そもそも天皇とその一党には、国民を守る義務など無いからな。教育もお情けだけだ。
より
上記文抜粋
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「数学嫌い」を放置する日本で人材が育たない事情 小・中学校で理解を無視した「暗記教育」が横行
政府の教育未来創造会議が理系分野を専攻する大学生の割合を現在の35%から50%に増やす目標を掲げたのを受けて、関係省庁は理系学部設置や理系学生への奨学金充実を目指す具体的行動に移った。IMD「世界競争力年鑑」によると、日本は1989年から1992年まで1位を維持していたものの2022年には34位まで順位を下げたことを見ても、技術立国日本の将来を憂える一人として政府の方針を支持したい。
1980年代から1990年代にかけて、「(技術立国として)経済成長をとげた日本は、これからは文化だ」という発言が大手を振って歩き、「ゆとり教育」に突入した当時とは一変した空気を感じる。イソップ童話の「ウサギと亀」で、余裕から昼寝をしたウサギが目を覚ましたときを想像したほどである。
現在の日本版「ウサギと亀」では逆転は十分に可能だと考えるが、そのためには最重要課題として、理系分野の基礎として必須の数学に関する「数学嫌い」を減らし、目覚めた人たちが理系分野で活躍する人材に育ってもらう必要がある。
国際平均よりはるかに多い「数学嫌い」
背景にある重要なデータを若干紹介しよう。今年の出生数は80万人割れの見込みで、第1次ベビーブーム世代のピークの270万人、第2次ベビーブーム世代のピークの209万人と比べるとあまりにも少ない。また、たとえば2015年度のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の調査結果でも、「数学が好きか」との問いに対する3択回答の「大好き」と答えた割合が9%で国際平均の22%よりはるかに少なく、「好きではない」と答えた割合が59%で国際平均の38%よりはるかに多く1位である。
また、「数学に自信があるか」との問いに対する3択回答の「とても自信がある」と答えた割合が5%で国際平均の14%よりはるかに少なく、「自信がない」と答えた割合が63%で国際平均の43%よりはるかに多く1位である。このようなデータを踏まえると、現在でも理系学部で定員割れの危機に瀕している大学がいくつもある状況では、「数学嫌い」を「数学好き」に変える対策を講じない限り、理系分野の充実は絵に描いた餅になるのではないだろうか。
最近、いわゆる「リケジョ」ブームなるものを感じる。理系分野に進学の少なかった女子を増やすために、理数系に興味・関心の高い女子に特別な授業等を施して才能を伸ばす試みによるものである。筆者も90年代後半からのべ200校の小中高校で出前授業を行ってきたが、その中にはSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校で多くの優秀な女子生徒に出会って感激した思い出がある。
一方で筆者は、児童養護施設や問題が多いと言われる高校での出前授業も手弁当で行ってきたように、あまり光が当たらない学校などにも積極的に訪ねた(出前授業の半分は手弁当)。そのような経験から思うことは、初等中等教育、とくに小学校での算数教育が重要だということである。
タレントやキャスターとして活躍する東京大学工学部卒業の女性はかつてテレビ番組「徹子の部屋」で、「自分が受けた小学校の算数授業では、考える面白さを皆が教えられて、クラスの皆が算数好きでした」という趣旨の内容を述べた。これはすばらしい発言であるが、現状は「理解」を無視した「暗記教育」が横行しているのだ。
理解を無視した暗記教育の横行
拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』では、3+3+3+3+3+3=18 という計算を示す前に「サブロクジュウハチ」という言葉だけ覚えさせているような、呆れた教育の事例もいくつか紹介しているが、本書の核心は「速さ・時間・距離」の意味を理解させることなく円の中に「は・じ・き」なる図を描いて公式を暗記させたり、「比べられる量・もとにする量・割合」の意味を理解させることなく円の中に「く・も・わ」なる図を描いて公式を暗記させたりする、「理解」無視の「暗記教育」の横行についてである。
だからこそ、「赤いテープの長さは120cm」「赤いテープの長さは白いテープの長さの0.6倍」を示す図を選ぶ4択問題(2012年度全国学力テストの小6対象問題)の正解率は34.3%で、赤と白を取り替えた選択肢を選んだ児童は50.9%であったこと。あるいは、10%の食塩水の意味を問う同一内容の問題が2012年度全国学力テストと昭和58年度全国規模の学力テストで出題され(理科分野、中学3年対象)、前者の正解率は52.0%で、後者の正解率は69.8%であったこと。等々の事例が報告されているのである。
