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譜面、あるいは演奏/録音のテクノロジー

DAW及びプログラミングや人工知能などを使った音楽ソフトは、譜面から遠く離れた音楽制作を可能にした。紙の譜面はまだ欠かせないものなのか?

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録音する前に譜面を書いていた…

かつて、4トラックのカセットMTRを使って宅録していた頃、たった4つしかないトラックに、それ以上(12とか16とか)の楽器を録音するためには、録音する順番とか、どの楽器を右側・左側にするかなどを録音する前に決めておかなければならず、また、複数の楽器をピンポン(ダビング)した後では個別の楽器を差し替えることもできないので、録音する前にすべての楽器のアレンジを含めて演奏を決めておく必要があった。そのために、売られているバンド譜を見習って、演奏する全パートを楽譜にしていた。

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録音の前に、まず、紙に書ける範囲で極力書いてしまうというクセは、DAWを使っている今でも抜けず。譜面はあくまで「実用的なもの」として、個人的には必要なアイテムとしてあるのですが、では、音として聴かれる音楽の、そのすべてを紙の上に記述できるのか、そこまで譜面が万能なのかという…。

たとえばノイズを14小節目に入れようと考えた場合、それがどんなノイズなのかを譜面上に記号表記することは難しい。入れる場所や長さを指定することや、ノイズの波形をプリントアウトして貼り付けることなら可能だろうけど。さらに、ミックスやエフェクターの処理まで事細かに譜面上に書けるかということもある。それらすべてを明記するとなると相当に煩雑というか、その音響は機材や楽器の特性、録音のやり方などに大きく左右されることになり、どんな場合にも汎用できる正確な記載というのは困難だろうと思う。曲ができたあとから、「この曲はこんな機材を使ってます。ミックスはこうで、エフェクターの種類やかけ方は…」と個別に説明することならできるだろうけど。

譜面の役割と「演奏と録音の関係」

譜面の役割について考えると、ややこしくなってくるのは、今日では、音楽というのは、生演奏だけでなく、「録音した音楽」を聴くことが一般的だということがあり、もともと楽譜というのは、演奏者が曲を演奏するための弾き方を表記しているものであったはずで、録音についてまで表しているものではないということ。つまり「演奏と録音の関係」という問題があって、これは、舞台と映画の関係に少し似ているかもしれない。

仮に楽譜を、演劇などにおける脚本のようなものだと捉えれば、役者は脚本に書かれた通りの演技を行うから、劇の進行はすべて脚本に書かれている、ということになる。いや、現代では意図的に脚本を排した演劇というのも存在するかもしれない。ゴダールという映画監督は、ひたすらアドリブを加えていくような演出や、大胆な編集などで映画をつくったひとで、脚本をあまり重視しない映画作りをしていた。まず先に完璧な脚本という考えはなかったようで、音楽に喩えていえば譜面に書かれた内容を完璧に再現することをよしとするような譜面中心主義者ではなかったわけだ。

ただし、脚本のあるなしに関わらず、映画は演劇とは決定的に違う点があり、というのは、映画はカメラで撮られたものを観ることを前提としている。生のものを鑑賞するのではなく、「映像」という媒介物(メディア)が存在して初めて「映画」というものが成立している。これによって、演技が作品の最終的な価値を決めるのではなくて、映像を撮ったあとの、編集などの過程を経た後のものが作品の価値を決めることになる

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Made in U.S.A (1966) Jean-Luc Godard

この話は、音楽にも妥当しそうだ。今日では、録音された音楽は、演奏が音楽の最終的な価値を決めているのではなくて、それを録音したあとの、ミックス処理などの過程を経た音源が作品の価値を決めているということになるのだろう。楽譜というのは楽器演奏のやり方を書き表したものだとしても、譜面で録音に関わることまでは現しにくいという。録音は、演奏をした後の行程なわけで。

演奏と録音のテクノロジー

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50年代の前衛音楽などでは、録音というテクノロジーを音楽に取り入れようとしていて、シュトックハウゼンが書いた楽譜などを見ると、いまのDAWの画面によく似ていたりするし、そういう先駆的な試みがたくさんあって興味深い。当時の音楽には、楽譜に「テープ」というパートがあったり、これは、録音という媒介をもう一度譜面の内側に引き戻す/取り入れようとする試みだと思うけど。 その頃「テープ」が果たしていた役割は、いまではコンピュータのDAWソフトなどが担っているのだろう。クラブ系のライブなどではノートブックが楽器のように使われるし、弦楽器とコンピュータのサウンドをコラボさせた実験音楽などは多い。しかし、「テープ」と「DAW」はどこまでが同じで、どこが違うのだろうかという疑問がわいてくる。

