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集大成と有終の美に向かって(高校3年 前編)


最初が肝心

とうとう私も高校3年生になれた。 小学生の頃高校生って凄い大人だなぁーって思ってたし中1の時に近所の高校生に喧嘩売られてアホ面して逃れたが(こういう面白い話しは色々あるのでまた機会があれば後ほど。笑)とうとう自分もその域にきてしまった。
そして学生の最高学年ななるので自校他校の先輩の強さとか電車で気を使う事も無くなる。(あまり使った事も無いが)
気持ちがいいものだ。

3年に上がる前の春休みに隣県で駅伝大会があり部員総出で遠征し2チーム出たが平凡な結果で監督をガッカリさせてしまった。
1チームは上位に入るぞと意気込んでたからだ。
そう、気づいたらと言うか、知らぬ間に監督は長距離にもちゃんと目を向けて時には厳しい言葉も飛んでいた。

私は期待に応えようってよりかはまだ見返してやるとか見てろよ!って気持ちだったがよく考えてみたら個人的にダメ出しされたりバカにされたような事を言われてはいなかった。笑

4月に県の記録会があり私は1500mにエントリーされてた。 もしかしたら5000mも走ってたかもだがこの日は1500mの記憶が深すぎて覚えてない。
記録会なのに予選と決勝があった。
私はスピードに自信が無く1500mってあまり得意じゃないと言うか苦手意識が強かった。 
多分だが、あまり乗り気じゃないなぁーって気持ちだったかな。

終わってみれば予選通過してた。記録も4'15"くらいだったと思う。 これより遅いタイムは出さないようにしようと思ってたから多分そう。
※ちなみに今も基準は4'15にしている。
まぁ、自分でもビックリだし正直この時は1500mがどれくらいのタイムなら速いとかも知らなくて予選のタイムってより通過出来た事に舞い上がってた。
当然同じチームの自分より速い2人も通過してたので決勝は心強かった。

そして決勝。15人くらいで記録会なのにスタート前に名前を読み上げられ紹介される。笑
こーゆーのも初めてで人前で晒されてる感じで恥ずかしかった。笑

結果は5〜6番目くらいで前2人が同じチームメイト。
着いて着いて最後に刺して逃げようと考えてたが最後に出しきれなかった記憶が残っている。
※今も全然変わらない。笑
タイムも予選と同じ。
悔しい気持ちもあったがいい経験できて満足してた。


1500mで狙っていくぞ

この記録会が終わって監督から告げられた。

今年の総体は1500m狙っていくぞ。

自分でもビックリしたがスピードも自信が無い私に何の根拠があってか分からないがこの人が言うならいけるのかな?とも思ってた。

狙うと言ってもインターハイとかそんなんじゃなく県で6位に入り北九州大会へ行くぞと。
こうなると学校始まって以来初めて長距離の快挙となる。

エースでキャプテンは3000m障害
準エースは5000m

この3人で入賞を決めるぞと。

今さらながら構図的に見ても凄いキレイなバランス。

どんな状況でも走るエース、安定して走りきる準エース、そして勢いで走る博打みたいなヤツ。
そしてそこに追いつけと必死に後ろから着いてくる。
弱小チームが這い上がっていくストーリーが組み上がっていた。

まぁ、ぶっちゃけキャプテンには何一つ勝てなかったけどね。笑

そして何よりあの監督が初めてここまで目をかけてくれた事が凄く嬉しくていつの間にか見返してやるって気持ちから期待に応えよう、最後の1年いける所までやり切ろうと思っていた。

そうと決まれば私は練習に熱が入る。サボる事も忘れ遊ぶ事も程々にして常に勝つ事を考えていた。
練習メニューは基本大体みんな同じだけど最後に300mが流しじゃなく全力に変更された。
大会前は種目別に分けられる。
私がスピードに自信が無いのを見切ってたのか、とにかくスピード練習だった。

