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アトリエの始まり、そして始めてから

アトリエを始めたのは、「絵を描くことが好きになってほしい」「工作を上手に作れるようになってほしい」のではなく、造形活動は表現のひとつだということを体験してもらいたかったのです。

言葉にならない、言葉にできない感情を色や画材や素材が代弁してくれて、そこから出てきた本当の自分を怖がったり、嫌がることなく、むしろ、「やっと出てきた」と喜んでいた子どもたち。それをまわりも自然と受け入れ、ケンカしても前ほど激しくはなくなったし、ケンカ自体も減ってきました。それはお互いの違いを認めていっていたから。そして自分の思いや考えも大事にできるようになったからだと思います。

そうした子どもたちの姿は、保育同業者の中では共感も得られやすく、それぞれの先生もたくさんのエピソードを持っています。

しかし、子どもとの関わり方、造形あそびをする時の私たちの思いが、本当に届けたい人に届いているのか。届けられているのか。

小学生になったあの子たちが、「みんな一緒に」「全員で」「同じように」する教育の中でどれだけ自由な表現を楽しめているのか。

そうした思いがぐるぐると渦巻いて高く上がったときに、評価のない、自分のやってみたいこと、やりたいことが存分にできる場所をつくろうと決めました。

場所を公園に決めたのは、

①子どもが自然と集まるところだと気負いなく参加しやすい。

②何をしているか丸見えなので、緊張感や圧迫感は感じにくく、造形活動に苦手意識がある人も敷居が低く感じられるのでは?

③まずは「なんか楽しそう」と思ってもらえるようにしよう、というのが主な理由です。

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筆を洗った水の色の変化に興味がわき、そのまま色水を作り出す子もいれば、描いた絵の上に砂をかけることが楽しくなる子もいます。絵を描くだけが目的ではなく、その場で、その子が何を感じ、何に興味関心を持ったか、「こうしたらどうなるんだろう」「こうやってみたい」好奇心を試せる場でありたいと思っています。

危険なことがない限り、それを止めずに見守り、驚いたり、笑いあったり、残念がったりします。その先が見えていても「それはこうなるよ」とは言いません。その子の驚きや発見、初めての体験を奪ってしまうからです。

自分で起こした行動がどのような変化をするのかを自分でまず知ること。想像と違っていれば、何度もチャレンジして、納得できるまでの過程を楽しんでほしいと思っています。途中で新たな興味が出てきたら、それもまた良しです。

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好きな色、好きな大きさ、自分が使いたいものを自分で選択する。どこで完成とするのか、自分で決める。

そしてそれを見守り、全て肯定する。「きっとこうしたいのだな」と思っても、先読みして私から提示することはしない。ヘルプを出されたら一緒に考えて、何も言えずに困ってたら「どうしたの?」と聞く。

「これなに?」とは聞かない。なぜなら、その時に見えた「なにか」をその場で答えてしまうから。全てが名前のある「なにか」でなくていい。

作品を飾ることは、その人自身を大切に扱うことと同じです。丁寧に扱うことで「大事にしてくれた」「うれしい」とじわっと感じられます。もちろん、「飾りたくない」人もいますので、それも尊重します。

快・不快、綺麗、かわいい、汚い、こわい、全ての人間が持つ感情です。それに良い悪いもありません。優劣もありません。ただ、ネガティブな気持ちはそのまま言葉に出してしまうと、まずい場合もあります。そんな時こそアトリエにきて、言葉にできない思いを爆発させてください。

ある人から「真っ黒な絵になったら、”この人、なんか闇をもってるんじゃない?”と思われそうで嫌なんです。」と言われたことがあります。黒い気持ちになること、誰だってありますよ。闇を持ったことがない人なんているでしょうか。真っ黒な絵を見て「なんかこわい。」「あまり見たくない…」と思われたら、それだけ”闇”を表現できているわけですからすごいことです。だからといって「この黒い闇はアレですね。」なんて当てられる人もいませんので、安心して出してください。

「なにこの汚い色。嫌だ。」「もっと明るい色を使ったら?」「白いところを残すのもったいないよ。」これらの言葉は私も言われてきましたし、今の子どもたちも言われています。

