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図書館を使いこなすべし

紙媒体、電子書籍など、さまざまな形で読めるようになった本。みなさんは、どのように本を読んでいるだろうか?
紙の本を買ったり、Kindleで電子書籍を買ったり、あるいはKindle Unlimitedなどを契約して読み放題にしていたり、数多くの方法があろう。

私は、最近「図書館に行って本を借りる」ことがかなり増えてきた。
卒業論文執筆の参考とする学術書は高価で、電子版がないなどの理由から大学図書館・市の中央図書館を使うようになったのだが、それ以上のメリットを感じている。
今回は、そのような「公共図書館の素晴らしさ」を全力でアピールしていこうと思う。

圧倒的な蔵書

「図書」館というだけあって、あらゆる本が置かれている。大学の図書館であれば学術書がそのメインとなり、県や市の図書館であれば小説から雑誌、新聞まで手厚くカバーされている。

以前、ミニマリストに関する本で読んだように記憶しているのだが、国立国会図書館にはありとあらゆる書籍が収蔵されているという(愛知県民の私は、東京まで出かけてそれを確かめようとは思わないが)。

図書館を「巨大な本棚・書庫」と捉えるミニマリズムの立場から考えると、図書館は「利用しないと損」であると言えよう。

とくに私は、卒業論文の執筆のため、学術書を大量に読まねばならない。
気になる文献があれば、即座に市の中央図書館か大学図書館のOPACで検索をかけるようにしている。
大抵の本がヒットするので、本当に助かっている。

いま図書館で借りて読んでいる学術書(3,800円+税)。
文化人類学の立場から、アイヌ民族と観光の関係性について研究しているのだが、人類学など比較的「マイナー」な学問分野の書籍も市の中央図書館に収蔵されており、かなり驚いている。


そして、交流舘など規模の小さな図書館であっても、市の中央図書館などにある本を取り寄せて借りることができる。

私の場合は、大学へ向かう起点となる駅に市の中央図書館があり、帰宅前に予約していた本を受け取りに行くことが多い。
しかし、長期休みなど駅に出向くまでもないような場合は、徒歩10分くらいのところにある交流舘まで運んでもらい、そこで受け取ることにしている。


静謐で気持ちが引き締まる空間

図書館は、勉強するにはもってこいの場所だと思う。
読書をしたり、勉強したりしている人が近くにいると「自分も頑張ろう」と思えるばかりではなく、家とは違った空間に身を置くことで集中の度合いも高まる。

高校生の時は友人に誘われて、定期試験前の追い込みを図書館でしたものだ。大学生になってからはレポートの割合が増え、勉強目的で図書館を利用する頻度は減ったが、やはりあの空間は気持ちが引き締まるように感じられる。

市の中央図書館では、定期試験が近くなると市内さまざまな高校・中学の制服を着た学生が熱心に勉強している姿が見られる。
自分も数年前はこんなふうに勉強していたなぁ、と妙に懐かしい気持ちになるものである。


終わりに

本を所有することなく、本から知識を得ていくには図書館がもってこい。
ミニマリストというと、世間から隔絶されたところで淡々と日々を送っているという印象を持つ方もいるだろうが、こうして図書館を自分の「本棚」として活用してみると、実際はその反対だということがよくわかる。

本を借りるためには外出せねばならないし、貸し出し・返却の手続きなどで言葉のやり取りがある。
人気の本は予約待ちが生じることもあり、「誰かはわからないが、自分の生に確かに影響を与えている人物がいる」ということを実感できる。

すなわち、ミニマリストになるということは「社会に対して自らを開く」ことに他ならないのではないか。
自分が所有しない分、誰か・どこかとの関係性を構築し、そこに積極的に関わっていかねばならない。

この「誰かとの関わり」が失われてしまったと言われる現代社会に、ミニマリストは旋風を巻き起こせるような気もする。

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