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【小説】夏の挑戦②



最初から読むなら…




夏のとある日の放課後。
私は自由研究に向けて調べたいことがあり、学校の図書室に行った。夏の長期休暇が始まると一時的に図書室は閉鎖されてしまうとのことなので、今のうちに読みたい本などを借りておきたかったのだ。


放課後となると、基本的に図書室は人気もなく、いるのは受付にいる顔馴染みの司書くらいである。こんにちはと軽く挨拶を済ませいつも通り本棚を物色する。換気のために開け放っている窓から、容赦なく侵入してくるクマゼミの鳴き声と、扇風機が鳴らす風鈴の音がやたらと騒がしかった。私は生物の本が置いてあるコーナーへ行き、水生昆虫の図鑑やら小難しそうな昆虫記やらを棚から取り出して、四人掛けのテーブルがある窓際で読む事にした。あの時の私は、人気もない図書室でこっそりと自分の趣味に浸るのが好きであった。その日もいつも通りの自分の世界に入ろうとしたのだが、その日は先客がいた。
”あいつ”だった。


”あいつ”も私と同様に、どうやら調べ物があってきたらしい。話しかけようと近づいてみても、一向にこちらには気がつかない。彼は夢中で調べ物をしていて、話しかけるのも何だか邪魔をするようであった。私はあまり物音を立てないよう、ふたつ隣の端っこのテーブルに座った。



しばらくは二人だけの沈黙の時間が続いていた。相変わらず外ではクマゼミが好き勝手に叫んでいたが、あとは二人の息遣いとページのめくる音、扇風機の一定のリズム、そしてたまに事務仕事をしている司書の物音くらいの空間だった。それなりに夏の暑さもひどかったが、自分にとって悪くない居心地だった。今でもクマゼミの鳴き声を聞くとあの頃の空間を思い出したりする。



”あいつ”が私に気づくのにどれくらいが経過しただろうか。もう随分と長かったようにも思うし、短かったようにも思う。私はそろそろ本腰を入れて家でゆっくり読んでやろうとかと腰を上げたのだ。そして立ち上がった際の椅子の引きずる音につられて、ふと"あいつ"がこちらを見た。”あいつ”の眼はいつも強くて、鋭くて、そして寂しくも見えた。一瞬きょとんとした後に、すぐこちらに向かってパッと明るい表情を見せたのだ。


「なんだよ、いたんなら声をかけろよ」


クラスメイトたちには尖った対応ばかりの彼だったが、何故か私一人の時にはわりと親しみを込めた対応をしてくれた。馴れ馴れしくもあるが、決して嫌な風ではない。私は気弱な少年らしくはにかんで彼に近づいた。


「えっと、何調べてたの」

「俺、この前すごいものを見つけてしまったんだよ。死んだじいちゃんが保管していたらしい荷物なんだけど、その中にこれがあったんだ」


珍しくうきうきとした調子の”あいつ”が見せてきたのは、ほとんど黒に近いほどに茶色く煤けた一枚の用紙であった。紙切れは端っこのところどころが破けてて、ずっと人の手の届かないところに置いてあったのか、激しく風化していた。


「なにこれ、地図みたいだけれども」


「これはな、宝の地図だよ。財宝の在処なんだ」



普段のあいつからは想像もしない言葉が出てきて私は少し拍子抜けした。
宝の地図?
財宝の在処?
いつもクールで喧嘩ばかりしている一匹狼の”あいつ”が、これから大人になっていく過程の中で何を無邪気なことを言っているんだろう。


「そんな呆れた顔で見なくてもいいだろうが。そいつは酷いって顔してるぜ」


そんなことは決して思っていない、多分。


しかし私は知らぬ間に呆けていたようだ。彼が少しだけ拗ねたような対応をして、私はなんだか面白かった。


「よく見ろよ。汚れてしまっていて見分けがつきにくいが、まるで半島の形に線が描かれているだろう。この形、俺たちが住んでいる町の形にそっくりだ」


確かに言われてみればそんな風に見えなくもない。等間隔に縦と横に真っ直ぐな線が引かれているのが、経線と緯線の役割をしているように見える。そしてその上に不規則に刻まれた線はまさしく地形そのものだ。右下には東西南北を示す方位の記号があり、わかりやすいほどに地図であった。まるで地図だと思ってくれと言わんばかりの出来栄えで、あまりにも地図めいていて、チープでもあった。


しかしこんな、どこまでも胡散臭くて安っぽい地図が、どうして財宝の在処を示しているのだと言うのだろうか。


「この西側にある半島が俺たちが住んでいる町だとすると、ここが俺の地元。あそこは海沿いだから間違いない。そしてこの離れ小島。これは俺が引っ越す前に父さんにボートで連れて行ってもらったところだ。別に何があると言うわけでもないが、まあ普通の小さな小島だったな」


確かに彼の説明を聞いていくと確かな説得力を持つ。この紙切れはチープではあっても、デタラメなフィクションのものではない。あくまでも現実世界に根付いた地図らしい。


「それで、この離れ小島にマークがついているのがわかるか」


汚れていて一度見ただけではわかりづらいが、なるほど確かにそこにはとても小さな星マークがある。汚れていなくても見落としてしまいそうなほどに霞んで小さくて歪な手書きの星の形だった。


「このマーク、絶対この地図を作ったやつが付けたマークだよ。あの離れ小島に行った時、木や草だらけで人が作ったものはほとんど何もなかったんだけど、一つだけボロボロの納屋があった。きっとあそこ何かあるんだ。だからこんなあからさまな印が描かれているに違いない」


「じゃあそこにいくの」


「もちろん。どうせ夏は暇なんだから、後悔しないようにな」


もう彼の中では、行く事が決まりきっているらしい。私は彼の眩いばかりの前向きさとバイタリティに、少し圧倒されてしまった。一体その身体のどこにそんなエネルギーが湧き上がってくるのか。不思議で仕方なかった。


「どうだ、お前も行くか」


彼はついでのように私を誘った。少なくとも当時の私にそんな冒険心はなかった。何よりもその冒険には危険な香りがした。私は苦笑いをして断った。彼はほんの少し残念そうな表情を見せた(これはもしかしたら気のせいかもしれない)が、それ以上気にした様子も見せなかった。今の彼には何よりもその小島に行くことだけに心を躍らせているようだ。


「もし、何かすごい財宝が見つかったら、お前にも少し分けてやるよ」


「ありがとう。本当に見つかったらどんなものか見せてよ。でもそんなところに行くの、君の親は知らないんでしょ、どうやって行くの」


彼は何も答えなかった。
代わりにへへへと笑って立ち上がり、机の上に広げていた本を受付に持っていく。分厚いハードカバーの小説がいくつかと、なにやら難しそうな冊子を2冊。これ以上、彼の考えることについて行くのは難しそうだ。しかし一冊だけ、当時の私でも知っている本があった。彼が持っていた小説の一冊は、スティーブンキングの『恐怖の四季』だった。



貸出の受付を済ましてから、彼はじゃあな、と手を振ってそのまま図書室を出ようとする。私は呼び止めた。


「ねえ、一人で船を漕いでいくわけ?本当に?」


彼は振り返って、悪戯っぽくニヤリと笑った。


「自由研究みたいなもんだよ」



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