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自転車日本一周の旅2日目

朝6時。いつもだったら母かスマホに起こされていたのに、ふと目が覚めた。閉め切ったカーテンの隙間から光が漏れており、セミが少しずつ鳴きはじめている。晴れだとわかった。

一階に下りると仕事に行く前の父と会った。「気ぃつけてな」とだけ言われる。母は「いよいよやなあ」と嬉しそうに言いつつも、どこか心配そうだった。

母が作ってくれた朝ごはんを腹一杯食べる。テレビを観ながら、明日もここで朝ごはんを食べているような気がした。旅に出るという実感がない。せっかくなので、ご飯を食べたあとリビングで寝転がってダラダラした。だけど、なんだか落ち着かなくてすぐにやめた。ストレッチをしたり、パッキングしてあった荷物に忘れ物がないか確認したりして過ごす。

8時。仕事に向かう母と同じタイミングで家を出た。外は驚くほどに快晴だった。

荷台の側面にサイドバッグを取り付け、その上にテントを置いてゴム製のヒモで固定する。中学生の頃を思い出した。僕は鞄を自転車の荷台にグルグル巻きにして通学していたのだ。荷台もしっかり荷物を抱えてくれている。昨日のような不安定さは一切見られない。

赤いポーチにスマホや財布を入れ、義兄にもらったナイキの水色のキャップ帽子を通して肩にかけると、旅の支度は終わった。ヘルメットを被る。

母は僕の様子をスマホのカメラに収めたあと、心配そうな様子を浮かべていた。

「きぃつけや」「わかってるって。ほな、行ってくる」

そう言うと、僕は自転車にまたがった。またがって早々、自転車が重すぎて横に転びそうになった。必要最低限の荷物しか積んでいないとはいえ、それでも10キロほどはあるだろう。後ろに荷物があると、ちょっと体を傾けただけで自転車がそっち側に倒れそうになる。不安定だ。

だが僕はマッチョである。マッチョが10キロの荷物に負けるわけがない。バランスの取り方を一瞬でマスターした僕は、手を振る母に見送られながら自転車を漕ぎ出した。

いよいよ、旅が始まる。

といっても、スタートしてしばらくは地元だから、あまり新鮮さはない。今日は福井市内まで行く予定だが、それまではお馴染みの景色なのだ。自転車を漕ぎながら「ヒャッハー!」と思ったものの、「日本一周の旅!」ということはあまり実感できなかった。

坂を下っていると、母の車が僕を追い越した。母は坂の下にある病院で働いている。病院の前を通ると母が立っていた。「頑張りや!」と言って母が手を振ってくれた。過保護だなーと思いながらも、僕は一応手を振った。なんだかんだいつもありがとう。頑張って一周して帰ってこよう、と思った。

県道を北に進んでいく。地元の図書館や平和堂、友達の実家やたむろしたファミレスなど、見覚えのある景色を見ながら走っていく。マサラタウン感が半端ない。

20分ほど走ると地元を抜けた。地元を超えると右手に視界を遮る建物が減っていく。立ち並ぶ民家の間から、少しずつ琵琶湖が見えるようになってきた。気温は35度を超えていたが調子は良かった。足を止めることなくペダルを踏み続ける。サイコンは時速30キロを記録していた。脱水症状にならないよう、ドリンクホルダーに入れたスポーツドリンクをこまめに飲みながら走っていく。

途中、右手に遮るものがなくなり、琵琶湖を一望できた。だが見慣れた景色なので感動はあまりなく、「この角度から見る琵琶湖は久しぶりだなぁ…」程度にしか思わなかった。

それでも、湖に鳥居が浮かぶ白鬚神社は何度見てもいいな、と思う。そして何度通っても、白鬚神社の前にある「白ひげ食堂」がどんな店なのか気になる。でも我慢した。2か月間のために20万円を貯めたが、出だしから金は使えない。




「自転車は想像以上にカロリーを消費するから、走りながらチョコやパンを食べた方がいいよ」と先輩が言っていたが、少し走ると小腹が空いてきた。ちょうど安曇川のフレンドマートが見えたので、ちょっと休憩することにした。

母がおにぎりを握ってくれていたので、フレンドで麦茶を購入し、日陰に座って休憩した。

すると、背の低いおじいさんが近づいてきた。おじいさんは、僕と自転車を交互にみると、嬉しそうに「にいちゃん、旅けぇ?」と訊いてきた。

僕は固まった。

この場合、旅なので「旅です」と普通に認めればいいのだが、いかんせん、1時間半ほど前に出発したばかりである。

確かに旅ではあるのだが、まだ旅は始まったばかりなのだ。僕自身、やっぱり自分が旅に出ている実感はまだなかった。それに安曇川は大津市に隣接する高島市にある。県すら超えていない。

帰ろうと思えば家に帰れる場所にいる僕は、果たして旅に出ているといえるのだろうか?

