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新しい教育プログラムに向かって

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たいたけのささやかなチャレンジへの道のりを記しています。
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#教育

新しい教育プログラムに向かって

はじめまして。たいたけと申します。 こちらのnoteでは、独自の新しい教育プログラムづくりの過程を、記していこうと思っています。 ここ何年もの間、自分が受けた教育とさして変わらない既存教育サービスを提供する中で、本当にこれをつづけていっていいものだろうかと疑問が膨らみつづけていました。また、社会人として利益追求の仕事をする中で業界的な伸び悩みもあるのですが、これはもう社会的な伸び悩みになっているのではないかという疑問も膨らみつづけています。 それはなんなのか。それがどう

脱成長社会と子ども(拙考)

前回は日本が脱成長していくことをお伝えしました。今回は脱成長社会に生きる子どもたちにどんなことが必要なのかを考えてみます。これは大人、親も真剣に取り組む価値の十分にあるテーマだと思います。 前回とやや重複しますが、エネルギー利用は増加の一途。地球資源は有限なので、増加を維持できないことは明白です(下図3つ全て『現代社会はどこに向かうか』より)。 人口増加はエネルギー利用の限界にあわせ、ピークアウトすると予測されます。 私たちは(下図)③の時代をとおり越し、子どもたちは④

純粋性の高い学ぶ場をつくりたい(拙考)

僕は何年もの間、変わりばえしない教育サービスを提供しつづけ、はたしてこのままでいいのだろうか?と疑問を持ちつづけてきました。また、社会人として利益追求をしてきた中で業界的な伸び悩みを年々感じるようになり、さらには社会そのものが伸び悩んでいるんじゃないか?と疑問を持つようになりました。 この記事では前者の問いへの回答をします(後者の問いへの回答はこちら)。 ひとまずの回答として、それはイメージに近いのですが、純粋性の高い学ぶ場をつくりたいと思うようになりました。 雑念や雑

誰にその教育を届けたいのか(雑記)

仮に日本に上流・中流・下流の三層があるとしたら、誰に届けるのかを民間教育者は常に考えていると思います。僕もご多分にもれずその見方をもちながら、脱成長社会における純粋性の高い教育の場づくりに向けて、それを誰に届けたいのか検討したいです。 すでに多くの方(特に教育関係者)がご存知の話ですが 東大生の親の年収を調べると、約六割が九百五十万円以上だといいます(東京大学「学生生活実態調査報告書2018年」)。全世帯のうち所得が一千万円以上のものはわずか12パーセントですから(201

ふれあいの教育へ(雑記)

「ふれる」あるいは「さわる」について今回を含めて全10回書かせていただきました。その1回目ふれるということの冒頭に引用した栗原彬の文章です。 ふれあいの論理をもちこんだ教育とはどのようなものでしょうか? ふれるということでもその問いを立てさせていただきましたが、その時よりも僕たちはもう少しだけ深く考え、感じることができるようになったかもしれません。 「ふれる」はこれまで見てきたとおり ・人間的なかかわりで ・双方向的 ・主客が分離しておらず 場合によっては ・向こう側から

脱成長社会における教育の新しいかたち

 あなたは教育や仕事、仕事を通して見えてきた社会で違和感につかまったことがありますか?ハッキリとした肯定でもなく、ハッキリとした否定でもなく、今いる場所がいつもいる場所であるのに、なぜか場違いの場所に立ってしまったかのような感覚。直立しているはずなのにフラフラとする、めまいのするような感覚・・  僕はそんな違和感に2010年代の後半につかまりました。僕は学習塾を営んできたのですが、それの失敗しているときではなく、かえって成功しているときでした。周りからは良い塾と言われる、評

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