見出し画像

「とほ宿」への長い道 その12: ここまでのまとめとこれから

この記事を書いている理由

12記事目まで来たので、このあたりで少し整理したい。
あらためて自己紹介すると、筆者は「空き家を活用した大野の民泊宿 ねこばやし」を運営している宿主。2022年12月に開業し、この記事を書いている時点で1年半が経過している。
だいたい「民泊」について書かれたものといえば、大体は「儲かる」「インバウンド」という言葉が必ずついてくる。一棟貸切方式で、管理人は不在、宿泊者はスマホを鍵替わりにして入館する。管理は管理業者に委託するので手間はかからない。そういった宿を複数軒運営する。
当宿のあり方は全く違う。
儲かっていると胸を張って言える状況ではないし手間もかけている。宿泊客がいるときは必ず滞在し(別に本業があるので福井市の実家との二拠点生活)、夜は宿泊客と一緒に飯を食いそのまま宴会となり、炊事掃除などはすべて宿主が行う。インバウンド向けの集客は想定していない。(海外からわざわざツーリストが来るような立地ではない)。民泊の主な集客手段であるエアビーBooking.comのような予約サイトは使わず、基本的に宿のホームページと「とほネットワーク 旅人宿の会」経由での集客だ。
なぜそんなことをするのか?と思われるだろうし、実際開業時にどうして宿をやるの?と何度も何度も聞かれたので、何故宿を立ち上げたのか、また、どうしてそのような運営をしているのかを宿のホームページ上に書いた。ひと言で言うと、宿は生計を立てる手段というよりは人生の目的だからだ。
30分くらいで書いたのでもっと詳しく書きたかったし、このまま宿を続けていくと忘れてしまいそうなので、こうやって、旅宿を開業して「とほ宿」になるまでの経緯を動機のところまで振り返って書いている。

「旅宿」の楽しさを知ってほしい

自分の宿について知ってほしいというのもあるが、自分が加入している「とほネットワーク 旅人宿の会」のことも知ってほしいし、もっと言えば、他の宿も含めた「旅宿」の楽しさについても知ってほしいと思う。旅宿では夜になると旅人同士で宴が始まるが、そこで他の旅宿に関する情報が飛び交う。旅宿が増えれば自分の宿の認知度も高まり集客にもつながるのだ。
いわゆる「ゲストハウス」というのは、基本的には男女別相部屋のドミトリー方式、安く泊まることを目的とした宿だ。たまたま気の合う旅人同士で意気投合して語り合うこともあるが、基本的には宿泊者同士の交流は無い。
「とほ宿」は、もともとはユースホステルにインスパイアされて始めたという宿主が多いこともあり、いつ行っても旅人同士、宿主と旅人同士の交流ができることを掲げている。「とほネットワーク 旅人宿の会」以外にも全国には同じようなコンセプトを持つ「旅宿」がいくつかあるし、「とほ」と似たような旅宿の集合体もある。

記事の中でも「旅人500人説」というようなことを書いたが、このような旅宿に泊まる人というのは年々減っている。しかしそれは、旅宿というものが時代にマッチしなくなったからではなく、単なる知名度不足だと思う。当宿は日本百名山・荒島岳の登山口の近くにあるので7割は登山のお客さんなのだが、「とほ宿」のことを説明するとガイドブック「とほvol.33」を買ってくれる人もいるし、こういう宿の存在を知ったら行きたいという人はきっといるという言葉をいただいている。

(「旅人500人説」について)


「旅宿」の開業と維持は不可能ではない

旅宿に泊まり、見知らぬ旅人たちと杯を重ね語らったことのある人は、一度は自分もこんな宿をやってみたいと思ったことのある人は少なくないと思う。自分もそうだった。しかし、そもそも客単価が安いこと、定員が少なく大きな売り上げが期待できないこと、繁閑の差が激しいことなどを知り、夢は夢のままにしておこうと思う人が大部分だと思う。自分もその一人だった。
しかし実際には、今のとほ宿の宿主たちは20年30年続けている所が少なくない。こちらの「とほ宿めぐり」には彼らが宿を開業した経緯と、どうやって続けてきたのかが書かれている。

逆に、ゲストハウスをあくまでもビジネスの手段として捉え、儲かるからと複数軒運営し、コロナで宿泊客が激減して全てクローズしたところもある。儲けることを目的に開業した人というのは、開業前にそろばんを弾き、利益計画を立てた上で宿を立ち上げたのだろう。しかしビジネスというのは環境が刻々変わる。ホテルチェーンのようなビッグ・ビジネスならいざ知らず、個人経営の宿に関しては、長期的には大事なのは資金力と計画性よりも、変化に対する適応力ではないだろうか。
自分の宿はまだ開業して1年半なので、自分の言う通りにやれば宿を立ち上げて持続できるとは言わない。しかし、これからも継続して宿をやっていく目途は立ってきたし、サラリーマン時代に体験したこと、自営業者になってから試行錯誤した経験を宿の運営に活かしている。旅宿の開業に関心のある人には、少しはヒントになる要素があると思っている。そして、1つでも旅宿が増えてくれれば嬉しい。

ここまでのまとめ

前置きが長くなってしまったが、この一連の記事の流れを整理したい。

「その1」から「その6」までは、筆者が18の時に大学受験で初めて北海道に行き、大学でワンダーフォーゲル部に入学して北海道を旅し、ライダーハウス、そして「とほ宿」を泊まり歩いた20代の時期の話。ここまで読めば、旅宿というものがどんなものかわかっていただけると思う。