DAWが普及する以前には、シーケンサーが全盛だった。1990年代中頃からシーケンス・ソフトが普及して、外部音源や単体MTRなどを「MIDI」でコンピュータと繋いで曲を制作するというスタイルが出来上がった。シーケンサーとは、単純にいえば曲を自動演奏してくれるものだけど、「打ち込み」とは音符を入力していく作業で、シンセなどの楽器につなぐと打ち込んだ通りに演奏が始まる。シーケンサーは演奏に関わるものであるため譜面とはかなり素性がいいはずで、大概のシーケンス・ソフトには楽譜入力画面がついているものだ。シーケンサーの特徴は、演奏する「データ」を記録してくれるもので、「音」を記録するものではないから、同じ演奏データで「音」を自在に変更できるということがあると思う。

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さて、もうひとつ90年代に普及してきたものにサンプラーがあった。これは、シンセサイザーなどのように音色をその内部で発振させた周波数によってつくりだすのではなく、外部の音を「録音」して使うという代物で、録音した音を楽器のように演奏するというものだった。先ほど、録音とは演奏を行った後の過程だと述べたけど、最終的に決定されたはずの録音物が、ここでは再び「演奏」するために使われることになる。つまり、ある種のひっくり返しがここで生じる。

「サンプリング周波数」という言葉を聞いたことがあると思う。CDでは通常44.1KHzで、録音の原理はサンプラーも何ら変わらない。でも、ここで録音は、「聴くためのもの」と「演奏するためのもの」のふたつに分かれることになる。たとえば、生ピアノの音を録音して、それをサンプラーに取り込み、シーケンス・ソフトで鳴らせば実際にピアノを演奏しているのと変わらないような演奏になる。さらにその演奏をリミックスしてHipHopで使うなど。「演奏」と「聴く」という行為には、録音という媒介を通してひっくり返されていく再帰的な過程がこれまであったと思う。

このように、演奏と録音の関係は簡単なものではなくなってしまった。昔なら、

①「ピアノを演奏する」→「それをマイクで録音する」

でよかったものが、

②「ピアノの音を一音ずつサンプラーにアサインする」→「シーケンサーにつなげて演奏する」→「その演奏をラインで録音する」

に変わり、

③「②で録音したピアノ演奏の1小節をサンプリングしたものをシーケンサーでループさせ、別の曲をミックスして演奏する」

となっていくなど、一言では片づけられないことに…。

上はwavetoneという解析ソフトで、テレビ等から録音した音声データを解析させ、シーケンス・データとしてMIDI出力させてみたもので、実際に聴くと、アナリシスというより作曲に似た何かのよう。人の声や会話などの非楽音をノート(前半)+コード(後半)解析してピアノ演奏させています。サンプラーとは違うものだけど、音のデータを解析してMIDIデータに変換できるなど、より進んだものなのかも。参考までに。

DAWとデジタルの外部

これまでのような作業すべてをこなせるようになったものがDAWだといえるかもしれない。音データと演奏データを一つの画面上で同列に扱うことができるようになった。これまで個別に用意しなければならなかった、シーケンサー、シンセ、サンプラー、ミキサー、MTR、エフェクターなどといったものや、楽器やボーカルといったものも含めてすべてソフトの内部だけで作り上げることが可能にも。自分の安いノートブックでもできるという。実用的な面でも、デジタルのすごさを痛感する。

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譜面というのは「作曲」に関わるものだろうけど、音楽を奏でるには「演奏」することが必要で、それを「録音」したものが今日では流通している。この3つが全部含まれてくるのがDAWソフトだといえるかもしれない。ただし「作曲」「演奏」「録音」の3つの要素は、音楽をつくる過程においてはけっこう錯綜してくる。つまり今日では「作曲」とか「演奏と録音」の関係だけで音楽を見ていこうとすると、昔よりややこしいことになってしまうのだ。そこで、いままで「演奏と録音」ということで話を進めてきたわけだけど、「デジタルとその外部」という枠組が別の課題として浮上してくるのではないかと。

オルゴールもシーケンサーも自動演奏には違いないけど、デジタルの場合すべてが「データ」として扱われるわけだから、「音も演奏も皆同じデータ」ということになる。極言すればデジタルとはあらゆるものが「データ」として置き換え可能な世界である。