少し悩んだ結果、「はい、旅です」と言った。おじいさんは「おお!」と感心したようだ。

僕は思った。よーし、ジジイ!そのまま店に入れ!どこから来た?とか絶対に訊くなよ!恥ずかしいから訊くなよ!

だが、おじいさんは腕を組んで立ち止まり、「どこから来たんや?」と言った。

恥ずかしかったが「……大津です」というとおじいさんは間髪入れず「アッハッハ!」と笑った。耳はいいらしい。「すごそこやないか!」「はい、1時間前にでたばかりです……」「アッハッハ!」

気持ちいいくらい笑われた。おじいさんは「頑張れよ兄ちゃん!」と言いながらスーパーの中に入っていった。僕はおにぎりを食べ終えると麦茶を飲み干し、近くにあった蛇口で頭を濡らした。数日前に剃った頭に水が気持ちいい。スーパーを後にして北に進んでいく。

琵琶湖は北に行けば行くほど人が少なく、自然が豊かなので水が澄んでいる。湖岸沿いでキャンプをしている人を見かけて「いいなあ」と思ったけど、僕もこれから2ヶ月はキャンプ生活なんだった。忘れてた。

そこから1時間ほど走り、この旅初めての峠に入った。福井県敦賀市に行くためには、この坂道を超えないといけないのだ。急な坂道は、荷物が重いせいもあって全然前に進まない。しばらくは歯を食いしばって漕いだが、想像以上にキツかったので途中で諦めた。それでも重い自転車を押して坂道を上るのは、それはそれで結構キツい。休憩を挟みつつ、1時間ほどかけて峠を登り終えた。

汗だくで峠を下っていると「ようこそ 福井県へ」の看板が。テンションがブチ上がり「やったー!」と叫びながらペダルを漕ぐスピードを上げた。歩いても、峠越えは峠越えなのである。飛ばしすぎて時速40キロを超えた。




信号待ちをしていると、自転車に跨った少年3人が横に並んだ。僕の荷物をチラチラ見ている。太っている子が僕に「どこから来たの?」と訊いた。本日2度目だ。「滋賀県」と答えると「なーんや、近くやんけ」と言われる。はい、近くです……すみません。少し並走しておしゃべりしたあと、解散。「頑張ってねー」と応援してもらう。福井市に入るためにはまた峠を越えなければいけないので、気を引き締めてまた漕いでいく。

本当はそこからさらに山に入る予定だったのだが、道を間違えて日本海に出てしまった。しかし、これは嬉しい誤算だった。北海道で水平線をみたことはあったが、高いところから海を見下ろしたのは初めてだった。海はどこまでも続いていた。水平線はどの角度からでも見れるものだと初めて知った。

そこでようやく「ああ、これが旅か!」と気づかされた。

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左手にある日本海の景色を眺めながら進んだ。指は入っていますが。だが道路がだんだん狭くなり、すぐ横を大きなダンプカーやトラックがどんどん通り過ぎていくようになった。ガードレールこそあるものの、すぐ左は崖だ。怖くて嫌な汗をかいた。

お腹は空いていなかったが、カロリーを消費しすぎると面白いくらい体に力が入らなくなる。途中、コンビニで四個入りのドーナッツを買い、食べながら自転車を漕いだ。途中、廃墟になった温泉街などを通過し、越前市に入る。こまめに水分を取り、休憩しながら進んでいく。




夕方4時、福井市内に行くためにまた峠に入った。暑さは少しマシになりつつあるものの、もう100キロ以上走っているので少し疲れてきた。

しかし、峠は僕を容赦しない。運悪く、厳しい峠を選んでしまった。上を見ても、登り坂の終わりが一向に見えない。しかも水を飲み干してしまった。自販機を探したが、山の中にあるわけがない。

ヒィヒィ言いながら進んでいると、ふくらはぎに違和感が。「あ!」と思ったときには遅かった。両方のふくらはぎが同時に攣ってしまったのだ。倒れそうになるのを堪えて、カーブの先にあるスペースに倒れ込んだ。

だけど人の数倍は足を攣ってきたので、治し方はわかっていた。ストレッチをして立ち上がる。峠は終わっていないが、少しずつ空も暗くなりつつあった。「旅ってこんなにしんどいのね……」とヘトヘトになりながら、なんとか本日2度目の峠をクリアした。

