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文章のうまさって何だろう

どうもこんにちは。崇(たかし)です。

noteを始めて9カ月ほど。
思えばずいぶんたくさんの文章を書いてきたような気がします。

つぶやきで済ませる日も結構あり、ならすと多分一日500字程度。
だとしても9カ月×30日×500字= 135.000字。
これって文庫本1冊程度の文字数だそうです。

また、かけた時間についても考えてみる。
かかる時は1時間以上かかることもあるし、つぶやきだったらもっと短い日もあるけれど、ならすと一日30分程度。
だとすると9カ月×30日×30分 = 135時間。

ぼくはこの9カ月間のうち、まる5日以上という時間をnoteの執筆に費やしてきたことになりますね。

物事の習得に要する時間として、「20時間・1000時間・10000時間の法則」というのがあるそうです。
20時間は、未経験者→初心者の到達。
1000時間は、中級者以上。
10000時間は、その領域において成功を収めることができるレベル。

ざっくりそんな感じでしょうか。
それに当てはめれば、ぼくのnoteはようやく初心者レベルの域を超えたか超えないか、というところでしょうか。

何でこんなことを考えたかというと、9カ月という時間をかけているにも関わらず、文章を書く・noteを書くということに対して自分の中での「成長している」という実感が全く持てないな、と思ったからです。

そしてその気持ちを深堀りしていくと、そもそも「文章の良し悪し」の判断基準が自分の中にない、ということに気づきました。

何がよい文章で、何が悪い文章なのか。
何がどうなったら、上達しているということになるのか。
改めて考えても、自分では全然わからない。

その部分の評価軸がないので、自分が成長できているかどうかも、判断できない。
自分のモヤモヤの原因は、そんなところにありそうです。

思い返せば昔からそうだった。
小学校の作文の時間。自分の作文に○がついたりつかなかったりしましたが、イマイチ何を評価されているのかが分かりませんでした。
また、そもそもどういう文章が「よい文章なのか」というはっきりとした説明を当時から聞いた記憶がありません。

ぼくが留学していたフランスでは、学生に対して徹底的に正書法としての文章作法を叩き込まれました。文章の構成、使うべき表現、論理展開まで全て決められており、明確に「正解」と「不正解」が定義されていました。

それはそれで型にはまった文章になってしまう気はしましたが、明確な基準・ルールが決まっているというのは学習者としては分かりやすく、日本の作文教育との大きな違いを感じたものでした。

そんなわけで今も成長を感じるわけでもなくnoteを書いています。
最近は、とりあえず「自分の中のモヤモヤした思いがある程度言語化できた」と感じたら自分の中ではOKという線引きにしています。

ただ、やはり文章の世界、ライティングの世界にもルールがあり、学ぶべき内容も多くあると感じます。
これまではあまりそういったインプットもなく勝手気ままに書いてきただけでしたが、やはり一度腰を据えてそうした学習もしていきたい。
それによって、自分のnote活動にもいい変化がもたらされれば、いいなと思う。

まとまりない感じになってしまいましたが、この春からは少しnoteや文章について能動的に学んでみたいと思っています。
これだけの時間を費やしていることが改めて分かったので、より実りある活動にしていきたいものです。

今日は以上です。
ありがとうございました。

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