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いづれの神を祈らばか

去る10月5日
北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんが
57歳の誕生日を迎えられた。

当時、13歳で拉致被害にあった横田めぐみさんは
44年という途方もない時間を、苛烈極まる北朝鮮で過ごしたことになる・・・。

ただただ、信じ難い・・・。

一日千秋の思いで過ごされたであろう、この44年間・・・
横田めぐみさんご本人や、そのご家族の筆舌に尽くしがたい苦しみを思うと
私などの想像力をどれだけ働かせたとしても、もはや閉口する以外にない・・・。

ただ、この拉致被害に関して私自身が最も恐ろしく感じることは
北朝鮮の国家犯罪である事がここまで明明白白であるにも関わらず
半世紀近くもこの拉致問題が放置され続けているという、その事実だ。

今年の8月、横浜で一つの写真展が催された。

「横田めぐみちゃんと家族のメッセージ」と題されたその写真展では
昨年、惜しむらくも天に召された、めぐみさんの父
滋さんが撮影した写真が数多く展示されていた。

めぐみさんの母親である横田早紀江さんはその会場で
報道陣にこの様に語られている。

「写真を見ると当時の香りも思い出せる。
40年以上も放っておかれていることは許せない」

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この問題を40年以上も放置し続けているのは
紛れもなく日本政府である。

がしかし・・・更に根源的な問題提起をするならば
この問題を放置し続けている根本的な要因は
間違いなく、我々日本人一人ひとりにある・・・。

民主的な国家であるならば、いかなる政府も
国民の支持や参政権の行使なしには存在し得ないからだ。


               □■□■□


今年の3月のことになるが、北朝鮮による拉致被害の実情を描いた映画
「めぐみへの誓い」が上映されることを知り、実際に映画館に観に行ってきた。

ただ、この映画が上映されることを知った時は
シネプレックスなど、大きな映画館で全国的に上映されるものと思っていたのだが
いざ、上映されている映画館をネットで探してみると・・・
近畿一円では、大阪の十三にある第七芸術劇場ただ一つしかなかったのだ・・・。

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仕方なく電車に揺られながら第七芸術劇場まで赴いたのだが・・・
新型コロナの影響なのか
それとも観に行った時間が平日の昼間だったからなのか
客は疎で、お世辞にも盛況とは言えない状況だった・・・。

けれども、実際にこの映画を観賞してみて
この様な意義深い映画こそ
全ての日本人が見るべき映画ではないかと深く感じたのだが・・・
そういった映画ほど、小さな映画館で細々としか上映されず
関心を持って観賞する人が非常に少ないというのは
なんたる皮肉であろうかと、嘆息せざるを得なかった・・・。

実際に、この映画の中でも横田滋さん(演者:原田大二郎さん)が語られていたが
この拉致問題は、決して拉致被害者本人や
その家族にとっての問題というばかりでないのだ。
これは紛れもなく、日本という国家の問題であり
日本人一人ひとりの問題だ。


□■□■□


あまり調子に乗って言いたい事を全て語ろうとすると
冗長な文章が取り留めもなく続いてしまいそうなので・・・
今日は、一番伝えたい部分だけに留めておこうと思う。

私自身、どうしたらこの拉致問題を解決することができるのか・・・
という事を深く考えてみたけれど
やはり、まずは日本人一人ひとりが自分自身に関わりのある問題として
拉致問題への関心や責任意識を持つ

という事が必要不可欠なのではないかと思う。

そしてその上で大事なことは
まず、拉致被害者の方々の思いに共感するという事が
第一に必要なのではないだろうか。

できる事なら、日本全国の人々に映画「めぐみへの誓い」を観てほしいと思う。
けれども、今ではもう、映画館での一般上映をしていないので
それも非常に難しい・・・。

あれこれと自分なりに考えてみたのだけれども
私自身なりに、ここでできる限りの工夫を凝らしてみたい。


私は兼ねてより、平安時代に編纂された「万葉集」が大好きで
万葉集の中に自分の好みの「葉っぱ」を見つけるととっても嬉しい。

時代や環境がどれだけ違ったとしても
やはり人はいつでも人なのだなと感じると
1200年以上の時が流れていても
歌の読み手と心が通い合っているかの様な思いを感じる。

それはもしかすると、音楽を楽しむ事とも通じているかもしれない。
喜びの中では喜びの歌を、悲しみの中では悲しみのメロディーを
音楽には、悲喜交交の人間模様に寄り添い、その心を癒す不思議な力がある。

今日はここで
1200年の時を超えて現代に残された「万葉集」の中から
拉致被害に遭われたご家族や、ご本人の思いに寄り添い
その思いを代弁している様な歌を選んで、紹介させて頂きたい。

最初に取り上げるのは、山上憶良の一句。

瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば
  ウリハメバ コドモオモオユ クリハメバ
まして思はゆ 何処より
  マシテシノワユ イヅクヨリ
来りしものそ 眼交に
  キタリシモノソ マナカイニ
もとな懸りて 安眠し寝さぬ
  モトナカカリテ ヤスイシナサヌ

         山上憶良 「万葉集」

[現代語訳]
瓜を食べては子供を思い
栗を食べては子供を思う
まったく、何の因果で俺たち
こうして親子になったのだろう
かわいいあの子のその姿
やたらと瞼にちらついて
俺はちっとも眠れない


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(家族旅行の列車内で、双子の弟たちとはしゃぐ横田めぐみさんと横田滋さん)


