【忘れるから綴るとは】

いつからやねん…。
何でやねん…。
どこにいくねん…。

覚えておきたいのに、覚えられんねんって…!!
どこにいくねん記憶!!
帰って来いや~!!

・50個の感情を書いて?

何を書いたか全く覚えてない俺。
noteに感じた事を好き勝手に綴り続けて50回。
今、振り返っても何を書いてたか全く覚えてないが、
その時感じた事を綴って残せた。

キレイな文章や、読みたくなる文脈に全くなってないかもしれないが
50回「今」感じているモノを、文章に残し継続出来た自分を少し褒めたい。

中学時代、国語の通知表は「2」,「1」だったバカ野郎が
文章を書くなんて、25年以上前の自分からは想像出来ない…。
夏休みの宿題、読書感想文なんかは、
「どういう意味」かさえ分かっていなかった…。
本を読んでも、何を書いているか偏差値38には理解さえ出来なかった…。

国語のテストで「それを指してる所書きなさい」問題があっても
「それってどこですか??」と回答をしてたぐらいだった…。
問題を出されてるのに、「問い」で答えすバカがどこにいるだろうか…。
ただ、この歳になって感じるのは、
国語ぐらいは、勉強しておけば良かったと感じる。

インターネットがここまで普及したら
本を読まずとも、
オンラインから情報はいくらでも取得出来るようになったので
探す事には苦労しないが、「文章を読む事には苦労した」
文字が身近な生活になると思って無かったから、
もっと国語に興味を持っていればとつくづく思う。

・高次脳記憶障害になっての気付き?

文章を書くというよりも「残す」意識で書いたのが良かったかもしれない。
高次脳記憶障害を患い「言葉」で残す意識が強くなり
「忘れる恐怖」から、Googleドキュメント・スプレッドシートに綴るようになっていた。
後、退院したばかりは障害の症状で電車に乗るのが恐怖で、
音楽を聴きながら「news picks」を触り気になるニュースをスプレッドシートと行き来きする日々。


※7年前から、ドキュメント・スプレッドシートにどれだけ綴ったか数しれない…。

「忘れる恐怖」
「満員電車の悲壮感」
この40分スマホと向き合っていた日が懐かしくも感じる。
スマホが無ければ、
自分がどうなっていたか分からない…。
職場までの通勤時間は、
ドラゴンボールの「精神の時の部屋」みたいに瞑想してた…
スーパーサイヤ人になれるまで、パワーアップは出来なかったが…。

それから7年が過ぎた今、
世界中で公開されるnoteに感じた
「言葉」を綴っているなんて想像出来ない。
高次脳記憶障害になっての気付きは、
「言葉から様々なモノが形成されている」ことが良く分かった。

スマホが普及し、noteに限らずTwitter・facebook等のSNSを使えば
誰でも自由に「言葉」を発信もできて、
見る側もアプリをタップすれば、
場所や時間に制限される事無く
好きな「言葉」を受け取れる。
更に、ググれば知りたい言葉も
簡単に「ゲット」出来てしまう。
30年前のバカだった自分に
「英単語帳を暗記せんでええから!!」と声掛けて挙げたいとつくづく思う…。

もし、30年前に高次脳記憶障害を患っていたら、
今の自分は無く
「どんな学生時代を過ごしているか?」想像すると怖くもなる…。

noteに綴るのは
「今」感じてる感情を忘れたくないから残し
自分がワクワクしながら読みたいからだ。

・言葉は誰のモノで無く自分のため

「言葉」を書くようになって思うのは
文章の下手さがつくづく良く分かる…。
句読点1つ違うだけで、文脈が全然違うモノになる…。
ドラゴンボールを集めて神龍にお願い出来るなら「オラに言葉の力」を言うだろう…。

将来、文章を書く事が分かって居たら
もっと本を読んでいたに違いない。
小学生の時図書館で、ウォリーを探すばかりで無く、
「感情が踊らされる本はどれどれ?」と言って、
図書委員になって本を読む事も出来たのに…。

ただ、文章は誰かに見せる前に一番初めの読者は自分である事をこの本から知った!!

