見る側のレベル。(3月20日)

昨日の笑点に関する記事で。

昔だったら、気持ち悪い(もちろん笑える範疇で)と捉えられ、それで笑えた時代でした。

しかし今これを言うだけで批判される……。

うーん、これで目くじら立てる人ってどうなんでしょう?

確かに今の時代、男女平等だの多様性だの言われていますけども。

ただこの下らない感じもある意味心地よい、あくまでここはテレビだからと割りきれるところは必要かなと感じますね。

まあそりゃあまりにも酷い内容となるなら仕方なくとも。

しかしこの程度なら、昔も今もなくはないところでしたし笑いで済んでいたところはありました。

確かに多様性が認められるようになってきて、対等になってよくなってきた面もありますね。

しかしこれはあくまでもお笑いの範疇のもの。

これすらも笑って済ませなれなくなってきたのは逆に如何なものなのかと感じますね。

じゃあ笑って済んでいるのに、それだけで虐めと言ってしまうのかということ。

冗談も通じない、心が狭すぎる人間が増えたことが逆に危険な感覚すらありますね。

あくまでもこれはテレビで、「よい子はマネしないでね」で昔はいけたはずですし、そこを超えればやり過ぎになる……という線引きにもなってきていたような気がします。

つまり今はあれはやるな、これはやるなで結局何もできませんが、線引きもできなくなってしまったので限度も知らないまま成長してしまう……ということも起こってしまっていることすら感じてしまいます。

つまり今の世の中で言えることは、縛りすぎになっていないかということ。

そしてメディアが縛りに縛りまくって、この現状を作ってしまっていること。

虐めや体罰はさすがにダメですけど、加減を知らないまま育ってしまった人間が増えてしまうのも問題視しなければなりません。

テレビを見る人もレベルが下がってしまっている……ということも考えられますね。

今回の笑点の批判を書いた人って、何だろうか記事を読んでいて吐き気がしてしまいました。

書いているその人自身のレベルが低いことが見えてしまったということもありますし、その次元の人が増えてしまっていることにビックリしてしまったということ。

要は書いた人も書いた人ということ。

そこまで消してしまって何がおもしろいのだろうか、この人は世の中をどう見ているのか……ちょっと怖いですね。。

いくら何でも心が狭すぎますし、そういう人間が増えてしまったということもいえますね。

そこですら笑えなくなったということは、レベルが低いということですからね。

結局どこまで許されるかは人それぞれとはいえ、これくらいはある程度はいいだろうと感じることも人間として必要なこと。

性加害が問題視されているといっても、ここまで締めすぎるのはさすがに度が過ぎていますし、「逆噴射」が起きてしまうのではないか……そのほうが危険な感じですね。

締めすぎてて結局、「何ができるのか。」という状態になってしまってますから。

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