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(4) 国家間の 探り合い


 中欧と東欧主要国の首都にあるデパートの買収が完了し、ハンガリー・ブタペストとオーストリア・ウィーンのデパートを先行オープンしようと、スタッフを送り込んだ。店内レイアウトを少しだけ弄る。食料品売り場と飲食店だけの変更に留めて、店名をMillenniumと変えて再スタートとなった。各フロアのテナントは暫く売上を見極めながら判断していこうとしていた。

飲食店は、ウクライナの酪農家が育てた「肉厚 和牛ステーキ」など肉料理の店舗「Latino」とノルウェーの海産物をふんだんに使った「特上寿司」と「季節の天ぷら」の和食店「彩」、そしてパンとケーキが売りのカフェ「HookLike Cafe」の3店舗をオープンさせた。
この3店舗のメニューで利用している食材を、日本的デパ地下食品売り場・Marcheの精肉店、八百屋、果物屋、魚屋、酒屋、パン屋、ケーキ菓子店で販売し、それぞれの食材を使った惣菜売場を並べる。この全ての惣菜のレシピをAIが考案している。惣菜とパン、ケーキ類はウクライナ西部のリヴィヴで製造して、ドローンジェットヘリでブタペストとウィーンに毎日配送している。
「Millenniumでなければ食べられないし、購入出来ない食材と惣菜」という商品を、次々と揃えてゆく。また野菜は今はウクライナ産だし、果物は南米、ワインは南米、ウィスキーは日本産だが、それぞれの国の農家やワイナリーを、ウクライナ人の資材担当者が訪れて、視察してゆく。ウクライナの農場やボリビアワインよりも良かったり、その土地の名産品を調べて、野菜果物を店舗毎に変えてゆく。
いずれ、スーパーのIndigoBlue Groceryも進出する予定だ。「Millenniumの商品棚に商品が並ぶこと」各地の農家や実業家の目標になるような、そんな目利きを中欧・東欧でもしながら、ゆっくりと進めていこうとしていた。そんな時間軸だからこそ、西欧まで到達するには時間が掛かると考えていた。

改装後、最初は物珍しさで客も入る。客が入ればこっちのものだ。AIもそうだが、経験値から「食材の良さと、料理の美味しさは万国共通」という自信を持っていた。
日本のデパ地下の売上がデパート全体の売上の4割を占めるというが、Millenniumは5割を目指している。食が売りとなるデパートだ。

ブタペストとウィーンの人々に喜ばれると、ハンガリーとオーストリアの第2、第3の都市にスーパーマーケットIndigoBlue Groceryを建設してゆく。

ミレニアムグループに採用されるために1次産業や食品メーカーやワイナリーが熾烈な競争を始める。そんなサイクルが実現すれば、他のデパートもスーパーも小売店も活性化して、やがては各国の経済を支える一助となるかもしれない。供給先となる農家や事業家に経済的な成功を得て頂きながら、必要な農作物を買い入れ、他の国々のデパートやスーパーでも販売してゆく。これが、欧州におけるミレニアムグループの地域浸透策となる。

中欧・東欧・北欧の食材を中心として、デパート店舗をアラブ諸国に展開しようと企んでいた。各国の王族、政府がご丁寧に建設地まで用意して、UAEが設計図から完成予定CGまで作っていた。そこまでしてくれると断る事も出来ず、従うしかない。既に建設も始まっている。こちらはテナントを選んで、入居するだけだ・・

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サウジのメディナに住んでいるPB Middle eastの志木副社長と柴崎マネージャーと夕食を共にしていた。隣国なので、度々ドーハに訪れていると言う。市内でもデパート建設が始まっていて、今日はスークキワーフという観光商業地へのテナント出店で打合せだったという。