どの色を使うか、決めるのは自分。混ぜて色を増やすのも、なんか違うからやり直す、と決めるのも自分。

画用紙を前にした気持ちや思いはその人にしかわからないので、まわりの人が何をどうするか、どう使うのかを決めることはできません。

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絵を見た時に、私が感じた「好き」を具体的に伝えています。色の混ざり具合だったり、色のにじみだったり、ピンクのバリエーションだったり。大きく筆を動かしているところ。少し離れたところに小さな鳥がいること。昆虫の体を細かく描いていれば昆虫が好きな気持ちが伝わったこと、絵全体から感じた「見ていると元気になる」「優しい気持ちになる」こと等をお話しています。

人から「好き」なところがあると言われると、子どもに限らず、大人もうれしい気持ちになります。「絵なんて描けません。」「ほんとに苦手なんです。」と後ずさりしている人ほど、「そんなふうに褒めてもらえるなんて思ってなかった。とてもうれしい。」と照れながらも背中がしゅっと伸びた、いい笑顔を見せてくださいます。

その、苦手な大人たちが何故参加する気になったのか聞いてみますと、

「子どもたちが本当に楽しそうにしていたから。」

「飾ってある絵をみて、自由でいいんだなあと思った。」

と言われる方がほとんどです。そして、

「何十年ぶりに絵の具に触れてみたけど、こんなに楽しいと思ったのは初めて。」

「作った色を褒められたことがこんなにうれしいと思わなかった。苦手意識があったけど、これでいいんだ、なんだ、できるやん!って思えた。」

「色や画材を選んでいる時からワクワクした。子どものことを忘れて無になってやっていたことに、終わってから気が付いて驚いた。」

「飾られることは少し恥ずかしかったけど、うれしかった。」

子どもたちの楽しい気持ちが伝わって、大人たちも参加してみると、新たな自分を発見したり、自分自身に意識を向けられたことが喜びや自信に繋がったようでした。

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アトリエを始める前の日記にメモのような形で書いていました。

『子どもも大人も安心して表現できる場所を作っていきたい』

『苦手なこともたくさんあるけど、できれば楽しく生きていきたい。そのお手伝いができれば。自分に自信をもてるようになって、一歩踏み出せる。そんな場所が変わらず、いつもそこにあれば。』

当初、メインは子どもたちのためにとアトリエを開きましたが、始めてからは、「こうでなければならない」「ちゃんとしなければならない」という思い込みが強い大人たちこそ、自分の気持ちや思いを表現する場所が必要だと感じるようになりました。色が持つ力や素材の引き出してくれる力から、「予期せぬ発見」を生み出し、思い込みを崩すことができると思っています。

そうしてもうひとつ。

その人(その子ども)にとって、「いつもそこにある」必要が少しずつなくなっていけばいいなとも思っています。公園のアトリエに来なくても日常生活の中で、造形に限らず、その人に合った表現の中でのびのびとできて、「私は、私のままでいい」と自分を認めて受け入れられることが一番だと思っています。

「私は、私のままでいい」といっても傍若無人な自分にOKを出すのではなく、表現を通して出てきた感情や思いに対して良し悪しや優劣をつけない、という意味です。

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2020年4月のアトリエで、これまで参加したことがある方、アトリエに興味を持ってくれている方にお手伝いしてくれる人をひとり募ってみました。アトリエが心がけていること、大事にしていることを少しお話させてもらった後、参加する方たちを見守る立場になってみると、表現の面白さをより感じてもらえるのではないかと思ったからです。うれしいことに、初期の頃から参加している方が手を挙げてくださり、とても楽しみにしていたのですが開催延期となってしまい本当に残念でした。今後どのような活動をしていくのか、よりよくするための時間が与えられたと思って考えていきます。

そして、2020年5月6日で野外アトリエを始めて、丸5年となります。

これまで続けてこれたのは、参加してくださったみなさま、手伝ってくださったり、面白がってくれた友人や先輩方、地域の方々のおかげです。本当にありがとうございます!仕事でヘトヘトになって準備するまで体が重くても、アトリエが始まると、毎回みせてくれる表現の面白さと、「楽しかった!」と言ってくださる笑顔のおかげで疲れが吹き飛び、元気と癒しを私が一番もらっています。本当に感謝です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


※1枚目のブルーシートが敷かれている写真は、2015年5月6日の第1回目のアトリエです。前日に公園の下見に行ったら、「今すぐ始めたい」欲が爆発して、画材などちゃんと揃えられていなかったのに開催しました。

※その他本文中の写真は2019年の4月、5月の様子です。本文の内容は5年間のことをまとめて記しているので、写真は「アトリエの風景」としてご覧ください。

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