出して出して出し切れ。 とにかくコレ。
全力、全力、全力!! よく怪我しなかったなと。笑
そしてこの時に今更ながら初めてスパイクを購入した。笑

そしてこの年から監督が新しく取り入れた
「メンタルトレーニング」
最初はホント胡散臭いって思ってた。
なんか最初は専門の講師みたいな人が来てこのトレーニングの事をウンタラカンタラ話しをする。
当時Jリーグ始まったばかりでなんかどっかのサッカーチームでも取り入れて成功してるとか言ってたな。
まぁ、経験等の繋がりで見つけてきたんだろうな。
リラクゼーション・フィーリングBGMみたいなのに優しいお兄さんのエスコートボイス(笑)のCD流して試合当日朝起きてからの行動をイメージ〜会場へ行くイメージ〜アップその他準備のイメージ〜試合中のイメージ、そしてそれを客観的に見る。
まぁ、マインドコントロールみたいなヤツをみんなで週に3日、試合前は連日、長距離3人と跳躍選手で練習後にやった。
効果があったかは分からない。


まさかの決勝

まずは5月の県選手権。 ココで6位、そして夏の九州選手権の切符を獲る事。
この時、どっかとの合同練習か記録会か忘れたが4'10切るまで上げており
準備もバッチリで挑んだ。

予選も力む事なく余裕の通過。数時間後の決勝に向けてチームの待機場でゆっくり休んでいた。
アップを済ませスタートの場所へ行き最初チェックが始まる。

しかし待てど暮らせど私の名前は呼ばれない。
おかしい。 なぜだ? 
係の人に私呼ばれてないんですがと言いに行く。
ゼッケンナンバーを言うと

「コール行ってないですね」

あ! 忘れてた。 完全に忘れてた。笑

今なら、え?シャンパンコールですか?なんて冗談も言えるがそんな状況でもなく私は青ざめた。

マネージャーはゴロゴロいたけど招集などは自分で管理してやるスタイルだったのでイチイチ言われないし付き添いも今日はオマエがやれとかじゃなく、その時に暇そうにしてる後輩連れてってたから全て自分で管理しないといけなかった。
決勝の中身ばかり考えその前の事はすっ飛んでたのだ。

どうにかお願いしたけど決まりは決まり、残念だけど走らせる訳にはいかないと。

私はボーゼンと立ちつくし決勝を見る訳でもなくレースが終わるまでトラックを眺めていた。 
監督は大会でアナウンス席の係をやってたので決勝のコールもれしてたのはスタート前に気づいていただろう。

レースが終わってダウン終わったらスタンドのフィニッシュライン辺りに監督がいるアナウンス席へ行くが身体が鉛のように重く怒られる、どうしよう、って牛歩しながら辿り着いた。

第一声が

「お前何やってんだ?」 

きたー! 怒った顔では無いが怒った口調。
私はとっさに付き添いの後輩をダシにしてしまった。(グズ)

そんなのお見通しで聞く耳持たずだったが最後は
「バカだなぁ〜、もう次は最後だからな」と半分呆れ笑いで言われた事を今でも覚えてる。
腰ナンバーとかがあれば気付いたかもだが当時の佐賀県はそんなもん無かった。笑
次の日に5000mエントリーしてたから早く帰ってゆっくりしろと。

ちなみにこの日キャプテンは3000m障害で見事入賞した。

残すは6月の高校総体のみとなった。


これが起死回生ってヤツか?

翌日5000m、スタートリストは初日から分かってたが1500の事しか頭になくて5000mは気にしてなかった。

別に記録狙いたいとかもなくてなんとなく走って終わろう、何より前日のショックが抜けてなかった。

5000mは3組のタイムレース。 
私は1組目。 こんな時は大体3組目が1番速く1組目は悪く言えば前座レースみたいなもんだ。
当時5000mのベストが16'30くらいだったからその辺の申請で1組目だったんだろう。

スタートラインで一緒に走る人を眺め県内3強と言われるユニフォームも目に付くがどうでも良かった。
1000m通過しペース速かったが思い切って前に出た。 着いて後半上げれないってのは自分でも分かってたから思い切ったと思う。
※今もこのパターン。笑

