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漂うように2年前

札幌はもうすでに秋の涼しさをのぞかせており、夜になると気温が20℃を下回る。エアコンなんてつけっぱなしにしてしまっては風邪をひく気温だ。比べて東京の天気は10℃ほども上であり、こちらの居心地の良さを実感する。しかしこの札幌でも、そのうち涼しいなんて言ってられない季節がくるのは想像に容易い。まだ北海道の冬を経験したことがないので、どれくらいの寒さなのか、雪はどれくらい積もるのか、服装はどんなものがいいのか、全てが未知となっている。楽しみでもあり、不安もある。


自分は中央区に住んでいるので、雪かきの心配はなさそうだ。このあたりではちゃんと雪かき車が走ってくれて除雪されるとのこと。同じ札幌でも、外れのほうの区では自分で雪かきをしなければならない。雪かきを怠ると、翌朝家から出られなくなるという話を聞く。関西に住んでいた頃からは考えられない話だ。さすが世界でも有数の積雪量を誇る地域である。奇しくもそういう地域に住み始めてしまった。今更ながら、どうして自分は北海道に住み始めたのか、そのルーツはどこにあるのか。


初めて北海道に来たのは忘れもしない、2021年の10月である。当時自分はある出来事によって大いに精神を病み、仕事もロクに見つけることなく漂うように生きていた。当時は大阪のシェアハウスに住んでいたのだが、誰とも会いたくない気持ちが高まり、やけくそな気持ちで家を飛び出した。実家にも帰りたくはなく、とりあえずは京丹後の方にある祖父の家に行き、理由も話すことなく1週間ほど滞在した。祖父は仕事も探していない自分にかなり失望していた。しかしそんなの知らぬ存ぜぬで過ごしていた。自分はもう大阪には戻りたくはない。金の尽きるまで放浪してやろうとやけになっていた。


あの時の自分は行き当たりばったりもいいところで、このさきの予定など一ミリも考えていなかった。このままタンゴ鉄道に乗って福井方面に行くか、反対に城崎方面に行きリゾートバイトで世話になったに人たちに挨拶にでも行くか。そうやって可能性をぼんやりと考えていたら、舞鶴から小樽まで出港するフェリーをネットで見つけた。ここから初めての北海道の旅が始まった。


舞鶴港まで叔母の車で送迎してもらったのを覚えている。別れの際に、向こうでは寒いからとマフラーをもらった。丹後に滞在していた時、自分の事情を一切話さなかったけれど、おそらく叔母は何か察していたのかもしれない。一人でフェリーに乗り込み、夜20時ごろに出港する。真っ暗な中でフェリーが動き出し、約24時間かけて小樽港を目指す。その間スマホの電波は圏外となり、誰とも連絡がつかない。いい気味だ。もう自分は誰とも何も話したくはなかった。フェリーの中を探索するが、しばらくすると少し飽きてきて、しかし真っ暗なので甲板の外には出られない。仕方なくスマホのメモ帳アプリを開いて、愚痴を始めとするさまざまな自分の気持ちをひたすらに綴った。悔しくて惨めな自分がそこにいた。ふと気がつくと1万文字ほどに溜まりきったメモ帳が完成した。ここまで気持ちを溜め込んでいたことに恐ろしくもなっていた。


そして24時間後、小樽に到着する。小樽では雨が降っていた。とうとう自分は初めての北海道にたどり着いた。その時の感動は、何か独特なものがあった。不幸のど真ん中にいたうちの、唯一の感動のようなものであった。湿気のない北海道の空気は、肺を膨らませるとすなおに身体全体に行き渡るようであり、それが居心地の良さとなって現れた。ますます大阪には帰りたくなくなった。小樽についてすぐ、近くのスーパー銭湯に行き、そこで一夜過ごした。追加料金を払うと広いフリースペースで一晩過ごすことができる銭湯であった。そこで仮眠を取ったあとの次の朝、自分は札幌に向けて出発した。


よく考えるともう少し小樽に滞在したって構わないようなものであるが、昼を待たずして小樽を出てしまった。何故か気が急いていて早く札幌がどんな街並みなのかを見てみたくなっていた。小樽駅から電車で700円くらいで、札幌駅に着いた。札幌駅は、西洋風のアナログ時計が中央に飾られている巨大な建物であった。そして梅田駅のようなごちゃごちゃした構造でもなく至ってシンプルであった。自分はその時無意識にこの地を気に入っていたのだと思う。


そのあとは憂さ晴らしのように夜遊びをしていた。酒を飲み、海鮮を食い、すすきのを彷徨い、知らぬ間に朝がくる。カラオケで散々歌い、疲れたら適当な宿泊施設を見つけてそこで泊まる。腹が減ったらラーメンを食べる。観光にしては随分を粗雑な動きをしていたのを覚えている。そんな滞在もやむなく1週間ほどで終わり、最終的に自分は大阪に帰ることになった。


そして時が経ち、2年が経過した。今はあの時のような弾丸ツアーではなく、単純に移住者として札幌にいる。思い返すと、なんともいえない北海道とのファーストコンタクトである。でもあの時の自分がなかったら、今の自分はなり得ない。そう思うと、あの時の自分がいてくれて良かったと認めざるを得ないわけである。


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