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誰にその教育を届けたいのか(雑記)

仮に日本に上流・中流・下流の三層があるとしたら、誰に届けるのかを民間教育者は常に考えていると思います。僕もご多分にもれずその見方をもちながら、脱成長社会における純粋性の高い教育の場づくりに向けて、それを誰に届けたいのか検討したいです。

すでに多くの方(特に教育関係者)がご存知の話ですが

東大生の親の年収を調べると、約六割が九百五十万円以上だといいます(東京大学「学生生活実態調査報告書2018年」)。全世帯のうち所得が一千万円以上のものはわずか12パーセントですから(2019年「国民生活基礎調査」)、東大生の出身階層はものすごく偏っていると言えます。(『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』より)

格差拡大はバブル期前の1980年代半ばから認識され始め

小沢によれば、高度経済成長が終わると、産業別、企業規模別、男女別、職種別のいずれでも賃金の格差が拡大した。・・・さらに資産格差が拡大した。六八年ごろまでは、農家とサラリーマンの純金融資産はほぼ同じだったが、七九年になると農家がサラリーマンの二倍になっている。首都圏ではその傾向がさらに顕著であり、六八年には農家がサラリーマンの一・八倍だったが、七九年は四倍になっている。(『第四の消費』より)

2010年代ですと賃金格差は他の先進国に比べ小さいですが、資産格差は歴然(『資本主義だけ残った』より)

もしこの構造に強い経済変調がもたらされ(例えば米国インフレ→米国債下落→日本国債下落→日本インフレでも起こり)ようものなら、日本経済は混乱のさなかに格差拡大をさらに加速させるでしょう。

僕の尊敬する佐藤学先生は次のように総観します

もはや国家や資本に依存して仕事と暮らしと文化と教育の将来を展望する思考は捨て去った方がいいのかもしれません。自分達で地域を中心に経済と社会と文化を創造し、学校を中心に子どもたちの未来と地域社会の未来を創出する、その発想に立った改革の展望を拓くべきでしょう。・・・素朴に考えても、わずか一%の人が八二%の人々と同等の富を独占する資本主義が今後も延命し持続するとは誰も思わないでしょう。自然環境の破壊が「地球の限界」を超える寸前の状況で、資本主義がそのまま発展するとも誰も思わないでしょう。(『第四次産業革命と教育の未来』より)

経済、社会、文化で国にすがるのを諦め、地域社会にてそれらを創生することこそ未来の展望につながると。

この話を受けて僕は、所得や資産でターゲットを絞っていくやり方もあれば、地理空間的(より細かくいうと文化空間的、社会空間的)に分けて捉えターゲットを絞っていくやり方もあると感じました。

さて一体誰に教育を届けたいのか、現実をどういった角度で切ってレイヤーを見るのか、対象となる人たちは何を求めているのか、僕に何かできるのか、少しずつ考察していきます。

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