そこから気づけば独走状態を築き大差でフィニッシュ。
15'50 思ってもいない夢の15分台がこんな時に飛び込んできた。笑
時計もしてないタイマーも見る余裕なくただがむしゃらに走った。
タイムじゃなく誰も抜かせないと思いながら。

アナウンス席に座ってた監督も通過タイム読む時いっぱい僕の名前言えてよかったね。笑笑

ダウン終わらせて監督ん所行ったが、まぁ褒められる事はなかった。
次に繋げろよと。そんな感じ。
今考えると褒められた事なかったなぁ。笑

ベスト更新だが1組目は1組目。当たり前だが上位に絡む事なく終わった。
ちなみにもう1人の同級生は15'30辺りで一歩及ばすだったかな。


大本命のトラックレース

失敗はしたが5000mでまさかのPBを出し勢いには乗ってた。
負けるって考えが全く無くて自信に満ち溢れていた。
時が過ぎるのはあっという間で総体の日がやって来た。
スピードは申し分ないくらい着きスタートダッシュになっても対応できるくらいにはなってた。

スタートリスト見てもこの組なら確実に決勝行けるな。

しかしコレを外せばもう先が無い。知らない名前もあるが強豪校、遅い訳がない。
予選は確実に通りたい。スピード磨いたが集団でラスト勝負にはちょっと自信がなかった。
このパターンになると確実に落ちる。
1番怖いパターン

キメた。 3着入ればいい。

予選でスタートダッシュは無いと分かってた。

ならば自分で作るしかない。
決勝より予選だった。
先の事より目の前、勝負しよう。

スタートラインに並び心臓が飛び出る程に緊張してた。  予選だけど決勝。決勝見据えた予選。

スタートして貯め込んで作り上げたバネとアドレナリンで一気に前に出た。
最初の直線で先頭に出るのはイメージトレーニング通りだった。笑
最初の1周を多分、60ちょっと辺りかなぁ? 全国レベル辺りのスタートダッシュ決めた。
後ろなんて振り向く余裕ないから見てないが独走までは行かないが間は空いてたかな。

しかし当たり前ながらそんなペース保つ訳なく700m辺りで吸収される。
ココは想定外だった。こんな早くに4人の集団になってしまった。笑
落ちるのは1人。

こんなの観てる側からしたら私が落ちるのは誰でも分かるし、なんならガス欠でもっと落ちるだろうと。

その通り。 最初の400mでもうガス欠どころか乳酸地獄だ。笑
しかし、絶対3着!3着!と集団で一旦落ち着かせたが余裕がある感じじゃなかった。

ラスト150m余力ある人達が抜け出しあと1枠。
もう何も残ってない、魂すら半分抜けてる。

最後スッと行かれたのか私が力尽きたのか少し開いた。

4着でゴールしてしまった。。。

今でも鮮明に覚えてるが座り込んで暫く動けなかった。 頭ん中真っ白で人生終わった感丸出しだった。
タイムも4'13かな? 
負ける気しなかったクセに直前でマイナスな事考えて普通に走れなかった事が情けなさすぎて涙も出なかった。

チームメイトや他校の知り合いもプラスに入ってくるよと言ってくれたが、後の組って気にするんだよね、コンマ数秒で残れなかった。

と言うか、もうプラスで残っても走りたくないって気持ちが大きかった。

出し尽くし脚がきつかったのとちゃんと着順で行きたかったって気持ちがあったから。

結局3流は3流で幕を閉じた。

数時間後の決勝

私は1人でスタンドの1番上から10数名の選手を眺めていた。

こうして私の一つの目標は終わっていった。

ちなみにキャプテンはしっかり3000m障害で入賞しキャプテンらしさを見せつけてくれました。

もう1人はまた後一歩及ばすだった。


長くなりました。 1つ目標にしてた大会は終わりましたがトラックレースは少しあり、初めての夏合宿、集大成の駅伝に向かっていきます。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回、合宿や故障を経て迎える集大成(駅伝)

です。 

震えて待ってみて。




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