もう一つの理由
「欠点は、常に裏から見た長所である」
徳冨蘆花
この事は、既にプロフィールでも申し上げている事なのですが
私は17歳になったばかりの秋に「悪性リンパ腫」という血液のガンに罹り
化学療法、放射線治療、骨髄移植を経て現在に至ります。
正直な思いを言えば、当時の自分自身にとって
それは「悪夢」以外の何物でもありませんでした。
治療そのものも苦痛の連続でしたが
何より、ガンという病気の厳しさは、その治療を終えたとしても
必ずしもそれで「病気が治った」とは言えない所にあるように思います。
一通りの治療が終わった時点では
「治癒」ではなく「寛解」と言われる状態でしかなく
それは「症状や検査異常が消失した状態」でしかありません。
当時を思い出すと、ただ恥ずかしい思いしかないのですが・・・
同じ病棟で知り合った同病の方々が
再発を繰り返しながら亡くなっていくのを何度も見送る中で
「明日は我が身か・・・」と
ただ絶望に身を任せ、自らの未来に悲観的になったり
情緒不安定になっていた時期もありました。
私が悪性リンパ腫に罹ったのは高校2年生の秋でしたが
その当時は丁度、家庭でのインターネット利用が
一般的になり始めた頃だったと記憶しています。
私自身ももちろん
インターネットを使って自分の病気の事を調べてみましたし
同じ病気の方が書いておられる闘病記のブログが
当時でも、かなりありました。
私がよく見ていたのは「海好き」というサイトです。
年齢も性別も職業も人それぞれでしたが
この病気は、比較的若い方も多く罹る病気で
特に、年齢や境遇が近い方の闘病記には
とても励まされていました。
ただその中で
「現実は決して甘くない・・・」
という事を思い知らされたのも事実です。
闘病記を書かれている方々の中には
治療の甲斐もなく、志半ばで亡くなられる方も
もちろんおられます・・・。
こちらのサイトの配慮として
そういった方のブログには[天使]と表記して下さっているのですが
最初はそんな事も全く知らず、気づきもせず
私はただ、一心不乱に読み漁っていただけでした。
同じ病と闘っておられる方たちの綴る言葉に
私はただただ、深く頷くばかり。
延々と続く治療の苦しみに耐えながら
将来への不安や葛藤、自らの運命、宿命について語られる
その言葉の一つひとつが
全くの他人から発せられた言葉であるとは思えないほど
自らの心に響き渡り、その奥深くへと沁み入るようでした。
それは、立場こそ違えど
自分自身が同じ経験をしていたからでしょうし
互いの中に共鳴し合う何かがそこにあり
だからこそ、より一層に
私自身も、そういった方々の快復を
切に願わずにはいられません・・・。
しかし、闘病記の最後の最後になって
ご本人の投稿からご家族の投稿に変わり
ご本人が既に亡くなられていた、という事を知らされ
涙に濡れながら、決して届く事のない思いをメールに込めて送った
と、いうような事もあったなと、当時の事を思い出します。
時には、実際にメールを交換するようにまでなった方が
その後、再発を繰り返して亡くなってしまう・・・
という事などもあり、そんな事が重なっていく中で
いつの間にか、ネットで闘病記を検索して読んだり
同じ病気の方とネットで繋がるような事はなくなっていきました。
インターネットはとても便利な道具ですが
時に、自分が受け止め切れない現実に出会ってしまう事もあります・・・。
そんなあの頃から20年以上の歳月が経ち
血液のガンに関する医療水準は
かなりの進歩を見せていると思います。
特にこの病気は、2002年に分子標的治療薬である
リツキシマブ(リツキサン)が保険適用されるようになり
それ以前と比較して、大きな治療効果を上げていますし
私が闘病していた頃にはなかった新しい治療法も
認められてきているようです。
医療の進歩と共に、この病気は着実に
「治る病気」に近づいていると思います。
とは言え、「ガン」という言葉を聞けば
恐怖が先立ってしまうのも当然でしょう・・・。
昨年は、水泳の池江璃花子選手や
アナウンサーの笹井信輔さんが血液のガンを公表し
世間の耳目を集める事となりました。
ガン告知を受けた頃の私は
広大無辺なインターネットの世界を
ただ、オロオロと狼狽しながら右往左往するのみでしたが
もしかすると、今こうしている現在にも
かつての私自身のように血液のガンの告知を受け
このネット上を彷徨っている方も
おられるかもしれません・・・。
「誰かの為」なんて言うと
自分自身ですら、とっても嘘くさいと感じますし
歯が浮く、と言うか
尻こそばゆい、と言うか
ともかく、全身が「かいー」くなってしまいますし
それもこれも含めて、結局は全部自分自身の為なのだから
全く、「人の為」なんかではないですが・・・
ただ・・・
17歳で悪性リンパ腫に罹って
抗がん剤治療して
放射線療法をして
骨髄移植をして
それから22年間
なんとかかんとか元気に生きてます!
という経験は、決して望んでできる事でもないでしょう。
明治の文豪、徳冨蘆花はこのように言いました。
「欠点とは、常に裏から見た長所である」
入院治療を行っていた当時の私にとって
この病に罹った経験は、ただの「悪夢」でしかありませんでしたが
けれども、そういう経験があればこそ
誰かの役に立つ、という事もあるかもしれない。
私自身は、ただ普通に生きているだけの凡庸な人間に過ぎませんが
今、そのような病を抱えている方にとって
ただ普通に生きている私自身の姿が
少しでも、ご自身の未来にポジティブなイメージを持つ為の
「材料」になってもらえるとしたら
これほど嬉しい事はないなと
そのように思うのです。