海斗が自分のデザインセンスを棚に上げて、自分もRsのスポーツショップを出したいと考えていると突然言い出した。
確かに、サッカー人気がある国で所々でスポーツショップはあるが、ブランド直営店は、大型のショッピングモールにはあっても、観光地には雑貨屋の延長のようなサッカーボールとシューズとトレーニングウエアをついでに置いてます的な店舗しかなかった。
柴崎さんが海斗のプランに飛びついたが、それ以上の思惑を感じた。何やら2人の世界に入っている。
こちらは志木さんから「ちょっとだけ先輩」として、コストの掛かる中東での生活スタイルについて話を聞いていた。
カタールは、移民や外国人労働者が8割近くを占める。こういった開けた場にはアラブ系の人しか見当たらないが、エリアに行くと、トルコ料理やパキスタン、バングラディシュといった各地の料理が楽しめる。海斗とそういう安くて美味い店で食事していると言うと、眉を潜める。
「テレビ放映されて有名選手になったら、気軽に街を散策なんて出来なくなる。ましてや、海斗くんが週一で店に出るなんて言語道断。それだけでパニックになる。アラブ人のサッカー熱は尋常じゃない。2022年のW杯以降、加速しっぱなしなんですって」

確かにそういう片鱗はあちこちで見られる。娯楽が少ないのもあるかもしれない。

「こういう小洒落た、行きつけの店を作るってことですか・・」

「あとは自炊ね。食材はインディゴブルーのネットスーパーに配達して貰って、自分達で調理する自信がないなら、惣菜を買ってチンして温めるだけでもいいし・・あ、調理が出来るロボットを貸しましょうか?」志木さんがニヤリと笑う。

「いいんですか?」ベネズエラで一番驚いたのが、この調理も掃除もするロボットだった。

「サッカーばっかりじゃなくって、最低限の身の回りの事は自分達で出来る?ロボットに何でもかんでも押し付けたりしない?」

「練習や試合に行くときは、運転を任せようと思います」

「ダメよ。ここはベネズエラじゃないの。警察に車を止められちゃうわよ」

「そうか・・でも、了解しました。2人で、調理以外の家事を分担しますので是非、貸してください。それで食の問題は片付きます・・」
家政婦さんを頼もうかと話をしていた。これで和食であろうが、ベネズエラの店舗の料理を、食材さえ用意すれば何時でも食べることが出来る・・  最高だ・・歩は思わず神に感謝していた。そういやカソリックだったなと、イスラム圏で思い出していた。そもそもこのカタールに、教会なんてあるのだろうか?

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 この日はバレンシア市の陸上自衛隊の駐屯地を訪れていた。
銃の練習をして欲しいと言われ続けて、忙しいと逃げ回っていたのだが、そうも行かなくなってきた。ベネズエラでは減少したが、中南米ではまだ銃の個人所有率の高い国がある。それで小銃と拳銃を支給されているのだが、一発も放った事はない。ベネズエラ以外の中南米の国々ではなにかしらの役職に就いているので、訪問機会も増える。護衛の自衛官が居るにせよ、万が一に備えて練習しておくれ、というご意見だった。

PB Venezuela社に頼んで、素人でも使い勝手のいい銃を用意して貰って自衛隊の標準装備品と撃ち比べをすることにした。プロじゃないんだから、銃によって結果が全く変わってくるのではないかと思ったからだ。そもそも、自衛隊の標準装備の銃が気に入らない。1990年代から、そのまま使っている銃で、携帯するには少々重いと感じていた。

所有している銃の他に、銃を手にした経験は2度ある。1度は学生の頃、マッカーサーがアジア再上陸したフィリピンのコレヒドール島に訪れた際に、地下要塞で方向を訊ねた警官に「持って御覧と」笑顔のまま手渡された。金を取られるんじゃないかと咄嗟に思ったが、嘗ての記憶が蘇り、無意識に手に取った。コルト社の銃だったが「やっぱり重いんだ」と思った。構えて姿をカメラで撮って貰ったが、銃口が下を向いていて カッコ悪い写真だった。
初めて銃を手にしたのは母の生家の蔵の中だった。祖父が他界した後、遺品の数々を整理していたら、中国戦線から持ち帰った軍服や勲章の中に、赤錆てしまって、もはや使い物にならないであろう南部式銃があった。一介の兵士が持つ拳銃ではない、ある程度の役職者だけに支給されるものだという知識はあった。兵士が戦地で手渡されるのは小銃だけ、普段身につけているのはナイフ、小刀位だろう。
何故祖父が銃を日本へ持ち帰ったか、よりも、その銃をどこで手に入れ、どうやって没収を免れたのかが分からなかった。中国・海南島で敗戦を向かえ、武装解除されて、暫くそのまま捨て置かれた。もし、満州に居ればシベリア送りとなっていたという歴史の残酷な一面がある。中国南部に駐屯していただけなのだが、祖父はツキに恵まれた。敗戦から2年後に列車で釜山まで運ばれ、フェリーで下関まで到達し、山陽本線から鈍行列車で甲州まで帰ってきた。
何度かチェックポイントがあった筈で、どうやって隠し通したのか、それが思いつかなかった。もの凄く重かったので、尚更分からなかった。パンツの中ではとても重量に耐えられない。フンドシやサラシで体に密着させて、固定するしかないと考えた。それだって、小さなものではないので、目立った筈だ。すると、2重底のカバンに隠していたというのが現実的な手段かと想像していた。それと祖父の猟銃だ。散弾銃だと言っていたが、映画やテレビで見るライフル銃とは違って、単身の短いコンパクトな銃だったのを憶えている。子供でも「小さい」と感じた位だ。山から帰るたびに成果を持ち帰り、その獣肉が食卓に並んだ・・