『AI時代に生きる数学力の鍛え方』の趣旨、すなわち「暗記」ではなく「理解」が大切であることを納得してもらうために、数学的な間違いを見つけて正すことは一つの方法である。12月14日に『中学生から大人まで楽しめる 算数・数学間違い探し』(講談社+α新書)を出版するのはそれゆえである。
そのような訴えを積み重ねても、「理解」無視の「暗記」だけの教育が簡単に改まるとは思えない。背景には、プロセスまで理解させる指導ができる算数教員が不足していることがある。文部科学省は中学や高校の数学教員が小学校の算数授業を担当できる特例を設けるなどの対策を講じているが、顕著な形で効果が現れるには相当時間がかかるだろう。
算数・数学を本当に好きになる瞬間
筆者は来年3月に定年退職となり、45年間の大学教員人生の幕を閉じる。その間に、非常勤講師を含めると文系理系合わせて約1万5000人の大学生に授業をし(文系・理系が半々)、約1万5000人の小中高校生に出前授業でスピーチしたことになる。その経験から悟ったことは、生徒や学生が算数・数学を本当に好きになる瞬間は、「計算が速い」「試験の点数が良い」などではなく、何らかの「概念」や「問題」を初めて理解したり解決したりしたとき、あるいは「面白い応用例」を自分のものにして喜んだときである。小中高校への出前授業を積極的に行ってきた理由には、それがある。
2006年9月に手弁当で訪ねた北海道立浜頓別高校で、「不動点定理」というものを体験する「名刺手品」の証明をきちんと述べたとき、証明に感激した生徒が興奮を止められなくなって先生方が一苦労したこと。あるいは、2007年12月に三重県での高校生セミナーに参加して筆者の話を聞いた生徒が、後に同志社大学数理システム学科での授業(非常勤講師)で顔を合わせたこと――。
そのような出前授業に関するうれしい思い出は多々あるが、「数学嫌い」の問題を生涯の課題と捉えている筆者にとって、2007年からの本務校の桜美林大学リベラルアーツ学群での“やりがい”のあった活動の中には、数学嫌いな学生から教えられた重要なことがいろいろある。
桜美林大学に移った数年後に、就職委員長を補職としてお引き受けした。その頃はまだ学生の就職難が続いているときで、就職適性検査の問題が苦手な学生向けに、後期の毎週木曜日の夜間に「就活の算数ボランティア授業」を2コマ開催した。筆者の手当がいっさいナシなのは当然として、学生も単位認定いっさいナシであったが、3年間で約1000人もの学生が授業に参加した。
その授業および後にリベラルアーツ風にアレンジした正規の授業を通して得たものは、以下のようなものだ。学生の「わかる」という言葉の意味は「やり方」を覚えることであって、数学科教員時代の学生の「わかる」という言葉の意味がプロセスの「理解」であったこととは対照的である。
「私は小学校の算数以降、『やり方』の暗記だけで学ばされました。算数・数学の内容を『理解』できるように説明してもらったのは初めてで、昔から先生のように教えてもらっていたら人生は違ったと思います」という感想が相当多くあった。
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抜粋終わり
これが横行する一因は、「従わせることはできても、知らしめることはできない」
「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」論語
である。
でも、これは最近は中国でも違う解釈が出てきている
「民に知らしめないと、由らしめられない」
という解釈。
論語の読み替えが、起こっている。
まあ、こちらが人を「馬鹿でカス」と対応していたら、相手も「馬鹿でカス」として、対応するようになる。
ピグマリオン効果だな。
あと、まっとうな理解力があれば、「天皇・天皇制」など存続できない。
「そもそも天皇って何のためにあるの?
日本人のために何をするの?
地球のためになんの貢献をするの」
って一切答えられないカルト宗教の親玉が天皇だからな。
その
「天皇は、文鮮明の親玉や、超麻原彰晃」
てバレないためには、日本人が馬鹿で間抜けでなければならないからね。
天皇を卒業し 供養し 浄土へ送る
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
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