「今、学びたい事は何やろう~と??」
明確な目的無く紀伊國屋書店に足を運んだ…。
新しいアイデアや思考法を身に付けれたらいいなぁ~と漠然あった。

ビジネスコーナーに立ち止り経営・マーケティング・営業等の棚からタイトルを見て
パラパラっと目にしたが、どれも心に響くモノが無かった…。

そんな時、目に止まった
「読みたいことを書けばいい。」
その瞬間、脳に浮かんだのは?
「どういうこと?」とたくさんのハテナが過ぎった!!

本をパラパラ捲る中で、
これは立ち読みしたくない…と楽しみは取っておき、
他の本を手にして「文章の書き方」について学ぶ本を取る事にした。
購入すると決めた「読みたいことを、書けばいい」
とは異なる文章のテクニックは手にして捲り
使えそうなモノをスマホにメモし、
お楽しみの一冊をレジで会計し帰路についたのだ。

そして、家に着くなり
貪るように読んであっと言う間に、最後のページを向かえた。
たくさんの気付きが有り過ぎたので、
この本については別の機会でいつか紹介したいと思う。

その中で、一番の発見は
「貨幣と言語は同じもの」この言葉だ。

☆貨幣☆
①決済手段としての機能
②価値尺度としての機能
③価値貯蔵手段としての機能

☆言語☆
①決済手段
※言葉はなにとでも交換出来る。
言葉で言い表すことで、存在するものに具体的は価値を与え、
誰とでも交換出来る。翻訳も出来る

②価値尺度としての機能
※言葉は価値を保証されている
社会の中で共通の道具として流通している

③価値貯蔵手段としての機能
※言葉は貯めておく事が出来る
歴史上の記録も、個人の記録も残す事が出来る

上記が、その理由である。
目から鱗が落ちてしまった。
この世のモノは、言葉から全てのモノが生まれている。
②の価値尺度としての機能は、今で言えば「#タグ」はそれを証明している代表例である。
SNSで発信される写真や動画にも「#タグ」を付けて発信されている。
#タグで検索され
商品やサービスを購入するのは、紛れもなく決済手段として使われている。

言葉を扱うのは紛れも無く「自分」である。

・見えないモノを伝え続ける

50回もnoteに綴る事が出来たのは、
高次脳記憶障害を患った事で忘れる恐怖の感情から来ている…。
僕の障害は、見た目からは全く想像され無い…。
むしろ、出来る方に思われてしまう…。
けれど、これが本当に苦しい時ある。
自分の感情を上手く表現出来ず、生理的反応によって
言葉が武器となり、多くの周りの人を嫌な思いや苦しめたりしている。

この事で嫌悪感に陥り、
自分を苦しめてしまうのだ…。

noteに言葉を綴ってる時は、
心が穏やかだからこそ俯瞰的に考えられるから見て欲しい。
誰にも、見えない自分は必ずある…。

目に見えるモノだけが受け入れられるので無く
見えないモノが受け入れられる本当の意味での、
「ダイバーシティ」の多様性が広がる未来を作りたい。
だから、これからも残し続ける理由は
忘れた時、noteを見て思い出せるように…。
今日もnoteを読んで頂きありがとう。

☆★☆ミッション☆★☆
この船旅を続けるのは
「仲間」と5年後
一緒に「スマホと仲間になる」の宝地図を届けたいから☆

届けぇ~!!!!!!!!!!!!!!!

一緒に苦しみを共有♪
一緒に悔しさを共有♪
一緒に乗り越える未来を共有♪

DJコンサル心の俳句☆

☆必ず叶えるために☆
「届けぇ~1人じゃないよ☆」
「仲間が居るから!!」

【言語化・継続財宝】
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