自衛隊の銃は曾ての銃に比べれば軽いとは言え、それでも重かった。
射撃場で、色々試して見て違いがよく分かった。自分に適した銃と小銃を見つけた。どちらもイスラエル製というのは意外だが、近代戦で一番実績のある軍がイスラエルだ。中東戦争を4度も戦った。レバノン侵攻や、ガザ制圧も度々だ。侵略しといて、土地に勝ち残っているのは好ましくはないが。 まぁ実際に勝った軍隊が採用している武器という信頼度はある。一方の自衛隊では小火器をロボットやサンドバギーが装備するようになり、命中率もほぼ100%なので、已む無く射撃が必要な場合はロボット達に委ねることにしている。故に、自衛官が発砲するのは練習時だけとなっている。小火器類は国産だが、利用頻度が少ないので開発もしていない。「今後はイスラエル製でいいのではないか?」と自分で選んだ銃と小銃を眺めながら思ったが、そこは口出しせずにプロに選んでもらおうと噤んだ。

それでもベネズエラで採用した女性自衛官には「軽い銃がいいのでは?」と考えた。ロボットと共に市中の警備にあたるので、実用することはないが、携行するなら軽い方がいい。それで女性自衛官分の発注をすることにした。人数分の小銃と拳銃を1000丁づつ発注した。選んだ銃と小銃を持ち帰る。今度のはしっくりと手に馴染むし、愛着も湧いてきた・・家に帰ったら、早速手入れをしようと思った。

モリが射撃練習で出した結果が、独り歩きしてゆく。カラカス司令に即座に伝えられた。「これはオリンピックの選考会に、自衛隊代表として出場頂いた方がいいのではないか・・」というレベルの結果だったらしいが本人は知らない。そのデータが市ヶ谷の防衛省にも届き、明らかにオカシな事態だと射撃場で撮ったVTRを何度も繰り返し再生された。間のとり方、姿勢も構え方も明らかに自己流だった。しかし、確実に中心を撃ち抜いている。数発どころではなく、何百発と遠慮無く撃ち込んでいた。撃ち抜いた穴をまた弾丸が通り抜けて行っている。そんな極めて異常な映像だった。そして後に、祖父が旧日本陸軍の射撃の名手だった事実を、防衛省から報告される。要は中国側からすると祖父は警戒対象に値する兵士だったらしい。一体、何人殺めたのか、という話だが、防衛省はこの情報をモリに提供するのを躊躇した。
この上 小火器類まで詳しくなられると、唯でさえ自衛隊の設備に首を突っ込んでくる御仁なので、「プロの腕前だ」と褒めようものなら「この銃がいい」「この小銃が使い易い」と専門レベルで言ってくる可能性がある。というのも、自衛隊に納入している兵器メーカーは「モリ質問対策集」を用意する必要がある。また、改善、改修案と後継モデルを用意しておかねばならない。特に戦闘機、ミサイルの知識はトップレベルにある。自分で戦闘機に乗る位なので、当たり前といえばそれまでなのだが。

PB Middle eastがイスラエルの銃メーカーIWI社に発注を掛ける。納品先がベネズエラの自衛隊で、購入がベネズエラ政府となっていたので、発注データを見た志木 副社長が気になって、注文内容の該当銃器の知識を得ようとプルシアンブルー社の兵器セクションに確認した。すると、モリの判断は正しいかもしれないと銃火器の担当者達は判断した。
また、元々タイ軍ではアメリカ製の銃を使い、ビルマ軍はイスラエル製の銃をビルマ企業がライセンス生産をしていた経緯を知った。その名残があって、射撃能力を認められた自衛官やアメリカ・イスラエル製に慣れ親しんだ古参の自衛官は、自衛隊標準品とは異なる兵器を特例として使い続けていると知った。また、ビルマの銃製造の企業からPB Burma経由で、中央アジア、アフリカ諸国へ銃器を納品しているという話も聞いた。