音も演奏も皆データ化できることになり、作曲も演奏も録音も、楽器や肉声までもが「データ」としてソフト化され、現在ではPCが一台あれば音楽がすべてつくれるまでになっている。ただし、これだけ様々なものをソフト化できても、パソコン本体のような「ハード」を皆無にはできないということもあって、目に見えないデータだけが自律してプログラムを動かすことってたぶんムリで、仮に技術が進んでも、そういったデータを動かすためにはなんらかの物質的な枠組がどこかに必要になるはずだ。つまりデジタルはその内側ですべてを完結させることはできず、外部とのつながりをどこかで有している必要があると思う。

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デジタルの内部で音楽が完結しているかのように見えても、コンピュータのキーボードを叩いて実際にその音楽を打ち込んだひとは、デジタルの外側で暮らしているどっかの誰かということになる。音とか演奏とかいったものは元々デジタルの外側にあったわけで、それを後からデータ化して取り入れてきたのだから、そのことをもってしてもデジタルの内部には外部が関わっているといえそうだし、ノートブック一台で音楽ができるようになっても、どこかで外部とつながっていることには違いない。

プログラミングと即興演奏

データはプログラムによって動くから、譜面をもとにしたシーケンス・ソフトとは別に、MaxやSonic Piといった音楽用のプログラミング・ソフトによっても演奏や作曲は可能だし、アルゴリズムを使ったコンピュータ音楽という分野もある。プログラミングによる音楽の場合、和声・旋律・リズムといった音楽的な要素の上位概念にプログラムがあるという感じで、複合的・入れ子状に記述されたソースコードは音符ではなく曲の構造を示している。その構造に直接手を加える行為がコーディングという演奏になってくる。楽器を弾いて音を鳴らすのとは違うけど、ソースコードを操作して演奏するという行為は、コンピュータ・ソフトの「中身」をリアルタイムで動かすライブ、ということに。このようなパフォーマンスは「ライブコーディング」と呼ばれる。

人間の手を離れてコンピュータが動かす「計算」に、再び人間が外から手を加える「ライブ」は、そこに非計算的なものを差し挟むことになる。命のないメカニズムによって事物の因果関係が計測される演奏の中で、人が手を加えて「ほど良い加減」の許容値を壊すほどに、何かパンキッシュなものが生まれるという感じがする。

Show Us Your Screens

コンピュータ・ソフトはプログラミングされたコードによって動いているけど、数年前のDeep Learningのブレイク以来すでに市民権を得た感のある人工知能(AI)では、アルゴリズムの後から生まれる一種の「メタ回路」のようなものが学習によって作られるとでもいうか。「でも、それは見えない」ということになりそうだ。たとえば、様々な写真からネコという同一なものを抽象する能力は、AIでは学習によって可能になる。「ネコ」を見分ける経験的な判断能力が人間より達者になったということは、言葉の意味がたとえわからなくても同一なものが抽象可能になったということだから、その回路がデタラメでは無理なわけで、AIのどこかに「形式化できる何か」が必要なはずなのだ。それはどこにあるのか…?

「メタ回路」はAIが学習した「後から」生まれるものだから、初めから書き込まれているプログラムとは別の位置にあるはずで、ソースコードの中をいくら探してもそれは見つからないだろう。すると「メタ回路」は抽象的な場所にあるのかということになって、これは、構造に似ている。ただし学習によって構造はズレていくだろうから、ここでの構造は固定化されていないもので、プログラムの「後から」生まれるものなのだ。

自動作曲12

人工知能を使った自動作曲ソフトなどで実際に曲を生成してみると、クリックひとつで、頭で考える暇もない速さでいくらでも複雑な旋律が生成できてしまう。五線譜にト音記号をひとつ書き始めようとする前に、すでに曲が完成している。さらにクリックするたびごとに、リアルタイムで延々と音楽を作っていくことができる。どんな演奏を生成するかは、こちらから見ればその都度偶然というか、一期一会になることも。繰り返さない行為、すなわちライブ的な。出来上がった音楽の細部に至るまで、それは従来の機械のように規則正しくもなければ、といって「デタラメ」な個所はどこにもなく、ランダムさに即興的な雰囲気が漂っているというか。人間と似たような演奏をする機械は、より「人間的」な即興演奏を、ほとんど人間離れしたメカニズムによってこなしてしまうのだ。

上はstyleSeqというAI自動作曲ソフトが生成した音楽。曲はその都度、瞬時にいくらでもつくれるし、そんな即興性は、AIが得意な分野なのかも。学習や経験やそれに基づいた判断などが、機械の領野に入ってきているという感覚がある。

(了)

譜面、あるいは1

[補記] この文章の初出は、はてなブログ「譜面について、2,3のこと」(2014年04月25日)です。今回、本文を大幅に修正し、「プログラミングと即興演奏」の章を新たに加筆しました。(2020年05月17日)

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