書く、という経験 

守秘義務の関係で多少歪曲して書くが、昔、お客さんが取引先に出す始末書を一緒に作ったことがある。

当時、仕事での不手際があり、大手取引先に迷惑をかけてトラブルになったと電話が入った。

休日だったが事務所に飛んでいき、その場で事実関係を整理し、責任の所在を明らかにする必要があるということが判明した。

結果として、始末書を書くことになったわけなのだが、本人はひどく動揺されていてまともに書ける状況ではなかった。

なので、ひと通り私の方で原案を作った…という話である。

「専門外なので」「時間外なので」等と断ろうと思えばいくらでも理由は付いただろう。

もしくは、他の人に丸投げもできたかもしれない。

ただ、個人的にはこういったものには好き嫌いせずに、まずは話を聴いてみるというスタンスを採っている。

■効率化と一緒に、削がれてしまうもの

それが効率的な対応かと言われれば、決してそうではないだろう。

お金が取れるとも限らないし、どれくらい時間がかかるかの見積もりも難しい。

ただ、困った時に最初に顔が浮かび、本当に困っているから相談しているわけで、その気持ちは蔑ろにしたくない。

何かと効率化やコスパが叫ばれる時代だが、そういった「無駄に見えること」が、本当にただの無駄になるか、はたまた有益なものになるかは、時間が経ってみないと正解がわからないものである。

今週久々にその話題が出たわけであるが、今では、その始末書を書いた当時の話になると、そのお客さんからは『あの時は本当、助かったよ』と常々感謝して頂けるくらいの笑い話になっている。

その時の対応がその後何年にも渡って活きる、ということは結構あるように思う。

その前段階で、効率化の名のもとに断りを入れてしまうと、本当に大切な種も一緒に削ぎ落とされてしまうかもしれない

やりたくないこと、無駄に見えること、見返りと比べて手間がかかりそうなことにこそ、相手先との関係性を深めるためのきっかけが眠っている。

そればかりでも疲れてしまうが、大変さを共有した時間が後に繋がるということはあるだろう。

そういった本当に大切なものまで省いてしまっていないかの見極めは、忘れずにしていきたいものである。

■おわりに

仕事もそうだし、教育などもまさにそうだと思う。

子育てなんて、まさしく無駄(に見えるもの)との日々闘いである。

二人の子供のオムツ替えが、私の将来に何の価値をもたらすのか、私ははっきりと説明できない。

ただ、親と話していて、あの時これが大変だった、こんな思い出があったと楽しそうに話している姿を目の前にすると、大変さを共有した時間は無駄にならないように思わされる。

そんな形で、日々慌ただしくも楽しく仕事に向き合っています。

それではまた!

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あさがお税理士事務所
代表税理士 伊藤貴文

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