志木は素人判断で、そのビルマ企業を活用してはどうだろうと考えて、モリへ連絡した。銃に興味を持ち始めていたモリは、今度のチベット、パキスタン、インド訪問にビルマの銃工場見学を工程に入れて貰うよう、カラカス日本大使館経由で日本の外務省に要請した。

イスラエルのIWI社は初の自衛隊からの発注に驚いた。日本は自国の装備に拘るのだとばかり、思っていた。イスラエルの外務省はこの情報をモサドへ報告し、ベネズエラへ納入時に、ベネズエラ政権もしくはベネズエラの自衛隊関係者と接点を作れないか検討させた。
アラブ諸国から漏れ出た情報で、最近中国でとある作戦が行われていたのを突き止めた。
ユダヤの宝石商人達が、ウイグル・ウルムチ市で攻撃され破壊された建物を撮影し、報告してきた。種苗会社と農薬会社の研究所だと言うが、イスラエル外務省もモサドも信じていなかった。何故、農業関連の企業が攻撃されなければならないのか?誰も想像できなかったからだ。作戦対象となった破壊された建物は、一体何だったのか?と誰もが疑問に考える。偵察衛星を向かわせると、今は解体作業が行われているのが分かった。

サウジアラビア政府から資金を得て、モサドが活動するようになった。曾て中東戦争で争った者同士が、最後のアメリカ共和党政権の仲介で、手を組んでアラビア半島の安全保障を共に考えるようになっていた。イスラエルの首都がエルサレムになった年だ。僅かな期間だけだったが、米国大使館もテルアビブからエルサレムに移転した。その後、モリ前国連事務総長の強力な反対によって、半ば強制的にテルアビブに戻され、米国大使館も移動させられた。あの時、反イスラエル色を全面に掲げて、パレスチナとレバノンへの国連支援へ踏み切った。ガザ西岸沖に国連軍としての大艦隊が暫く停泊し、イスラエル軍を牽制し続けた。
プルシアンブルー社がユダヤ人は一人も採用せず、パレスチナ人とレバノン人を採用していったので、天を仰いだ。そしてベネズエラ産、コンゴ産のダイヤモンドを流通させて、ユダヤのダイヤ事業を攻略し始めたので、筋金入りの反シオニストなのではないかと推測されていた。
その日本に、アラブ諸国が擦り寄ったので状況が変わってきた。この関係に楔を打ち込むか、迎合しなければ、イスラエルの国家基盤が揺らぐ自体になるかもしれないと考えるようになっていた。
サウジとカタールでは基地に米軍の駐留を認めているが、駐留費も高く、自衛隊に代わって貰おうと両国は企んでいる。その為に日本へ近づく事を考えていたようだ。
先々月からインド北部に居るチベット亡命政府と、チベットの調査依頼をサウジ政府から受けて、調査活動を行った。
パキスタン、イスラマバードにユダヤ人宝石商がコミュニティを作っていたので、そこを拠点としオーストリア国籍・ウィーンのモサド工作員が宝石商人になりすまして、調査をした。チベットにも「アンデシン・チベット」という希少な宝石がある為だ。そこで、ビルマの宝石商人になりすました自衛隊の諜報部隊が暗躍しているのを知る。
宝石ではなく、土地の開発計画を立案しているのが分かった。実際にその企業をビルマのラングーンに訪ねると、PB Burma社の建設部門の社員であると突き止めた。プルシアンブルー社の各国の商社に、自衛隊の諜報部員を配置するのは想像出来たとは言え初めて突き止めた事例となった。モサドが世界各国に居るユダヤ人社会に諜報員を忍ばせているのと、形は違えどよく似通った構図だ。
その男が通うチベット・ラサの不動産会社を籠絡して、ラサで日本が計画している工場進出計画の全容を突き止めた。これは、日本がチベット開放後を睨んで、先行して計画しているのだろうと判断し、その旨をサウジ側へ報告した。その後直ぐに、サウジの皇太子がモリへ接近していった。

