Taizo
無学故、政治や経済、憲法改正について勉強しその情報をここでまとめていこうと思います。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり・・・ 人として生きるべき道理とは、何なのだろう。 取り留めもなく、そんな事を考えたりします。
色んな楽器を勉強中。ギターとかチェロとか。バイオリンとか、ドラムとか、ピアノとか。 とかとか。
ボクシングで体を鍛えていきたいと思います。一生懸命頑張ります。
また一年が過ぎ去っていく。 今年はまた、1人の拉致被害者のご家族が 鬼籍に入られることとなってしまった・・・。 幼い子供を残して北朝鮮に拉致された田口八重子さん 12月18日、この田口八重子さんのお兄さんであり 拉致被害者の家族会代表を14年も務められた 飯塚繁雄さん(83歳)がご逝去された。 また一人・・・拉致被害者のご家族が亡くなられてしまった。 そのお気持ちを察するに、如何に無念であったかと思う・・・。 飯塚さんがお亡くなりになったことで 拉致被害者の家族会
去る10月5日 北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんが 57歳の誕生日を迎えられた。 当時、13歳で拉致被害にあった横田めぐみさんは 44年という途方もない時間を、苛烈極まる北朝鮮で過ごしたことになる・・・。 ただただ、信じ難い・・・。 一日千秋の思いで過ごされたであろう、この44年間・・・ 横田めぐみさんご本人や、そのご家族の筆舌に尽くしがたい苦しみを思うと 私などの想像力をどれだけ働かせたとしても、もはや閉口する以外にない・・・。 ただ、この拉致被害に関して私自
生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く 死に死に死に死んで 死の終わりに冥し 弘法大使 空海 「秘蔵空論」 インドに「ウパニシャッド」という古典があり その中で、「ヤヤティ」という王に纏わる 非常に意義深い逸話が語られている。 □□□□■ 「ヤヤティと死神」 古代のインドにヤヤティという偉大な王がいて 遂に、齢100歳を数えるまでになる日が訪れた。 彼は一国の王として途方もなく長い時間を生きながら 生が可能にしてくれる、ありとあらゆるものを楽
主よ、私を平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を 争いがあるところに赦しを 分裂があるところに一致を 疑いのあるところに信仰を 誤りがあるところに真理を 絶望があるところに希望を 闇あるところに光を 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ 慰められるよりも慰める者として下さい。 理解されるよりも理解する者に 愛されるよりも愛する者に。 それは私たちが 自ら与えることによって与えられ 許すことによって赦され 自分の体を捧げて死ぬことによって とこしえの命を得る
「欠点は、常に裏から見た長所である」 徳冨蘆花 この事は、既にプロフィールでも申し上げている事なのですが 私は17歳になったばかりの秋に「悪性リンパ腫」という血液のガンに罹り 化学療法、放射線治療、骨髄移植を経て現在に至ります。 正直な思いを言えば、当時の自分自身にとって それは「悪夢」以外の何物でもありませんでした。 治療そのものも苦痛の連続でしたが 何より、ガンという病気の厳しさは、その治療を終えたとしても 必ずしもそれで「病
いや・・・「はじめました」って言っても つい最近、初めてボクシングをやり始めた訳ではないんですよ。 「おでん、はじめました」 みたいな感じで読んで下さい。 「あぁ、もうそんな季節ね」 みたいな。^^; ■□■□■ 私が初めてボクシングを教えてもらったのは もう10年以上前だったかな・・・と思います。 実家を離れて一人暮らしを始めてから数年が経ち ようやく自分の住んでいる町にも慣れてきた頃でした。 家の近くにある何度も通ったはずの道で ある日ふと、
中国、春秋時代の思想家である孔子に このような言葉があります。 吾、十五にして、学に志す。 三十にして、立つ。 四十にして、おなかプニプニし始める。 ・・・ あれ? 孔子ってそんなこと言ってなかったかな? ^^; どうにも記憶があやふやなのですが・・・ 兎にも角にも 現在39歳の私はこの言葉の通り 四十を目前にして、おなかがプニプニしてきました。 いや、正直に言うと・・・ 三十の時から、おなかはプニプニしてました。 ;。; ただ、四十を前にして、おなかプニ