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浪人時代 〜東京編〜

皆さん、こんにちは。〝Taishi 〟です。

今回は浪人時代!
2年も過ごしてるので楽しいことも、辛いこともいろいろと経験してきました。

高校卒業後すぐに上京

浪人1年目は東京で、浪人2年目は福岡ですごしましたd( ̄  ̄) 実は、妥協したら、選択肢たくさんありましたので県内や関西の大学には行こうと思えばいけました。指定校推薦、スポーツ推薦、AO入試などなど、大学に行くチャンスはありましたが、スポーツ科に2年間はこだわってました(当時はスポーツ科から理学療法士になれると思ってた痛い子だったので、、、)💦なので、興味のない学部は断ってきました。しまいには、母親に学校から連絡がいく始末。

学校「どうにかして息子さんを大学行くように説得してください!」

母親「あの子は無理ですよ。一度いうと変えませんから〜。」

ってな感じの会話があったとのこと。
母親に感謝ですね。結局、クラスでは僕以外全員大学生となり、1人だけ浪人してました(笑) 学年でみても、たぶん浪人はほとんどいなかったかと🤔 

高三の後半からは、来年どこのスポ科受けようかなやんでたりしてました笑 頭の中は浪人ありきの考え。問題はどこで浪人生活をおくるか!

ここでタイミングよくであったのが、体育進学センター(通称タイシン)の予備校の先生。(タイシンとは:スポーツ科にターゲットをしぼり、運動に勉強におしえてくれる場所)

「スポ科いきたいからうちきたら?」
「じゃあ、いきますー」

ってなかんじで上京決定ー👏
高校の卒業式のあと数日で初の県外へ!


2畳の部屋と生まれてはじめての仕事

上京後住む場所は
共同のトイレ、共同のシャワー、共同の食堂、テレビなし、外はお墓。という素晴らしい環境。しかも部屋は2畳!😶部屋には簡易的な鍵しかなく、外側から定規があれば簡単にあきます笑

共同生活する人たちは
上は50歳すぎのおじさんから下は18歳の高卒までの10人ぐらいだったような🤔

住み込みで働きながら予備校に通うんです。新聞奨学生という制度を利用して、新聞配達をしていました。生まれてはじめての仕事です。両親には迷惑かけれないので自分で働いて稼いで予備校に通ってましたd( ̄  ̄)

1日の流れ↓

朝2時半〜3時に起床
朝刊は3時半ぐらいから7時すぎまでには終わってそこから予備校へ
夕刊の時間で予備校を早退し
夕刊をくばりおわったら予備校へ
早退後の授業内容をクラスメイトにきき
家に帰って少し勉強し、睡眠、、、。

という生活を続けていました🙋‍♂️

いやー
大変でした笑

けど、社会というものを学んだ気がします。理不尽なこともありましたが、それも含めていい経験でした。また、両親への感謝の気持ちがつよくなったのもこの時期です。社会人すげー👏

予備校では

陸上短距離100mの練習
体操競技の練習
バレーボールの練習
学科の授業

などなど。

当時アイスホッケーでは自信あったけど、、陸上ではまったく、、、。まわりは有名な高校を卒業した人ばかり。完全に場違い。みんなの運動能力半端なかった〜。けど、100mも12秒前半、体操競技も形にはなりましたよ😤 がんばりました笑

自分がなりたいこととのズレ

入試シーズンが近くなるにつれ、気持ちの変化が、、、。この予備校に通ってる人でトレーナーになりたい人はいなかった、、。プレイヤーか、学校の先生を目指してる人ばかり。心に油断といいますか、フワフワした状態となってました。その状態で入試、、。実技のバレーボールでミス、、。完全に油断。結果、不合格。浪人生活の延長がきまりました、、。ですが、自分がなりたいものに近づいた感じはありました。

自分の居場所はここでは無い

と、、。


次回へ
つづく、、、🙇‍♂️

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