途中、ダイドードリンコの自販機があったのでグレープソーダを飲みながら下り坂をぶっ飛ばした。グレープソーダのおかげか下り坂のおかげか、そのときにはさっきの弱音など忘れて「旅、サイコー!」って気分だった。頭の中はすでに、これから向かう町のことでいっぱいである。

鯖江市を超えて、無事に今日の野宿予定場所である福井市に入った。お腹が空いたのでスーパーで手羽先と発泡酒を買った。発泡酒が水みたいに感じられ、2口で飲んでしまった。野良猫がこっちを見ていたので、肉をほじってちょっとだけ分けた。普段は野良猫にエサなど絶対にやらないし、やってはいけないのだが、なぜかひどくたくましい存在に思えたのだ。

ネコとサヨナラして、福井駅周辺をウロウロした。気付いたら夜の9時を過ぎている。銭湯がないか探したが見当たらなかったので諦めて寝ることにした。




本日の野営地は足羽山公園である。あまり調べていなかったがかなり大きい公園らしい。入口が坂になっていて、やけに暗かった。

いきなり暗闇から人が現れたときは思わず叫んでしまった。相手もビックリして叫んでいた。市長だが県知事だが知らないが、この公園に電気をもっと増やしてくれ、と思った。

坂を上り終えるとベンチが2つ置かれただけの小さなスペースがあった。そこにテントを張ることにする。その場所の横には車1台ほどの大きさの道があり、その道は先で二つに分かれていた。右側には鳥居があり、その先が階段になっている。神社のようだ。左側は途中で途切れていて、その先に何があるのかは見えなかった。

疲れていたので寝支度を始めたのだが、ここで僕は自分がテントの組み立て方を知らないことに気がついた。

F先輩にテントを借りたものの、説明を聞くのが面倒だったので「ノリと勢いでなんとかします」と言って終わらせてしまったのだ。F先輩も説明が面倒だから「うん、まぁ、なんとかなるよ」と言っていたのだ。

しかし、ナイロンの布とメッシュの布と2本の長い棒を前にして呆然とした。この布と棒が、どうやったらテントになるというのだ?全然ノリと勢いだけではなんともならないじゃないか。

テントの張り方を調べることはできたが、地図を見るために必要なので、スマホの電池はあまり消費したくない。ちょっと試行錯誤したものの無理だと諦めた僕は、テントになるはずだったナイロン製の生地の上に寝転がり、テントになる予定のメッシュを掛け布団にすることにした。それにしても暑い。数分のうちに体のあちこちを蚊に喰われまくった。

かゆくなったふくらはぎをかきながら、ちくしょー方法を聞いておけばよかったー、と思っていると、車が通り過ぎて行った。おや?と思っていると、意外にも数分おきに車が広場横の通路を通り過ぎていった。

すべて左側の先が見えない道から現れ、そして去っていく。

こんな何もない公園で、どうして車を走らせているのか?青姦以外思いつかなかった。

歯磨きを終えて寝転んでいると、僕の後ろで車が止まり、突然叫び声が聞こえた。見ると軽自動車が止まっていて、カップルと目が合った。軽自動車はすぐに走り去った。

え?

な、なに?なんで叫んだの!?

辺りを見回したが、なにもない。僕は混乱した。な、なんで!?

その後も寝転がっていたが、結構な頻度で僕の背後に車が止まるようになった。そして車はすぐに走り去っていく。さすがに怖くなってきた。

なんで?なんでこんな公園を車が通るの?

そして、なんでたまに僕の後ろで一旦止まるのだ?

