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生後3ヶ月。人見知り

休日の土曜日、中年父の朝起き。同じベッドで隣で寝ていた2歳5ヶ月の長女に一瞥(いちべつ)をくれると、長女のエルサはお目々パッチリ目を覚ましていた。

「パパ、オハヨ」

長女は父親が起きるのをいまかいまかと待っていたのか、弾んだ声で挨拶してくれた。40半ばの僕は、最近なんだか寝不足で今日も寝起きはまだまだ眠たかったけど、エルサは、もう随分前から目を覚ましていたような目をしていたので「オハヨウ、エルサ、パン食べる?」と聞くと。

「うん!ママ、アナちゃん(妹の名前)、あっち!」

エルサは、リビングに指さしながらそういった。次女のアナはまだ生後3ヶ月で、3時間おきにお乳をあげないといけないからと、ママとリビングで寝ていた。エルサは大好きな毛布とお茶の入った水筒を指さして言った。

「モウウ、おーちゃ」

それはリビングに行こうという合図なので、僕は「オッケー」と言いつつも、昨日ハードな筋トレをしていて、体を寝起しながら結構な筋肉通を感じた。だるい。でも子供がお腹をすかせているのは、親にとってはそれまた精神的苦痛なので、体に痛みを感じながら毛布とお茶をもって、リビングにいった。

子育て真っ最中のママも、もちろん疲れは溜まっていた。エルサと僕たちがリビングに行ったときにママも起きた。ママと同じ布団で寝ていた生後3ヶ月のアナは、かなり前から起きていたみたいで、両足を上げて「キーッ」と言いながら、僕とエルサの朝の挨拶をしてくれた。

次女のアナの寝起きは、すこぶるご機嫌で、僕が目の前で立つだけニコニコしてくれる。生後百日くらいから、目の機能が発達してきたようで、目の前の人は誰なのかという認識もできるようになる。そうなると「人見知り」が始まる。人見知りというのは、そもそも何かというと、子供たちは人間社会で生き延びていくために備わった本能の一部らしい。

あかちゃんは生後すぐ、ベビースマイルという誰にでも笑顔を振りまく行動をする。これは、「自分はカワイイ赤ちゃんですよ。かわいがってください」と、大人たちに愛想を本能的にふりまいている。つまり、あかちゃん自身の感情で笑顔になっているわけではなく、大人に世話をして貰うために備わった本能だと言う。さらに成長を重ねると、今度は人見知りの時期になる。これは、笑顔を振りまいたあかちゃんがこの人たちは、自分の世話をしてくれる親近者をパパとママだとロックオンをする。ロックオンした後、パパとママだ認識した親近者以外は、自分に危害を加える存在かもしれないと思うようになる。これが、人見知りのメカニズムの始まり。あかちゃんは、ふる~い、それも戦国時代やさらにその前の時代、自分の身を守るために、知らない人が目の前に現れると「泣く」と言う行動で、自分の親近者に危険を知らせていた。その行動が何世代も遺伝子レベルで受け継がれ、危険を知らせる行動が「人見知り」と命名された。

人見知りというのは、そもそも人として当たり前の行動です。あかちゃんが自分の身を守るために備わった防衛手段だと認識してあげると、そのあとにいろいろな起きる子供たちの心の変化にも柔軟に理解してあげられると思う。

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