見出し画像

嫌いな人の近くにいると、その人に似てきてしまう病。

挨拶

こんにちは、採用コピーライターのオヤマダです。
人間って、近くにいる人の影響を知らず知らずに受けてしまう生き物なんですよね。母親と上手くいっていない娘さんが、嫌いな母親と同じことをしていたりとか(しかも自分ではそれに気がついていない)。父親のことが大嫌いだった息子さんが、父親と同じ論調で他人を批判していたりとか(しかも本人は無自覚だったりする)。そんな光景ををよく見てきましたし、自分の経験もあります。

嫌いな人化する

昔の職場で、仕事はできるのかもしれないけれども、人としてちょっとどうだろう?という人がいたんですね。その人にも人の事情があったんだと思いますが、僕はその人のマネジメントが本当に嫌いでした。昔にした失敗のことを何度も掘り起こしてきて、「オヤマダさんはこういうことをする人だからなー」「また、あの時と同じなんじゃないですかー」みたいな言い方をするんです。

上手くいかなかった過去と向き合って、自分なりに対策を練って、それを乗り越えたと自分では思っていても、その人は過去の出来事を掘り起こしてきて、こちらを疑ってくる。プレッシャーをかけてくる。仕事の上でのプレッシャーや責任ならなんでも受けて立ちますが、この場合はやることが陰湿なだけなんですよ。その人にも事情があったのかもしれませんが、僕はそういうやり方は嫌いだったし、自分のストレスを他人で発散するようなやり方をどうかな?と思っていました。

でも、

ある時、僕はそれと同じことを奥さんにやってしまっていたんです。僕は基本的に穏やかな性格なのですが、その時は珍しくイライラしていて、そんな僕に奥さんがどうでもいい話(主観です)を長々と話してきて。しかも、僕がテレビを見ているのを知っているのに、テレビの音声が聞こえないくらい大きな声で話しかけてくる。その時、ついにむかつきが爆発してしまい、僕は奥さんに対して嫌味を言いました。ひるんだ奥さんをさらにやり込めようといったのが、嫌いな人と同じ構文の言葉だったんですね。

口に出した瞬間にハッと気がついて、奥さんにすぐ謝りました。嫌な言い方をしてしまった。本当にごめんなさいと。同時に、嫌いな人の影響を受けている自分に愕然としたのでした。

こういうことってあると思うんですよ。

好きな人化する

反対に、好きな人や尊敬している人の影響を受けるってこともあると思っていて、僕の場合、奥さんの好影響を受けていると日々感じています。僕の奥さんは、深津絵里さんに似ていて、可愛くて優しいし面白い子なのですが、奥さんの「やさしさ」に、僕は何度も救われてきました。

僕と奥さんは、新卒で入社した食品スーパーの同期であり、なんとなく気になった僕がアプローチをかけて、入社から早いタイミングで付き合うことに。食品スーパーの販売員の仕事って、朝は早いし、夜は遅いわで、結構大変だったんです。特に僕は、いろいろな偶然が重なって、仕事ができる奴しか配属されない新店のオープニングスタッフに抜擢されたりして、本当に激務の日々を送っていました。

東京都板橋区のお店で働いていたある日。僕は始発でお店に行って、1日中、品出しや加工作業に奔走し、上司と先輩を先に帰して、最後に閉店後の売り場の片づけをして家に帰ろうとしました。その店が駅まで遠くて、片道20分かかるのです。フラフラになって駅まで向かうと、埼京線が停まっていました。人身事故だそうで、復旧の見込みが立たないとアナウンス。ふざけんなよ、と思いました。疲れてるんだから早く家に帰らせてくれよ。なんで俺ばかりこんな目に遭うんだよ。叫びたいほどの怒りが湧きあがりました。そんなとき、奥さん(当時は彼女)から電話がかかってきたのです。

彼女は家に帰っていたそうで、どうしているかな?と電話をくれたのでした。僕は事情を話して愚痴りました。彼女はそれをうんうんと聞いてくれて、「帰れない」という僕に「ほかに電車は通っていないの?」と聞きます。通ってはいます。しかし、都営三田線の駅にはまた20分かけてお店に戻り、そこからさらに20分かけて駅まで歩かなければなりません。疲労困憊な僕は歩きたい気分ではありませんでした。しかし彼女は言います。「歩いている間、私が話し相手になってあげるから、もう一つの駅に行こう」と。そこから40分、彼女と電話で話しながら歩き、僕は電車が動いている都営三田線の駅に着き、その日のうちに家に帰ることができました。

この話は、たぶん、奥さんは覚えていないと思います。でも、僕にとっては印象的な出来事で、持ち前の明るさで僕を励ましてくれて、しかも40分の道のりの話し相手になってくれたやさしさに、感謝しつつ、尊敬の念を抱いたというか、自分のこんな人になりたいと思えたのです。彼女は電車に乗っていても、年配の方を見かけたら誰よりも早く席を譲るし、道端で座り込んでいる人を見かけたらすぐ話しかけて助けます。すごいんですよ。

僕は、コピーライターの新人向け研修や採用チーム育成の仕事をしていますが、評価いただくポイントに「面倒見がいい」とよく書かれます。でもね僕はもともとそんな面倒見のいいタイプの人間じゃありませんでした。これは奥さんの影響なんです。

誰と仕事をするか

自分の身の回りにどんな人を置くか。どんな人の影響を受けて生きていくか。そういう考えかたもアリなんじゃないかと、僕は思います。

嫌いな人の近くにいると、その人に似てきてしまいます。そして、嫌いな人の近くで仕事をしたり、自分と合わない人たちに合わせて暮らしていくのはかなりの苦行です。そんな我慢にどんな意味があるのでしょうか。合わない人にも合わせていくのが大人の対応?本当にそうでしょうか。

自分の未来は自分で創っていくものと、作家も、歌手も、芸術家も、アイドルも、政治家も、高円寺の酔っぱらいも、みんな言います。

では、自分で自分の未来を創るとは、どういう行動なのでしょうか。人間が人から影響を受けていく生き物ならば、自分が影響を受けたい人がいる場所、自分が尊敬している人がいる場所に身を置くというのは、あながち間違いではない生きかたや選択だと僕は思っているのですが、みなさんはどう思いますか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?