「その7」から「その11」までは、サッカーのまち浦和に居を構え、信州に何度も行ったり浦和レッズのアウェーゲーム観戦で全国に足を運び、会社を辞めフリーターとなり沖縄に行き、最後は福井にUターンした30代から40代初めまでの話。旅宿に足を運ぶ「旅人」がどのようなものかがわかると思う。
それぞれ、自分が行った宿の中でも印象に残っている宿について書いた。どの宿も宿泊業としては型破りだ。

それにしてもこうやって振り返ると、キリギリス的というか好き勝手に生きてきたものだと思う。しかしこの過程で見てきたことやってきたことは今、宿をやっていく中で大いに活かされている。

これからの話と、もう一つ書きたいこと

これからは、23年ぶりに戻ってきた福井で保険屋をしながらファイナンシャル・プランナーとして活動しつつ次の収入源を模索し、コロナの時期を経て2022年3月に旅宿の開業を決意し、宿を立ち上げ、開業後「とほネットワーク 旅人宿の会」に加入し、昔泊まり歩いた宿の宿主たちと再会し、「とほvol.33」に掲載されるまでのプロセスを書く。宿の話だけでなく、東京・関西・福井の生活を知る立場として、地方移住の現実についても語っていきたい。
そしてもう一つ書きたいことがある。本業以外にも仕事を持つことの意義だ。
当宿も儲かっているとは言えない状況であるが、それは昔から続いている「とほ宿」も似たようなものだ。現在「とほネットワーク 旅人宿の会」の代表をしているのは、「ぼちぼちいこか増毛館」の平戸一休さんだ。

左が一休さん、右が筆者

27年前、当時雄冬にあった「ぼちぼちいこか増毛館」で、一休さんは夕食のあとランプの灯りの下ギターを鳴らしたあと、「俺の夢は、宿だけで食ってくことだよ!」と言っていた。そして昨年、自分は宿を続けていけるのかどうか不安だというようなことを言ったら「小林くん、お金が無けりゃバイトすればいいじゃない」と返された。一休さんは今でも郵便物仕分けのバイトをされているとのことだった。
他の宿主も、農家の手伝いをしたり、介護の仕事をしたり、冬季だけ駅の除雪作業をしたり、沖縄の北大東島に出稼ぎに行ったりしている。


従来の価値観で言えば、本業だけでは収入が足りないからバイトで埋め合わせというのはネガティブな感じがしたと思う。しかし今の時代、どんな仕事であれ一つの仕事だけで一生を生き抜くというのは簡単ではないと思う。
大学を出たとして22の年に会社に入り、65歳まで会社が存続できる可能性は以前より低いし、仕事そのものが無くなる可能性もある。(自分の場合は業界そのものが消滅した)公務員のような仕事なら一生の雇用が保証されているのだろうが、この仕事を辞められないと思うと心を病んでしまうのではないだろうか。

仕事を2つ以上持っていれば、1つダメになったとしても生き残れる可能性は高くなる。サブでやっていた仕事が将来はメインになるかもしれない。
また、1つの仕事を長い間続けていると視野が固定されてしまうし、日々ルーティンをこなしていけば給料は入るので、頭を使う習慣がなくなってしまう。自分も会社員時代の価値観がしばらくは抜けなかった。他の仕事をしている宿主たちのブログなどを見ていると、60を過ぎても人は成長することができるのだと感じる。

今、自分は53歳だが、同世代の人間には役職定年とか早期退職とか、自分の意志と関係無く進路変更を余儀なくされる人が少なくないのではないかと思う。そこで再就職とかリスキリングとか言われてきているが、いきなり新しいことに手をつけて上手くいくとは思えない。
でも、本業と並行して別の仕事をしながらスキルを開発し人脈を広げていけば、将来転身して成功する確率も高くなると思う。また、例えば週3回会社に通い給与所得者としての手厚い社会保障を受けながら残りの日数で好きなことを実践するという方法もある。会社側にとっても社外活動で得られた知見を活かすことができてWIN-WINだ。
因みに自分も今までの仕事をやりながら宿をやっている。宿一本でやっていくためには単価と稼働率を上げねばならない。そのため宿のコンセプトとは合わなくてもインバウンド向けの集客をしたり旅行会社に安い値段で販売したりすると、自分がやりたい宿にはできないし、そうなると宿の魅力は低下する。宿泊予約サイト上で他の宿との価格競争になる。そうなると資本力の強い宿泊施設に負ける。であれば、お客さんの来ない平日は割り切って別の仕事をしたほうがいい。
自分たちの世代についてネットで語られる話というのは、早期退職制度に応じて会社を辞めても今までのような収入は得られず、低賃金労働に甘んじるしかないというディストピアじみた話ばかりだ。将来に対する恐怖心を煽ればPVは稼げるのかもしれないが何も良くならない。
会社勤めをしながら他の仕事を経験し将来に備えていけば、60を過ぎても楽しく生きていくことは十分可能だ。このようなことを既に書いている人もいる。

あくまでも自分のケースではあるが、会社を辞めて自分でビジネスを始めるために何をしてきたか、そして今会社勤めをしている人はどのようなことをするべきかという点も意識して書いていきたい。


#創作大賞2024 #ビジネス部門 #地方移住 #Uターン #民泊開業 #とほネットワーク旅人宿の会 #ぼちぼちいこか増毛館 #函館クロスロード #とまるん #御宿印帳 #北海道おもてなしホステル #副業 #複業 #リスキリング #役職定年 #早期退職


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?