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不或

中国、春秋時代の思想家である孔子に
このような言葉があります。


 吾、十五にして、学に志す。
 三十にして、立つ。
 四十にして、おなかプニプニし始める。
 ・・・


あれ?
孔子ってそんなこと言ってなかったかな? ^^;

どうにも記憶があやふやなのですが・・・

兎にも角にも
現在39歳の私はこの言葉の通り
四十を目前にして、おなかがプニプニしてきました。

いや、正直に言うと・・・
三十の時から、おなかはプニプニしてました。 ;。;

ただ、四十を前にして、おなかプニプニどころか
体の疲れやすさを一層に感じるようになり
加えて、新型コロナの脅威が世界を震撼させているこのご時世
健康を維持し、免疫力を高めておくことの大切さを
より切実に感じるようになったのです。

以前から「体を鍛えないといけないな」と思いつつ
「仕事が忙しい」とか、「時間がない」とか
そんな言い訳ばかりをしていたように思います。
ほんと・・・ダメですね。 ;。;

そんな風に、「体を鍛えなければ」と頭では思いつつ
なかなか思うようにいかない日々を送っていたのですが
ある日、たまたま見ていた情報番組でこんな事を知りました。

最近、YouTubeで変わった動画の投稿が増えているそうで
「自分が机に向かって勉強している姿」や
「ひたすら家事をこなす姿」を映した動画が人気なのだとか。

そういった動画を撮って投稿している方々は
自分の努力した結果を記録に残すことで
「モチベーションを高めることができる」と言います。

そしてもう一方で、そういった動画を見ている方々は
目的意識を持って頑張っている方の姿を見ることによって
自分自身も、発奮して「やる気が湧いてくる」のだそうです。

その時は、「そーゆーもんかなー」と
軽く聞き流していた私だったのですが
丁度そんな頃に、YouTubeで「とある動画」に出会いました。

それは、日々10分間だけ時間を決めて
ひたすらギターの練習をしている、という動画でした。

「〇〇弾いてみた」とか「△△唄ってみた」という動画はよくありますし
私も音楽が好きなので、時間がある時によく見ています。
けれど、練習している様子をYouTubeで世界に発信している動画は
初めて目にしました。

もちろん、練習中のギター演奏なので
それ自体を「音楽」として聴くことはとてもできません。
しかし、一つの曲を覚える為に、日々練習を積み重ねているその姿には
音楽そのものの美しさとは別の、直向きで純粋な美しさを感じたのです・・・。

何かの目的に向かって努力を重ねる姿というのは
それが何であれ、例外なく美しいものだと、私は思います。

きっと、人が「勉強している姿」や、「家事をこなす姿」を動画で見ている方々も
同じような思いなのでしょう。

そのように、「YouTubeに動画を投稿する」ということそのものが
一つの目的を果たすための有効な手段となる
、ということには
「YouTubeの新しい使い方であるな」と、目から鱗が落ちる思いでした。

その様な新たな気づきから
自分もトレーニングを継続する為のモチベーション維持を目的として
YouTubeに動画を投稿してみようと思い立ったのです。


             ■□■□■


ここで、冒頭の孔子の言葉に戻りますが
みなさん既にご存知の通り
孔子は「四十にして惑わず(不惑)」と言いました。

一般的にこれは
「私は40歳になり、迷うことがなくなった」と訳されています。

しかし、この「不惑」は完全な誤訳であるそうです。

そもそも「不惑」の「惑」を支えている「心」という字は
歴史が浅い漢字であり
孔子が生きていた春秋時代には存在していませんでした。

きっと、時代の流れの中で
誤って翻訳されてしまったのでしょう・・・。

孔子が真に云わんとしたことは「不或」であり
「或」という字は即ち「枠」のこと。

つまり・・・

「40歳になったら、自分を『枠』にはめて限定することなく
様々な物事に挑戦して、その可能性を多方面に広げてゆきなさい」

ということをこそ、孔子は伝えようとしたのです。


             ■□■□■


私自身も今年の夏で
遂に「不或」の40歳になります。

孔子のこの言葉に倣い
これからは自分を枠にはめてしまうことなく
様々な可能性を広げてゆけたら素晴らしいと
そう思うのです。

ひとまずは、何よりも「健康が第一」ということで
トレーニング動画をアップしていこうと思いますが
楽器も色々と勉強中なので
ゆくゆくは楽器の成長記録もアップしていきたいと思っています。

もしもご興味が持たれた方がいらっしゃいましたら
ご覧頂けましたら幸いです。

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