怖くなってきた。蒸し暑いわ、蚊は多いわ、車は止まるわで、野宿初日にここを選んだことを後悔した。野宿初日はホテルにすべきだった。ホテルで野宿をすべきだったのだ。

日付が変わっても、一向に寝られなかった。寝ようとすると、蚊のプゥ〜という音か、車のエンジン音で起こされる。明日は朝早くに出発するので、どうしても寝たかった。

なので気合を入れて眠ることにした。目を閉じて心を必死に無にしていると、少しずつ意識が遠のいていくのがわかった。寝られそうだった。

だがそのときだった。

「あなた、何してるの?」という、女性の声が聞こえたのは。




目を開けると、20代後半くらいのお姉さんと40代くらいのオッサンが僕を見下ろしていた。なぜか無表情である。

「ん?」

僕は寝ぼけながら体を起こした。お姉さんは言った。

「あなた、ここで何してるの?」

真面目に問いかけてきたので、僕は少しテンパった。もしかすると、ここは野宿禁止なのかもしれない。

「自転車で日本一周していて……ここって野宿禁止ですか?」

オッサンがガハハと笑った。お姉さんも笑った。僕も「あはは……」と笑ってみたものの、状況的に全然おもしろくねえ。なんだこいつらは。

「ううん、野宿していいんだよ」とお姉さんが言った。

じゃあなんでこいつらは話しかけてきたんだ?と思っていると、「野宿」「野宿」と2人は言いながら僕のテントの周りを飛び跳ね始めた。

えっ、なんですか!?とは言えなかった。突然のことに驚き、僕はただ飛び跳ねる2人を見ていた。2人はみるみるスピードを上げていく。そしてお姉さんは僕に何かを話している。だが声が高くなりすぎて耳が痛く、何を言っているのか聞き取れない。オッサンも時折何かを言ったが、いかんせん声がめちゃくちゃ小せえ。何がしたいんだ、あなたたちは?

飛び跳ねるスピードは速くなり続け、2人の動きは反復横跳びみたいになった。その間も何かを叫んでいる。聞き取ろうと姿を追うが、速度が上がりすぎて2人が混ざった残像のようなものしか見えない。お姉さんは悲鳴をあげていた。オッサンはわからない。僕は恐怖のあまり身動きができなかった。見ているとだんだん気持ち悪くなってきた。

吐きそうになったとき、突然ピタリと2人が立ち止まった。2人は息を切らすことなく僕を見下ろしていた。わけがわからない。タフすぎるだろ、と思っていたが、2人は突然目をかっぴらいたかと思うと、言葉じゃない何かを叫びながら僕に飛びかかってきた。




誰かが僕の体を思い切り揺さぶった。耳元で「お兄さん!」と誰かが叫んだ。

そこでハッと我に返った。見上げると、大学生と思しき真面目そうな男の子が僕の肩を掴んでいた。

「お兄さん、大丈夫ですか!」

男の子はちょっと焦った様子で僕を見ている。男の子の後ろには軽自動車が止まっていて、窓から男女が顔を覗かせていた。状況が理解できなかった。

お兄さんに訊いた。

「い、今、ここで反復横跳びしてるカップルいませんでした?!」

「……え?」

「い、いや、カップルがここで反復横跳びしてたんですけど!」

そう訊いてから、僕はとても恥ずかしい質問をしていることに気づいた。

そうか、あれは夢だったのだ。僕はおかしな夢を見ていたのである。

笑いながら僕は「すいません、夢でした」と言った。それで解決すると思ったのだが、彼の顔はまったく笑っていなかった。

「ここで野宿はやめた方がいいです」

「え?」

お兄さんが何かを言おうとすると、後ろから車が来た。お兄さんは行ってしまうのかと思ったが、異常に真面目なのか、車を寄せて止めると僕のもとにやってきた。

お兄さんは僕の近くに立つと、左側の道を指差した。途中で途切れていて先に何があるかわからない道である。

「あの先、墓地なんです。この公園、地元では有名な心霊スポットなんですよ。曰くつきの場所で、出るって噂があって……」

背筋が冷たくなった。……ってことは、さっき反復横跳びしていたカップルは……。

「それでお兄さんがいる場所、肝試しの終点からすぐの場所なんです。僕、肝試しが終わったと思ったら人が倒れていたのでビックリしちゃって……」

あ……と思った。

そういうことか。車を止める人が多かったのは、僕が倒れている人に見えたからなのか。確かに、肝試しが終わったあとはすべてが怖いものに思えるものだ。だから、さっき叫んだ人は、僕を何かと見間違えたということなのか。

納得した。車が多かったのも、肝試しにきていたのだ。そういうことだったのか。

僕はお兄さんに礼を言った。お兄さんは「とにかく、ここでは寝ない方がいいです!下にマクドナルドがあるので、そっちがおすすめです!」と言って去って行った。

お兄さんが友達に僕のことを説明したのか、窓から男女が顔を出して「頑張って〜!」と手を振ってくれた。僕も手を振って彼らを見送った。車はすぐに見えなくなった。

その後少しぼーっとしているとやっぱり車が僕の前で止まったので、足羽山公園で寝るのは諦めてマクドナルドに移動した。店の時計を見ると、朝の3時だった。冷房が心地いい……。

オレンジジュースを飲み、図々しくも歯磨きをし、携帯を充電しながら今、日記を書いている。もう朝の5時だ。外は明るくなりつつある。

初めての野宿は、まさかの心霊スポットだった。初日は150キロ近く走ったが、筋肉痛はない。ただ、サドルのせいでキンタマの裏がめちゃくちゃ痛くなってきた。

明日も、というか今日も、頑張って走って行こうと思う。

生きます。