夜も更けて、ポルトに星を探しに行く話。
冬の空に瞬く、星を撮りたくなった。それも地上からではなくて、空の上から。きっかけはいろいろあるんだけど、昨今の世情に対して、一度自分の中で「アストロノミカル(天体的)」に現在地を俯瞰(精神的にも物理的にも)しておきたいという気持ちが日に日に強まって、いてもたってもいられなくなった。
星景は星と雲の両方を撮りたかったから、出かける日は満月を選んだ。その日に最も安く、最も遅い時間の欧州便を探したところ、パリから飛ぶ行き先はポルトガルのポルトと決まった。ポルトに行きたいから出かけるのではなくて、空から星を撮りたいから飛行機に乗る。
「星に導かれてポルトへ」という体なのが、なおさら気に入った(むりやり)。
さまよう旅と星景写真
考えてみれば、一人で旅をしたことがない。ちなみに、ここで言うひとり旅とは「何の予定もなく、誰に会う約束もない」という「さまよう旅」のことを指す(今決めた)。
仕事では30ヵ国ほど訪れているし、プライベートでも一人で何度も日本に一時帰国はしているが、日本に帰ればフランスにいる時よりよっぽど忙しい。今回はたった一泊二日だが「機内から星を撮る」という目的以外、何ひとつ予定がない。こんなことは生まれて初めてかもしれない。ポルトには二度ほど行ったことはあるが、あえて改めて名所旧跡を確認するようなこともしなかった。
カメラはLeica Q3だけを持った、、と言いたいところだけど、ひよって他にS5IIと50mm、14-24mmのズームもカメラバッグに入れた。結局旅行中、機内も含めてQ3で98%撮影してたので、次回はQ3だけで良さそうだ。
キャリアはライアンエアーでこちらも初めて。発着空港のボーヴェも使ったことがない。さて、どうなることやら。荷物は手荷物のみ。カメラバッグだけ持って出かけよう。
テンションあげて搭乗したものの、座ってみれば二重窓は結露しているし、これは写真が撮れないんじゃないのか?という心配が持ち上がる。だったら何のためにわざわざ飛行機に乗ったんだろうと、暗い気持ちになってきた。その上機内は満席で隣席には太ましいムッシューが座り、こちらのスペースは限られている。
そんな中、窓に黒レフをかざしながら撮影した写真がこちら(ちなみに飛行機からの星景写真には、忍者レフが必須)。
パリからポルトまでの飛行中、満月がほぼ完全に逆光で、星そのものはあまり写らない結果に、、。幻想的といえば、幻想的だけど。
こうして、思い立ったが吉日と飛び乗ったフライトは、あっという間にポルトへ到着。フランス-ポルトガルは時差が1時間なので、22時に搭乗して23時過ぎにはポルトに着いていた(飛行時間は約2時間)。
深夜の『ホテル・ミラドウロ』
さて、ポルト空港からホテルまでの道のり。今回はとにかく経費を切り詰めるべく、ホテルも格安ホテルに。とは言ってもドミトリーに泊まるわけにもいかず、選んだのは創業55年のレトロホテル「ミラドウロ」。
その日の予定が「川まで歩く」くらいでちょうどいい
ここからは翌朝(まだまだ続くよ)。
気がつけば星景写真よりも、「ホテル・ミラドウロ」を撮りまくっていた。うむ、それが旅というものさ(←誰?)。
13階からパノラマが楽しめる朝食スペース。その傍には、現在閉業中のバーがある。
「予定がない旅」の利点は「時間があること」。そしてこの旅に出ている間の「時間」というのは、家にいて暇を持て余している時の「時間」とは全く別のものなんだということが、今回ポルトまで来てようやくわかった(ヨシダ50歳)。
13階の窓から見える遠くの煙や、浴室の壁に映るコップの影、結露した窓ガラス、螺旋階段の上から聞こえる話し声、使われなくなった最上階のバー。そういうもののひとつひとつが、自分にとってどんな意味を持つのか、耳を傾ける「時間」がある。