そして今回の破壊された建物だ。何のために破壊され、どんな作戦だったのかが解らないが、あの破壊行為を起こしたのが自衛隊だと仮定すると、どうやって破壊したのか?モサドの技術部隊でも判断が下せなかった。まさか近距離から攻撃できるはずもない。新疆ウイグル自治区の人民解放軍の目は誤魔化せるものではない。
すると、あの建物の方角から着弾させるには、新疆ウイグル自治区の東から攻撃するしかないと、その手段について論じると、今のイスラエルには同様の攻撃をする術は見当たら無かった。
ただ、攻撃手段を論じている間に、誰もが一つの仮説を押すようになる。何故、1階の食堂を夜の21時過ぎに、それも2棟共破壊したのか?被害者が怪我をした警備員だけだったとするなら、食堂は閉められていた。つまり人的被害は想定していない攻撃だ。ということは破壊を免れた建屋本体に何があったのかが重要となってきた。

そこで建物を解体している衛星画像を見る。屋上が撤去され、そのフロアには小さな部屋が並んでいるのが見える。「独居房だろう・・」誰しもがそう思った。ウィグル人の収容施設だったのではないか。収容されていたのはウィグル人だろう。21時過ぎが消灯時刻だとすれば、こちらの棟を攻撃する訳にはいかない。それで被害が生じない食堂が選ばれたとしたら・・
この作戦を要請したのはアラブ諸国であり、実行したのは日本であろうと意見が一致した。

パキスタン・イスラマバード支部に連絡して、新疆ウイグル自治区での人民解放軍の捜査状況を調査するよう要請する。収容者がどこにいるのか、どうやって脱出させ匿っているのか、どこまで中国軍が把握しているのか突き止めろと指示を出した。もしも、日本にこんな脱出劇が出来るならば、日本は想定外の技術と、特殊な部隊を抱えている事になる。その気になれば、誰でも拉致できるし、救出も出来る。

「世の中に、救出を必要とする件名は存在するか?」モサド長官が訊ねた。

「あります。ナイジェリア、ボコハラムによる女子学生集団拉致事件です・・」

「アフリカに展開可能な偵察衛星はあるか?ナイジェリア上空に、日本の偵察衛星が居ないか、大至急 確認するんだ!」

「了解です。早速 軍と交渉します!」

 長官は確信していた。偵察衛星は必ず居る筈だ、と。 

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 所属チームとなるアル・サッドの練習場を訪れる。夕方前の気温が下がり出した頃だった。これからの時間が練習時間となる。歩と海斗には少々もの足りない。家には15mのプールがあるので、日中は泳ぎ続けていた。明け方の涼しい時間は、近所を偵察を兼ねてランニングしていた。兄弟2人なので、ちょっとしたスペースがあればパス交換も出来る。一人でいれば怠惰になりがちな気温と環境だが、相手が居るので否応なくサッカーづくしの生活となる。
近々、AI分析担当を担う海斗と同級生のマネージャーが合流すれば、タイムキーパー役や車でボールを運んで貰うなど、練習メニューも増えるだろう。

ロッカールームに案内され、そこで練習着に着替えてチームの練習に加わる。その前に、簡単な自己紹介を済ませて 準備運動から、筋トレ、ダッシュへと移行して行った。チームのトレーナー毎にメニューの違いはあれど、バーベル、強化ゴム、バランスボール等を使った筋トレは、このクラブでも行われている。流れ作業のようにそれぞれの選手がメニューを黙々とこなしてゆく。異国のクラブに兄弟で参加しているという、心理的な安心感があった。サッカーに対する共通意見を持っていれば尚更好ましい。カタールリーグのように外国人選手が多いチームでは、選手一人一人が個人事業主となる傾向がより強くなる。そんな環境下であってもペアで居るのはアドバンテージとなった。

