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どうやって生きにくい自分と付き合っていくのか

こんにちは、Takahideです。

何らかの社会的な困難を抱えた方への支援を語るときに耳にする機会の多い「生きにくさ」という言葉…

タイトルに使っておいてなんですが、あんまりしっくりきていません。

なぜかと考えると、自分はあまりそれを感じずに過ごしてこれたから、根本部分で共感する力が乏しいのかもしれません。もしかすると、何かしらの問題はあったけれど、難しく考えなくとも良い環境に恵まれただけとも言えそうな気もします。他者に対して本質的な理解は難しいという立場で、それでも共感したり理解したりしようとする姿勢を大切にしながら、考えを綴っていきます。

現在、障がい児が日中通所して様々な支援を受けることができる放課後等デイサービスの運営をしているのですが、少なからず私が関わっている子どもたちの中には、その「生きにくさ」とどう向き合うのかが、将来の大きな課題となっていることが多いです。

「生きにくさ」が何なのかがある程度わかっていれば、それを解消しようというアプローチが選択されると思われます。ただし、発達の特性や脳の機能によっては、後天的にスキルを獲得したり、変化を望むことの方が本人にとって大きなストレスや様々な思いを抑圧してしまう要因にもなり得ます。さらに発達障がいにおいては、その「生きにくさ」は必ずしも周囲からハッキリとわかるものではない場合もあり、適切な支援を受ける機会を得られずに、なぜかうまくいかないコミュニケーションやネガティブな経験によって、本人が孤独に悩んだり葛藤していることも考えられます。

私はそのような子たちと関わりを持つ際、何度も挑戦して何度失敗しても大丈夫と言う安心感や、できたことをしっかりと認めてもらうことで得られる自己肯定感、そして何より自分の特性を知って、適度に折り合いをつけていく方法を得ることを重視しています。

子どもの場合には、その成長を支える保護者の方の考え方などもあるため、十分にお話を重ねながら、方向性のすり合わせをしていきますが、時には頑張る方向性を変えたり、その特性を受け入れてどう対処するのかという視点に切り替えた方がうまくいく場合もあります。

今後は少しずつ多様性を受け入れていく土壌が社会や地域の中に出来上がっていくと予想されます。そして、画一的な教育のあり方から、様々な体験や好きなこと、得意なことを通して、個人が生きていけるような仕組みや選択肢も増えていくことでしょう。特にICTの発展は「生きにくさ」を軽減する有効な手段となることは間違いなく、コミュニケーションのあり方も変化していくと予想します。

もちろん完全に人間関係を断ち切って社会生活を送ることはできないため、最低限のコミュニケーション能力は必要になります。しかし、ある程度他者の手やコンピュータの力を上手に借りられるようになれば、苦手なことにアプローチするための時間を、得意なことやその人が持つポジティブな面を強化していくことに割けるようになります。

このように、コンピュータに触れて情報にアクセスできる能力を身につけること、自身の特性を理解して上手に自分を扱っていけるようになることがとても重要であると感じています。

これから試行錯誤しながら、一緒に子どもたちと未来のことを考えていきたいと思います。







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