山上憶良と言えば、誰しもが知る非常に有名な歌がある。

「憶良らは 今は罷らむ子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ」

この様な山上憶良の子煩悩な人柄が
私には、子供たちを暖かい愛情で包む
滋さんの姿と重なって仕方がない・・・。

滋さんもきっと、山上憶良のように
どんな時も子供を思う気持ちで
胸がいっぱいだったに違いないと思うのだ・・・。

更に、先ほどの歌には、素晴らしい反歌が添えられている。

■ 反歌(長歌の後に添えられる短歌) ■ 

銀も 金も玉も 何せむに

  シロガネモ クガネモタマモ ナニセンニ
勝れる宝 子に及かめやも
  マサレルタカラ コニシカメヤモ
            山上憶良

[現代語訳]
金もダイヤもかなわない
この世のどんな財宝よりも
やっぱり我が子が最高さ


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<<  写真提供:https://pixabay.com/ja/ >>

きっと、父の滋さんも、母の早紀江さんも
めぐみさんのことを、宝物の様に育てておられたに違いない・・・。

けれども・・・そんなめぐみさんが
わずか13才であったにも関わらず
下校途中の帰り道で、北朝鮮の工作員に連れ去られてしまった・・・。


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そして次に紹介する三つの歌は
これまでの歌とは立場が変わって
横田めぐみさんをはじめとする
拉致被害者の一人称の心情を代弁しているかの様な歌だ・・・。


朝露の 消易きわが身 他国に
  アサツユノ ケヤスキワガミ ヒトクニニ
過ぎかてぬかも 親の目を欲り
  スギカテヌカモ オヤノメヲホリ
        麻田陽春 「万葉集」

[現代語訳]
朝露のようにいつ消えても
不思議でないこの命だけれど
こんな異国では死にたくない
ひと目、故郷の両親に会いたい


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出て行きし 日を数へつつ 今日今日と
  イデユキシ ヒヲカゾエツツ キョウキョウト
吾を待たすらむ 父母らはも
  アヲマタスラン チチハハラワモ
             山上憶良

[現代語訳]
僕が旅立ったあの日から
幾日経つかと指折り数え
父さん母さんは待っているだろう
今か今かと僕の帰りを


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天地の いづれの神を 祈らばか
  アメツシノ イヅレノカミヲ イノラバカ
愛し母に また言問はむ
  ウツクシハハニ マタコトトワン
       防人歌・大伴部麻与佐 「万葉集」

[現代語訳]
天地のどの神に祈ったら
愛する母とまた 
言葉を交わせるのだろう


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最後の歌は、悲しすぎて思わず泣きそうになってしまう・・・。

しかし、実際に有本恵子さんは、お母さんが既にお亡くなりになっており
あまりに残酷だが・・・今すぐ帰って来られたとしても
もうお母さんと話をする事はできない・・・。

けれど、今すぐに帰ってくる事ができれば
お父さんとは会って言葉を交わし、抱擁することはできる。

横田めぐみさんも、非常に残念でならないが・・・
父親の滋さんとはもう会うことができない・・・。
けれども、もしも今すぐに帰ってくる事ができたなら
母親の早紀江さんの体を、確と抱きしめる事ができるのだ。

それを実現できるかどうかは
この同じ時代を生きている日本人一人ひとりの意思と責任にかかっている。

北朝鮮による拉致問題は、もう本当に時間が残されていない・・・。


当事者であるご家族にとっては、安穏と構えていていい時間など一切ない。


10月5日、横田めぐみさんが57歳の誕生日を迎えるにあたって
母親である横田早紀江さんが、産経新聞にこの様なメッセージを寄せておられる。

拉致事件が起きて40年以上が過ぎゆく中
非道で残酷な事実は風化し、解決が遠のいていく不安を常に感じていました。
放置、無関心、不作為-。これほど大事な問題がなぜ、拾い上げられないのか。
理由をさまざま考えましたが、最後は日本が国家として全身全霊をそそぎ
子供たちを取り戻すしかないのです。

このままでは、日本は「国家の恥」をそそげないまま
禍根を次の世代に残してしまいます。
私たち親の世代は絶対に、この国家犯罪に決着をつけなければなりません。
すべての子供たちが祖国の土を踏む姿を見届ける人生でありたいと
切望しています。

普通の庶民であるわれわれは、声を上げて訴えることはできても
直接、被害者を取り戻す力はありません。
今こそ優れた政治家、官僚の皆さんに力を発揮していただきたい。
何よりも困難な局面にある今、国民の皆さまの一層の後押しがなければ
事は前に進みません。
ふとした日常に被害者を思い、思いを声にして伝えていただきたい。
心の底からそう願っています。

            
 産経新聞 「めぐみへの手紙」横田早紀江 より


横田早紀江さんの言葉を噛みしめながら
本当に、その通りであるなと感じる・・・。

そしてこの記事を目にした事で
自分にも何かできることはないだろうかと思い立ち
今、こうしてこのnoteを書いている。

「天地のどの神に祈ったら
この拉致問題は解決するのだろうか・・・」



きっと拉致被害に巻き込まれた方々やそのご家族は
その様な思いでおられるのではないだろうか・・・。

けれども、同じ日本国民としてその責任を分かち合う我々は
もはや神に祈っている場合ではない。
それだけでは何も変わらない・・・。

実際に日本人の一人ひとりが、この問題に関心を持ち
責任を持って声を上げなければ、この問題は決して解決しない・・・。

一人ひとりが
この問題に対して
どうするのか。

この拉致問題によって
我々、日本人としての覚悟
今、試されている。




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