「何時までにここに行かないと」という予定に追われている時には聴くことのできない、ひとつひとつの小さな音のようなものが、自分の中に何かを残していく。
写真を撮ることは、そういう「痕跡」を探すような行為なんだと思えた。
とりあえずドウロ川まで歩いてみようと、昼近くなってようやくホテル・ミラドウロを後にする。こういうホテルはなくならないで欲しい。
ホテル・ミラドウロ
ホテルを出てすぐの場所にだいぶ古そうな「音楽と舞台芸術の学校」があり、中を覗き込んでいると、受付の人が「どうぞどうぞ、入ってみていってください」と招き入れてくれた。なんて優しいんだろう(しみじみ)。
元々は19世紀末に建てられた小学校で、1981年から音楽と舞台芸術学部(?)として使われているという話だった。
この学校で25年間音楽を教えているというホセさんが、校内を案内してくれた。なぜ壊れた椅子を撮るのかと聞くホセさんに、「ここまでの時間が写るように思えるから」と答えると、「なるほど、僕と同じ25年選手だからね」と笑っていた。
学校を後にすると、今度は店頭に置いてあった古いスーツケースに惹かれ、古道具屋に寄り道をした。川にはなかなか辿りつかない。
「ここには25,000点の商品があるんだよ」と話すヴィクトールさん。2年前に前の場所から引っ越した時は、全商品を移動するのに28日かかったそうだ。店内は玉石混合でIKEAの水筒から古いシャンデリアまで、ありとあらゆるものが並んでいる。
A minha avó tinha um igual.
古道具店を出て、道端の看板を見ながら、また旅について考えた。
例えば昼食をどこで食べようかと探す時、店を見る、看板を見る、文字を見る。ここが旨いかどうか、この看板に何が書かれているのかを考えるし、類推する。「CHURRASQUINHO MISTO」、、MISTOは盛り合わせだし、チュラスキーノ、シュラスキーノ、、、ん、シュラスコか?バーベキューか?と考える。そしてそれらが、自分の中に蓄積されていく。初めから店とメニューを決めていたら、考えなかったこと(バーベキューとはいえ)。
つまり「結果」じゃなくて「過程(プロセス)」を味わうのが、旅なんじゃないだろうか。だから予定を詰め込んで急げば急ぐほど、過程は省略されて「旅」からどんどん遠くなっていく。
安くて旨くて何が悪い
さて、ドウロ川を眺めて気が済んだので、昼食を食べに移動する。
「旅はたどり着くまでの“過程”こそが大事」とか言っておきながら、予めヨメから勧められた「CASA GUEDES」でポルトのソウルフード、豚サンドを食す。たしか6ユーロ。羊チーズトッピングにしたが、これがかなり塩っぱかった。ビールはすすむけど、チーズはない方がいい。
「旅は過程(プロセス)」の話に戻る。過程が多ければ多いほど旅は豊かになるので、移動は歩くのが一番ということになり、それは写真にも通じる。引きこもりのお前が言うなという内なる声がどこかから聞こえるけど、旅写真は足で撮るもの。
星空の帰り道
かすかに降り積もるような「痕跡」を撮り集め、豚サンドを食べ、コーヒーを飲んだだけでもう帰路に着く時間になってしまったけど、これは良い、ひとりでさまよう旅、良すぎる。
帰りも当然夜便で、機内から星を撮る。
そして、パリに着いてからノルマンディーの自宅に戻るまで、地上からもまた星を撮る。しかも手持ち1/2秒、ISO6400。
冷気に凍えて車に戻ると、碧い夜空の光がほの暗く車内を照らしていた。時折過ぎゆく車のヘッドライトが白、黄色、赤と、後部座席の窓ガラスに色を映してはすぐに消えていく。窓ガラスに薄く、ピントを合わせる。その光が自分にどんな「痕跡」を残しているのかは、まだわからない。わからないから、それを探すためにまた、シャッターを切る。
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