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1章 長崎への旅⑶


スイデン夫婦は、長崎への旅でイチョウの実家に招かれ、数々のご
馳走で持てなされ、歓待をうけた。
2人は懐かしい長崎の味を堪能した。
それに加えて、久し振りに長崎弁のシャワー浴びた。
老人ホーム探しがうまくいかず、スイデンとイチョウは疲れ切っていたが、実家に集まった人々の懐かしい長崎弁に囲まれて、すっかり癒やされた。
とりわけ、弟・正人の長崎弁は、独特の長崎弁であった。
正人の話す言葉には、ところどころに、母親の言い回しや抑揚が混じっていた。母親の育った外海そとめの言葉を取り込んで、自由奔放な長崎弁になっていた。

歓迎の宴半ば、正人の長崎弁が、騒ぎまくる幼い子供達に向けて炸裂した。
大勢の人の集まりに興奮して、子供達は、奇声をあげながら家の内外を走り回っていた。
あまりのはしゃぎ振りに、正人が立ち上がって、大声を発した。
「こら、うんどまあ、ほたえるな、静かにせんか」

「こら」と「静かにせんか」は、ともかく、「うんどまあ」と「ほたえる」は、よその人には分からない言葉である。
子供達は、すぐ分かって静かになった。

ちなみに、「うんどまあ」とは、目の前の「子供達」をさす。上品に言えば「子供達よ」、ありていに言えば、「おまえども」となる。
付け足して言えば、自分のことは、「おどまあ」と言う。

「ほたえる」とは、ふざける、甘える、と言う意味合いである。
古語辞典に「ほたゆ」と載っているから、古くから使われている言葉のようだ。
長崎弁といっても、一山越えたら表現もイントネーションも違ってくる。正人は、母親の里言葉をたっぷり注ぎ込まれて育った。
イチョウも同じである。
 イチョウは小さい時、フザケ半分で妹と大声をあげて口げんかをしていたことがある。
母親が声を荒らげて、
「なんば、とごえとっと、やかましか」と叱った。
「とごえる」も「ふざける」の意味合いである。

イチョウは、弟の長崎弁をしみじみと聞いた。
(長崎への旅はこれでお仕舞いね。懐かしか言葉ば、ありがとう……)


楽しいムードも束の間、イチョウを待ち受ける旅の帰路は果たして……
→(小説)笈の花かご #8
1章 長崎への旅⑷ へ続く



(小説)笈の花かご#7 1章 長崎への旅⑶
をお読みいただきましてありがとうございました
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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