クラブ側もミニゲームで同じチームにしてくれたので、普段の呼吸で2人で連携した動きを見せてアピールしてゆく。2人だけでゴールまで持っていく技術を見せると、何故にクラブがこの兄弟を獲得したのか、選手達に理解される。この2人の動きに絡めば成功できると周囲がイメージするように動き始めると、もうコッチのものだった。
エスパルスでもA代表でも、兄弟コンビやトリオ、カルテットの動きでチーム内でアピールしてきたので、今回も同じ手段を使ってチーム内への浸透を計っていった。日本人兄弟は英語を話せるので、選手感の意思連携もスムーズだった。カタールでは市内のどの商店でも英語が普通に使える。欧州から来ている外国人選手よりも、英語が上手いとなれば、自然と初日から溶け込んでいった。
2人が履いているスパイクもRs Sports社の歩がデザインしたものだが「いいスパイクだね」と興味を示してくる選手が出てくる。日本でも一部の選手しか利用していないので、目新しさもあるのだろう。もっとも、全員同じウエアを着用しているので、スパイクだけが異なる。東洋人も2人しかいなかったが。
「足のサイズと好みの色を後で教えてくれれば、一週間もしたら持ってくるよ」と言えば、それが土産となって更に浸透してゆく。カタール選手が見たことの無いスパイクを利用して、チームメイトをモノで釣っていった。

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月一の定例訪問で北京入りした阪本総督と柳井太朗外務副大臣は、素知らぬ顔をして梁振英と会談を始める。こういう場面では首相の柳井純子では、面談なんか無理だろうと2人共思っていた。

チベットと北朝鮮を繋ぐ国際貨物列車の国内路線の利用許可が下りて、中国国鉄でダイヤの調整を行っている状況だと言う。中国では使っていない水素発電貨物輸送なので、大きなアピールとなるだろう。
日本の物流を大きく変えたのが、高速貨物列車と大型ドローンだった。道路の交通量が削減され、慢性的な渋滞が解消された。広い意味で経済にプラスを齎したのは、中国も知っていて、導入したいものの一つだ。しかし、共産国家に提供する事が出来ない製品群に指定された技術製品なので、購入が出来ない。今回は北朝鮮とチベット間の輸送用途なので、それが出来る。さすがに市中部では速度は落とすが、郊外へ出れば190Km平均で走行し「僻地
」走行は250kmで移動してゆく。冷蔵冷凍車の連結で鮮度が保てて、高速運搬なので貨物列車の本数を増やせば増やすだけ、大量輸送が可能となる。
「チベットに到着する時間の方が早い」という中国の都市が幾つも出てくる事になる。これが続けば、チベットの経済成長速度が、中国地方都市を上回る現象を目の当たりにする事になる。単に通過するだけで中国には何も恩恵を齎さないからだ。
許可が下りたので、ラサに水素発電所と水素ステーション、バッテリーステーションが建設出来る。チベットの電力会社も設立しなければならない。チベットの人口は300万人なので、水素発電所一基だけで、いきなり自然エネルギーを100%活用する国家が誕生する。

「ボタンの掛け違いだけで、国の行く末が大きく変わると、執行部は今回大きな教訓得ました。チベットの方が新興都市になるのも時間の問題です」

「そんなに早くは無理でしょう・・」

「でも300万人を肥えさせるなんて、日本には、至極簡単な話ですよね?」

「いえいえ、急激な成長はヒトを堕落させるだけです」太朗が小生意気な事を言う。

「モリはね、遊牧民を復職させて、人々をもとに住んでいた所に戻す事を考えているの。それでも街へ残った人達を見てから、職の斡旋をしていくイメージでいるみたい。何故だか分かる?」

「それがチベット族の宗教にとって、大事な意味があるからですかね?」

「そうね。まずは元の状態に出来る限り戻す。希望している人達だけが対象だけどね。前の職種に戻っても、街へ戻る人が出てくるかもしれませんが」

「一国の文化を変えるなんて罰当たりな行為を重ねた中国の、大きな過失です。矯正して成功した試しは、今まで全て失敗に終わっていると、執行部も認識したでしょう」 梁振英が疲れたような顔をする。

「そうね。我が国も神道や日本語教育や道徳を強要したものね・・」   梁振英が新疆ウイグル自治区の事件にどの程度関与しているのか、阪本が探りを入れてゆく。

「それは1945年で終わっています。共産党はその日本の失敗を棚に上げて、朝鮮戦争の始まった1950年から、チベットに介入を始めていきます。僅か5年です。建国して5年しか経っていないのに、後々、チベットに中国語を強要していくのです。これでは日本を非難など出来ません」

梁振英は「事件」を知らされていない。阪本は、直感的に思った。彼に伝えるべきか、伏せたままの方がいいのか、悩ましいところだった。

(つづく)

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